岡崎 武志
第63回 コメの飯を擁護する
またもや映画の話から始まるが、森川時久監督『若者たち』(1968)を見て、気になったというか驚いたシーンがあった。両親を亡くした5人兄弟(長女が1人)が貧しいながら懸命に生きていく姿を描く。注目は朝と夜の食事シーン。大き目のちゃぶ台を囲んで一緒に食事をする。朝も夜も主食はコメの飯だ。目を引いたのは、そのコメの飯の食べっぷりである。私がいま使っているごはん茶碗より大きく、丼との中間ぐらいの碗にたっぷり飯を盛り、みな挑むようにがっつき猛スピードで食べていく。米粒が飛び散り、口の周りにくっつくのもおかまいなしだ。飯のほかは味噌汁、たぶん漬物とちょっとしたおかずが置かれてあるだけ。あくまでコメの飯で腹を膨らませる感じだ。男4人兄弟で、家事は長女の役目。戦場というにふさわしい光景だ。
これは長女(佐藤オリエで役名同じ)が勤務する靴工場のお昼、社員食堂でも同様の光景を見る。やはりコメの飯がメインだ。足の悪い若者(石立鉄男)が、オリエのことを好きでちらちらと顔を覗き見る。ロマンチックな空気はそこに割り込めない。

1968年は高度成長のとば口であろうか。ところが基本の食事は江戸時代とそんなに変わりがない。江戸時代もほとんどコメで腹を膨らせていた。1人当たりの消費量は450~600グラムと言われる。これは私が1日(夜)お茶碗1杯約150gだから3~4倍にもなる。1人で2合とみていいか。味噌汁、漬物のほか、納豆や豆腐が加わるぐらい。
さあ、そこでこの夏のコメ不足と高騰である。新聞やニュースショーで毎日のように報道されたが、スーパーのコメ売り場でコメントする女性は決まって「高くて手が出ません。毎日のことなので困っています」と言う。現在、近くのスーパーで調査したところ、5キロが特売で4000円、コシヒカリなどの銘柄米が5000円という感じ。カリフォルニア産も並んでいてこれは2000円ぐらい(税別)。テレビカメラに向かって「いや、農家の方のご苦労を考えると仕方ないんじゃないですか。ほかの食品も軒並み値上がりしているし、我々はありがたく、工夫していただけばいい」というコメントもあったはずだが、それは放送されないのだ。望む答えだけを都合よく切り取り誘導するのがマスコミだ。
本当にコメは高いのか? 茶碗1杯のグラム数は約65(炊くと150g)。5キロの標準米を現在、仮に税込み5000円としても1杯60円。これをどう考えるかだ。
そこで少し違和感を覚えるのは、「コメは高くて困る」と答えたおそらく同じ人が、パンに関しては人気店に電車を使ってでも通い、1個200円から300円台のパンを4個5個と平気でトレイに乗せてニコニコしている。精算すれば軽く1000円超えにもなるが「高い」とはけっして言わない。パンには甘く、コメには辛い。どうなっているんだ、と言いたくなるではないか。1000円近いラーメンは行列を作って食べるのも同様。
冷飯食いこそ本領
ここで、コメの飯を擁護しておきたい。そのためにいくつか本を紹介する。

まずは子母澤寛『味覚極楽』(昭和32年龍星閣、本来のタイトルは正字)。あまたある「食」の本の古典として必ず挙がる名著だ。その後、中公文庫に収録された。私は元本を持っていて、箱入り、布装ハードカバーの立派な本。当時の定価は350円。映画館入場料が150円、公務員初任給は9200円だった。
子母澤は『新撰組始末記』ほかで知られる小説家だが、若き日、新聞記者をしていた。同著は、記者時代に各界著名人に「味」について取材した聞き書き。ここでは増上寺大僧正・道重信教による「冷や飯に沢庵」を取り上げる。引用はすべて新字新かな。ほかには「天ぷら」「蛤の藻潮蒸し」「大鯛のぶつ切り」「あなご寿司」などと並ぶ中で異色。
僧正は言う。飯は「つめたいに限る」と。「冷や飯食らい」という蔑視やあったかい飯こそごちそう(落語「藪入り」)という通念の逆を行く。その理由。「たきたてのあたゝかいのは、第一からだに悪いし歯にもよくないし、おまけに飯そのものの味もないのじゃ。本当の飯の味が知りたいなら、多少しこごっている位の冷や飯へ水をかけて、ゆっくりゆっくりと沢庵で食べて見る事じゃ」と宣れている。飯そのものの味を重んじるということなのか。
贅沢を禁じる僧侶、という立場もあろうが「つめたいに限る」と言われてしまっては、熱い飯に海苔の佃煮と卵を乗せて、かきまわして食べる愉悦はかすんでしまう。ただ、たしかに崎陽軒のシウマイ弁当などは、冷えてはいるがご飯は甘く、おいしく感じられる。冷えてもうまい炊き方がしてあるのか。
そこで思い出したのは、誰が書いていたのか、カレーライスは冷えた飯に熱いカレーソースをかけることこそがうまみを感じられると、これも冷や飯派。
子母澤寛も「冷や飯に沢庵」の章の最後に「少し硬目の冷飯に、その代りだしのよく効いた舌の焼けるようなうまい味噌汁、これが私の一番好物で」とする。
江戸時代には炊飯器などないから、朝一度炊いたご飯を、昼、夜とそのまま食べていた。夜には冷えていたはずだが、温めなおして……というのは聞いたことがない。冷えたまま食べたろうし、熱いお茶や味噌汁をかけていたのではないか。落語の中にも江戸や明治の食事風景はよく出てくるが、「おい、おっかあ。ちょっとここ(冷飯)に熱い味噌汁をぶっかけてくんな。こいつがうめえんだ」などというセリフは聞いたことがない。
たしかにこいつはうまそうだ
飯と味噌汁こそ最強のごちそう、という話が吉村昭のエッセイ「多くの能力を秘めた米飯」(『蟹の縦ばい』中公文庫)に見える。これがおもしろい。こちらは温かい飯。
吉村が作家2人と一緒に、新潟の講演会に招かれた。旅館で休息をとり、講演会前に「軽く夕食を」ということに。以下、少し長いが端折らずに引く。

どのような料理が出てくるかと思っていると、大きな飯櫃が運びこまれてきて、茶碗に湯気の立つ米飯が盛られた。副食物は味噌漬だけであった。
「これが何よりの御馳走なんですよ。食べてみて下さいな」
と、地元の人が言って、自ら米飯の上に味噌漬を二切れほどのせ、湯をかけて食べはじめた。
妙なものが出てきたな、と思いながらも、あっさりした食物が好きな私は、地元の人にならって湯をかけ、箸をとった。
食べはじめた私は、思わず呻き声をあげてしまった。何よりの御馳走と地元の人は言ったが、決して誇張ではなく、白湯にひたった米飯がまことにおいしく、味噌漬が飯の甘みに巧みに調和して、久しぶりに美味な食物を口にできた、と感嘆した。
ほかの作家も同様に「うまい、うまいを連発した」というからお世辞ではない。吉村は3杯もおかわりをした。
この話の見事なところは、東京からやってきた著名な作家(名士)を旅館がもてなすのに、米飯と味噌漬のみを出したところにある。普通ならどうだろう。女将が「板さん、ちょっと腕によりをかけて、おいしいものを先生方にお出しして」と、刺身や煮物、あるいは出汁卵を焼いてとなるところ。作家たちも何かは出てくるだろうと期待し、まさか米飯と味噌漬だけとは想像もしない。
この鮮やかな趣向は、劇的と言ってもいい。
なお、この話には落ちがあって、吉村は家に戻ってから新潟の旅館での「夕食のうまさ」を力説し、わざわざ旅館で出された味噌漬を注文し、自宅へ送ってもらった。届いた味噌漬で、さっそく妻や息子・娘と旅館の夕食を再現してみた。みんな「たしかに、うまいね」と言った。だが、吉村は「不満だった」。どうしてもそこに、新潟で感動した夕食の味はなかった。
謎は妻(津村節子)が解いた。
「味がちがうのは、お米のせいですよ。お米がおいしければ、どんなおかずでもおいしいし……」
吉村は納得する。「味噌漬に気をとられていたが、実はあの食事のうまさは米飯故だと気づいた」。つまりは「さんまは目黒に限る」。米どころ新潟の実力をいかんなく発揮したエピソードだ。

新潟出身のフリーライターで、大衆食堂の魅力を説き続け、汁かけめしこそ食文化の根幹とした遠藤哲夫は、『汁かけめし快食學』(ちくま文庫)で力強くこう宣言する。
「真っ白な米飯を美しくおいしくおもい、また一方、その真っ白なめしの上を飾りたてるかけめしに、胸をドキドキさせる。これがかけめしをくう日本庶民の美学であるとおぼえておきたい」
(写真は全て筆者撮影)
≪当連載が本になりました!≫
『ふくらむ読書』(春陽堂書店)岡崎武志・著
「本を読む楽しみって何だろう」
『オカタケのふくらむ読書』掲載作品に加え、前連載『岡崎武志的LIFE オカタケな日々』から「読書」にまつわる章をPICK UPして書籍化!
1冊の本からどんどん世界をふくらませます。
本のサイズ:四六判/並製/208P
発行日:2024/5/28
ISBN:978-4-394-90484-7
価格:2,200 円(税込)
「本を読む楽しみって何だろう」
『オカタケのふくらむ読書』掲載作品に加え、前連載『岡崎武志的LIFE オカタケな日々』から「読書」にまつわる章をPICK UPして書籍化!
1冊の本からどんどん世界をふくらませます。
本のサイズ:四六判/並製/208P
発行日:2024/5/28
ISBN:978-4-394-90484-7
価格:2,200 円(税込)
『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。
本のサイズ:四六判/250ページ
発行日:2021/11/24
ISBN:978-4-394-90409-0
価格:1,980 円(税込)
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。
本のサイズ:四六判/250ページ
発行日:2021/11/24
ISBN:978-4-394-90409-0
価格:1,980 円(税込)
┃この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。






















