第九回 仲代達矢 ①
 仲代さんの舞台を初めて観たのは、私が二十歳の時で、今年閉場した六本木の俳優座劇場。仲代さんはイプセンの『幽霊』オスワル役で、母親のアルヴィング夫人役は東山千栄子、マンデルス牧師役は千田是也。昭和三十年九月のことで、仲代さんは弱冠二十二、三歳だった。
 私にこの芝居を観るように強くすすめたのは、日本女子大英文科(私は国文科)の斎藤静子さんで、この人はのちに文化放送で花の女子アナになり、同僚だった喜熨斗きのしまさる夫人となる。喜熨斗アナは二代目市川小太夫(初代猿翁のご舎弟)のご子息で、のちに私が歌舞伎の世界に深入りするキッカケとなった人。
 脱線したが、ある日通学の都電の中でその静子さんが、顔を見るなりこう言った。
「ねえ、俳優座の『幽霊』を観に行くといいわよ。ナカシロタツヤという新人がとっても素敵だから。本当よ」
 そう言えば、どこの劇場の筋書にも出演者名にルビなど振っていないので、ナカダイと読めなかったのも無理はない。
『幽霊』は、亡き父親の不品行のせいで梅毒に侵されている青年と、その母親の物語で、全篇に暗い因習や偽善が幽霊のように立ち込めている重い芝居。
 終幕の幕切れは、ついにその症状が脳に及んだオスワルが、明るい朝の日射しの中で、
「母さん、僕に太陽を下さい。太陽を、太陽を、太陽を……」
 と片手を高く上げる。その少し鼻にかかるような独特の声と、日本人離れした整った横顔と、ソファーから投げ出している長い脚。この幕切れの衝撃は、今もくっきりと影絵のように張りついていて、私の脳裏から離れない。
 あのころ、静子さんには何度もこの「太陽を、太陽を」をやって見せて、あきれられたものだった。 

 私の仲代さん追っかけは、『タルチュフ』『令嬢ジュリー』『愛と死との戯れ』『ハムレット』と続くのだが、次に私が衝撃を受けたのは俳優座が上演した『四谷怪談』(鶴屋南北)の色悪いろあく、民谷伊右衛門を仲代さんが演じた時だった。(昭和三十九年十一月、都市センターホール)
 この時は、私の親しい友人の妹、小林哲子さんが伊右衛門に惚れる娘、お花の役だったので、友達何人かで観に行った。哲子さんはその二年後、NHK朝ドラの『おはなはん』で雪国の美貌の芸者雪奴を演じたりしているから、お花は出世役だったのかも知れない。
 ずっと後になって、仲代さんに俳優座の伊右衛門を観た、という話をしたら、
「そうですか。あの時は新劇で歌舞伎をどうやるのか、小沢栄太郎先生の演出でしたからね。歌舞伎からも新劇からも色んな方が観に来られました。僕は初めて脚に白粉おしろい塗って黒羽二重はぶたえの着付で出たんですが、文学座の杉村春子先生から、『あなた、脚がきれいだったわよ』ってそこだけ褒められました」

 仲代さんに私が初めてお会いできたのは、仲代夫人の宮崎恭子やすこさんが平成八年六月、六十五歳で亡くなり、雑誌『ミセス』の追悼インタビュアーとして無名塾をお訪ねした時だった。
 生前の宮崎さんとは美術雑誌『アトリエ』で、唐十郎さんとの対談をお願いして以来、親しくしていただいて、二子玉川の菩提樹というステーキ屋さんにお連れくださったりした。
「いい女優だったのに、男に惚れて結婚するようじゃ、女優としての色気が無くなる、なんて洒落たことを言って、結婚と同時に舞台に出なくなった。隆巴りゅうともえの名前で演出とか脚本に回ってましたけど、彼女が五十代のころ、またムズムズと女優の虫が顔を出して来て、『ハロルドとモード』(コリン・ヒギンズ)のモード役をね、無名塾の若い子相手に演りたいと言うんで、僕が演出に回りました」
 八十歳の可愛い老婦人モードに十九歳のハロルドが恋するという、年輩の女優がみんな好きな役で、私も宮﨑さん念願の晴れ舞台を存分に楽しんだものだった。
 そして平成六年、夫妻の念願だった無名塾の稽古場「仲代劇堂」が立派に落成し、その翌年には石川県の七尾市に「能登演劇堂」が完成。仲代さんは名誉館長に就任して、順風満帆の時。
「能登演劇堂の杮落こけらおとしは無名塾公演の『ソルネス』(イプセン)で、翌年は『リチャード三世』(シェイクスピア)でした。これにマーガレットという老妃の役で出たい、と宮﨑が言ったんですが、でも病状から言って無理と思ったので返事を渋っていたら、あ、死ぬんだ、と察してすぐに諦めましたね。宮﨑との共演は、結婚前に『森は生きている』(マルシャーク)で、彼女が主役のわがままな女王様、僕は警備隊で並び大名みたいに後ろに立っていただけでしたから、『リチャード』にもしもマーガレットで出ていれば、初めての夫婦共演だったのに、今となっては残念です」
 この時のインタビューは仲代さん傷心の時だったので、私は静かにお話を聞くだけに留めていた。
 私がなんと大胆なことに、仲代さんの前で『幽霊』の「太陽を、太陽を……」を実演してお見せしたのは、それから約二十年後のことになるのだった。


プロフィール
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。