
念願だったロングインタビューに仲代さんが応じてくださり、無名塾の一室でお目にかかるなり、私はこう言った。
『幽霊』から拝見しています。幕切れもはっきり憶えています。僕に太陽をください。太陽を、太陽を……。
仲代さんはちょっと呆れたように片頬で笑い、「まあ落ち着いて」という感じに片手で制すると、
「あれは大抜擢でしたね。初日、千田是也先生が出の前に『モヤ、頑張れよ』って握手して下さったんですが、その手が震えてましたから。おかげで僕の緊張が少し弱まりましたけど」
モヤというのは仲代さんの愛称。親しいお仲間たちからはそう呼ばれていて、ある時岸田今日子さんがこんなふうに言っていた。
「俳優座の若手の頃、大きなモヤの周りを小さな宮崎恭子さんが嬉しそうに見上げながら、小鳥のように周ってるの。可愛らしかったわよ」
それで仲代さんにまずは「モヤ」の謂れについて訊く。
「僕の本名は元久なので、モの字に坊やのやをつけて、モヤなんですね。達矢というのは腹違いの姉が考えてくれて、僕が射手座の生まれなんで、的に達する矢のごとく、という意味らしいです。この姉には俳優座養成所時代、月謝の九百円がアルバイトしてもなかなか払えなかったら、私が出して上げるって。そのころ姉は三木のり平さんのお母さんがやっていた新橋の料理屋で仲居をしてましたから」
そのことがあって、無名塾の塾生は月謝免除。そのかわりアルバイト禁止で演劇修行に専念すべし、ということになるのが何とも素晴らしい。
インタビューで次に私が迫ったのは、新劇の俳優が和ものの芝居を、まして歌舞伎を演じたら腰から下が決まらずに、どこか違和感があるものなのに、仲代さんの『四谷怪談』伊右衛門は、黒羽二重の立ち姿がすっきりとして、歌舞伎役者のようだった。これはどうして? どうしてなのか、とずっと思ってましたけど、とちょっと子供じみた質問をすると、仲代さんが正味一分間ほどの沈黙のあと、私が驚いて身震いするようなことを、淡々と語り始める。
「今日は僕が生まれて以来八十一年間黙っていたことを、思い切ってあなたに言っちゃいましょう。お袋が八十八歳で亡くなる時に、言ったんです。お前の父親は、役者の子なんだよ、って。つまり、父の実家は茨城の豪農で、旅回りの一座に宿をしてやったりするんですね。その座頭が團十郎顔をしたいい男で、僕の祖母はついフラフラっとなって、一時駆け落ちをするんです。でも子供を宿してまたオメオメと戻って来る。でも仲代家は対面を重んじて、秘密裡に事を済ませて、また元の鞘に納めてしまう。祖母はそれからも何人か子供を生むんですが、それが少しも兄である僕の父には似ていない。のちに親戚の者が僕の芝居を観に来て楽屋に来たりすると、やっぱり父とは似てないなぁ、と思いましたね」
私が長年舞台を観続け、そこから感銘を受けた人に会いたいと思い、この賞賛の気持ちをわかってもらいたくて、子供みたいに突進する。それを今、仲代さんがわかって受け留めて、応えてくださったのだ、と思うと、熱く胸を衝かれるのだった。
こんな聞き手冥利の体験は、あとにも先にもあの時だけ。
それからというもの、何度も仲代さんにお会いする機会があった。インタビューだったり、対談の司会だったり、その他いろんなことで。
劇場へもほとんど逃すことなく観に行って、観れば必ず絶賛のメールを送る。するとその度に仲代さんの渋い声が甘く響くボイスメッセージを送ってくださる。それは必ず「関さぁん、仲代、達矢、です」で始まる。
ついこの五月も、私の気の遠くなるような数字を重ねた誕生日に、まずは「ハッピーバースディ」の独唱から始めて、これ迄の私の仕事を褒めてくださり、「いつ迄も、少女のように清々しい関さんでいてください」と結んであった。
さる高名な作家にとっては「何がめでたい」という年齢なのに、「少女のように」は仲代さんからの、素敵な文化勲章だった。
仲代さんが八十一年黙っていたことを話されてからもう十数年以上の歳月が流れたが、その時何の話の続きでそうなったのか、こんな話をしてくださった。
「戦争中に、中国でスパイ活動をしていた人が、日本人であることがばれたのは、朝、顔を洗う時に、 日本人は手のほうをこうやって上下に動かすけど、中国人はみんな両手の中で顔の方を、こうやって上下に動かすんだそうですよ。それで日本人とわかって捕えられちゃったわけですね」
この話はどこにも使わなかったが、翌朝からそうやって顔を洗ってみると、水が飛び散らないで誠に具合がいい。
だから私は毎朝、日に一度は仲代さんのことを考えることになる。これからもずっと、ずっと。

┃プロフィール
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。
![春陽堂書店|明治11年創業の出版社[江戸川乱歩・坂口安吾・種田山頭火など]](http://shunyodo.xsrv.jp/blog/wp-content/uploads/2018/04/shunyodo_logo_180325_CS4.jpg)
