岡崎 武志

第64回 クレア・キップス『小雀物語』

 あまり長くならないように気をつけるが、まずはスズメの話。冬や春先、朝起きて外へ出たら、地面にスズメが何匹もいてチュンチュンさえずっている。これは見慣れた光景のように思えたが、少なくともこの30年ほど、身近にスズメの姿を見かけなくなった。ハトやカラスはいまだにあちこちで目にするのだが……。
 スズメは都市部から本当に減少しているのか。この点について、少し検索してみるとやはりそうで、この半世紀の統計では約4~5割、その数が減っているとのこと。原因は都市化が進み、従来巣を作った屋根瓦の隙間や日本家屋の軒下が失われた点や、農薬散布なども挙げられるという。
 スズメは通年生息する野鳥で、俳句でも新年から冬まで扱われるようだ。「白木漣に声を呑んだる雀かな」(芥川龍之介)、それに放哉はスズメを多く句に詠み、「雀のあたたかさを握るはなしてやる」ほかがある。もちろん一茶の「我と来てあそべや親のない雀」は有名。
 そこでスズメについて知るため、三上修『スズメ つかず・はなれず・二千年』(岩波書店)を図書館から借りだしてきた。「まえがき」に「日本人にとって、『鳥といえばスズメ』といっても過言ではないでしょう。実際、私がある小学校の子供たちに、知っている鳥の名前を挙げてもらったところ、一番多く挙がったのがスズメでした」とある。

 なるほど、と思ったのは人が多く住みつくところに繁殖し、同時に人間を嫌い、距離を置くという性格を持つ鳥であること。過疎化が進み、人が少なくなるとスズメも増えそうだが逆だというのだ。なぜ、人がいるところを好むのか。三上によれば、天敵であるタカ、ヘビ、イタチなどが人の住むところには少ないからではないか、と推測している。
 しかし、なんといっても、スズメが多くの文学にも扱われ、愛されるのは、あの小さな姿、愛らしい鳴き声や動作ではないか。「舌きり雀」ほか、おとぎ話にもよく登場する。歌川広重の「名所江戸百景」にもスズメが時々描かれていると、これも三上修の指摘で知った。同著に挙げられた図版「愛宕下あたごした藪小路やぶこうじ」には、雪景色を飛来する3羽のスズメが描きこまれている。これなども、茶色く小さなスズメだから絵になるわけで、カラスやハトならどうか。
第二次大戦下のロンドン、未亡人とスズメの物語

 今回取り上げる『小雀物語』も、そんなスズメ考察のなかで買った1冊。第二次大戦下のロンドン郊外で、老いた未亡人が生まれたばかりのスズメを保護し、大切に育てる。ほとんど我が子のように接し、愛情を注ぐ姿を自ら綴った手記。1994年に小学館文庫から刊行されたのだが、これまでまったく視野に入らなかった。翻訳が大久保康雄だから、これはけっこう古い本だとわかる。大久保は一時期、新潮文庫を含め新潮社から翻訳工場と言われるほど、多くの英米文学を翻訳していた。
 巻末に1行「『小雀物語』は、昭和三一年新潮社より発行されました」とある。やはりそうか。それが30年近くのちに、なぜいきなり文庫化されたのかは不明。ただ、小学館文庫の「アウトドア エディション」というシリーズ中の1冊であり、奥本大三郎、野田知佑、植村直己、辻まことなどの著作が並ぶことから、たとえばシリーズに『寄鳥見鳥』が収録されている鳥好きの漫画家・岩本久則が「こういう本があるよ」と編集部に進言したかもしれない。『小雀物語』の解説は岩本だ。
 このシリーズにはS・ノース『はるかなるわがラスカル』も収録。その前は角川文庫から出ておりました。私はアニメ化された作品が好きでずいぶん前に目を通している。これもあらいぐまと少年の友情物語。思えば井伏鱒二「屋根の上のサワン」、映画「仔鹿物語」など、動物と人間の交流を描いた作品は多い。いずれも最後は死や別れという悲しい結末が待っていることも同じ。そういえば、「E.T.」は、その系列の変種で、スピルバーグが「仔鹿物語」に影響された、とどこかで読んだ。
 著者のクレア・キップスについてはプロフィールがこの本にはない。そこで検索をかけたら、大事なことを見落としていたと気づいた。この本を愛した梨木香歩が『ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯』と題して訳出し、単行本化。現在は文春文庫で発売されている。なあんだ。梨木香歩は好きな作家で、これまで『ある小さなスズメの記録』についても目にしてきた。これが『小雀物語』だったとは。そこでクレア・キップスのプロフィールも明らかに。……と言って、『ある小さなスズメの記録』は入手していないのだが仕方がない、このままいく。
 クレア・キップスは1890年イギリス、シュロップシャー州生まれ。30を過ぎてからロンドンの王立音楽院で本格的にピアノを学びピアニストとなる。ロンドン郊外(南東)ブロムリーに住む。1854年に水晶宮がこの地に移転してから急速に繁栄した街だ。夫を1938年に失い、以来独り暮らし。1940年夏、ドイツの爆撃機がロンドンの上空を襲う。そんな時に小雀を保護したのだった。クレランスと名付け、1952年まで育てた。
 訳者あとがきによれば、クレランスの墓が晩年を過ごしたクレア・キップス邸の庭に立ち、そこには「クレランス。有名な愛された雀。一九四〇年七月一日に生まれ、一九五二年八月二三日死す」と墓碑銘まで刻まれている。『小雀物語』には、あとがきやカバー袖などにクレア・キップスについての明確なプロフィールはどこにもないのに……。
ピアノに合わせて歌うスズメ
 いつ爆撃が始まるかわからぬ臨戦態勢という非常時、付近の監視所での防空監視員としての務めを終え、家に戻ったところ、玄関先の段の上でそれを見つけた。クレアはとくに生き物好きというわけではなかったようで、家のなかで一切飼っていない。ただ、そのままでは息絶える小鳥を部屋へ入れ、懸命な看病をしたのだった。それが12年に及ぶクレランスとの蜜月の始まりとなった。
 飼育という表現を越えた慈しみ方が、本編の隅々まで叙述されている。クレアに子はなく、次々と生命が奪われる戦争という非常時の中で、ほとんど使命のごとく、老婦人の母性に火をつけたようだ。
 それは著者を鋭く細かな観察者にした。保護して3日目の記述。
「三日目になると、とびだした目玉の真中に、ほそい裂け目があらわれてきて、だんだんに彼はそれを、私の大きな羽毛のない顔と棲り木のような指とに向って開けはじめ、やがてあたりをきょろきょろ見廻しはじめた」
 どこにでもいる、人間に身近な鳥であるだけに、スズメという生物にこれほど視線が浴びせられたことはなかった。我々の目の前に、まさしく赤ん坊のスズメがいる。
 そのうち爆撃が始まり、暗い防空壕生活が始まる。クレアはそこで、クレランスに芸を仕込み、さまざまな「神経をたかぶらせている人々」を慰安させることを思いつく。それは簡単なものだが歓迎された。古いプディング鉢の中から躍り出て、最前列の人から麻の実をごちそうになる。クレアのヘアピン(クレランスはこれが好き)で綱引きをする。
 トランプカードから見物人が選んだ1枚を選び出し(クレアがちょっと前に任意のカードを押し出すという操作あり)、カードをくわえてぐるぐる回すのは「彼のお気に入りの芸」だった。
 そのうち、クレアのピアノ演奏に合わせて声を出すようになった。
「それはさえずりの声からはじまった。それから小さな回音になった。メロディの特徴を出そうとして、高い音色(雀の声域を、はるかにこえた高音)から、やがて––––まさに驚異中の驚異!––––小さなトレモロになったのだ」
 カナリアなど一部の鳥が歌う、あるいはオウムなどが人を真似て発声することはあるが、スズメがそこまでするのかどうか、意地悪く疑ってみても仕方がない。ただ、淋しき老女が生きがいのように注いだ小動物への愛情はいかにも愛らしい。そして著者が書くように「驚異」だとも思う。
 本書にはクレランスのさまざまな生態が写真に掲載されている。これらは、クレランスの死期が近づいたとき、記念のため、わざわざ写真屋を呼んで撮影させたものだ。よくぞそのことに気づいたし、結果的にそれらは貴重な記録となった。カバー写真はまさしくそのうちの1枚。私はこれに引かれて手に取ったのだった。
 この手記を読んだ詩人のウォルター・デ・ラ・メアが刊行の手助けをして、1953年3月に出版されたところ、大きな反響を呼び、アメリカほか各国で翻訳出版されたという。「キップス夫人の許へは、いまなお世界じゅうの読者から、毎日さまざまな手紙が寄せられているということである」とは、1956年邦訳出版時の訳者・大久保康雄の「あとがき」による。
 今回、間に合わなかったが梨木香歩版にもぜひ目を通してみたい。
(写真は全て筆者撮影)

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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。