岡崎 武志

第65回 『サイクル野郎』はユースホステル文献

 同年配と漫画の話をしていて、この作品を愛読していたという人に会ったことがない。私もリアルタイムで読んでいたわけではない。後述するが、一時期、急にユースホステルのことが気になり、いろいろ調べているうちに発見した作品だった。
 荘司としお『サイクル野郎』のことである。週刊漫画誌『少年キング』(少年画報社)に1971年から79年まで長期連載。随時、単行本化され全37巻が同社のヒット・コミックスに収録されていて、人気作品だったことがわかる。
 荘司としおは1941年長崎県生まれ。まだ存命だ。上京後、貝塚ひろしのアシスタントを務め、のち独立した。代表作は『うなれ熱球』『夕やけ番長』など。後者は私も愛読した(アニメ化も)。絵柄は師匠の貝塚ひろしにそっくり。いつでも代役が務まるほど酷似していた。

『サイクル野郎』はこんな話だ。主人公は丸井輪太郎(姓名ともに自転車を連想させる安直なネーミング)。江東区にある自転車店の息子で、高校受験に失敗し、自転車で日本一周の冒険旅に出る。その波乱万丈の道中を描く作品だ。単行本カバー袖に著者略歴とともに、本作についてのコメントが掲載されている。
「ぼくはサイクリングが大すきだ。健康的であり、また実用的でもあるからだ。ぼくはこのまんがで、サイクリングをとおして、野性味あふれる少年を描いていくつもりだ。諸君も大いにサイクリングをやりたまえ」
 当時の現住所も記されていて「東京都練馬区東大泉町(以下省略)」。東大泉町なら西武池袋線「大泉学園」が最寄り駅で。手塚治虫はじめ、多くの漫画家が在住していた路線だ(「椎名町」にはあのトキワ荘!)。
 私が入手したのは全37巻中のたった2巻。6巻と8巻で旅は北海道まで進んでいる。現実的に自転車による日本一周は珍しい体験ではないらしく、福島雄一郎『自転車日本一周旅の日記』(自費出版)ほか、いくつか本になっている。同書解説によれば、著者は18歳のとき216日かけて日本一周をしている。コースや条件によってかかる日数や費用はさまざまだが、90~180日、100~150万円かかるという記述があった。徒歩で、車でというバージョンもあり、たいていは男性で、日本一周の冒険は、何かオスの本能を刺激するらしい。バイクによる日本一周は吉本浩二が自身の体験を『日本をゆっくり走ってみたよ』で漫画化している。
さすが自転車店の息子
 私は少年期から冒険心が欠如していて、大胆な試みや挑戦などしたことがない。日本一周など鉄道を使ってでも思いもよらないことだ。ただ、思い出したことは、京都の大学へ入学し、下宿を決めたあと、実家があった枚方市から京都まで自転車を自分で走って運んだ。その距離約30キロ。1号線をひたすら北上、宇治川を渡ったときにあともう少しと安心した覚えがある。自転車はスポーツタイプだったが3時間近くかかったか。大した距離でもないが、梅津車庫(京都市バス営業所)近くの下宿へ着いたときは達成感があった。最初はそんなことができるのかと自分を危うんだが、やればできるじゃないかとうれしかった。小さな男である。
『サイクル野郎』6巻「ちょっぴり手柄」編の「前巻あらすじ」を読むと、輪太郎は「陣太郎」「なまはげ」という同じ目的を持ったサイクリストと一緒に走ることになる。前巻で北海道へ渡った3人は、女性サイクリストグループと出会うあたりから6巻が始まる。巻頭に「大沼国定公園」の看板。つまり函館だ。本作はこうして地名や名所などがすべて実名で登場する。このあと長万部、室蘭、登別、苫小牧へと向かう。
 輪太郎はドロップハンドルのスポーツ車タイプが愛車。後ろ座席には大きな荷物が積んである。野宿する際のテントが入っているようだ。輪太郎が有利なのは、自転車店の息子とあって修理やメンテナンスがお手のものであること。6巻でも、砂利道で転倒し、車輪のはずれた女性を「ハブを分解してグリースもないの?」ととがめ、あっというまに修理してしまう。簡単な修理道具も常備しているのだ。摩滅したタイヤ交換のため、実家(自転車店)から、次の宿泊地へ新品のタイヤを配送してもらうこともしている。これは実際のサイクリストでないと書けない話かと思う。
いまはなきユースホステルが登場
『サイクル野郎』は2年のできごとを37巻の長尺で描く。ただ自転車を走らせている道中だけではとてももたない。そこで、さまざまな波乱やドラマを盛り込むことになる。6巻では山中でのクマの襲撃、急に産気づいた妊婦を町まで運ぶのを助け、その美談がテレビで放送され一躍有名になる。8巻では、自分にそっくりな少年と間違われ騒動に……。やや現実離れしたエピソードもあるが、毎週興味をつなぐためには仕方がないだろう。
 そして、本作で重要なのが宿泊場所。野宿、他人の家へ泊めてもらうなどのほか、毎巻のように実名で登場するのが「ユースホステル」だ。じつはユースホステル文献として、この漫画は重要な記録となっている。私が興味を持ったのもその点であった。ドイツ発祥の宿泊システムで、青少年を安価、安全に寝床と食事を提供する。私も10代後半に友人たちと旅行する際に、何度か利用している。日本でユースホステル協会が発足したのは1951年。1970年代の全盛には全国に600近い施設が広がり、400万人近い利用者があったという。
 ただ、規則が厳しく(門限あり、飲酒不可)、ひと部屋に多人数が押し込められるなど、やや窮屈な面があり利用者は減少していく。それでも2024年段階で120ほどの施設が存在しているようだ。私は5年前ぐらいになるか、急にユースホステルのことが懐かしくなり、千葉県白子町の「九十九里浜白子ユースホステル」へ泊まりに行ったことがある。利用者はその時私一人で、休憩室に『サイクル野郎』全巻がおかれていた。そこで初めてこの作品に触れたのだった。ユースホステルのシステム、部屋の様子、泊まり客たちの生態など、くわしくリポートされていて、今となっては貴重。しかも登場するユースは実名。ユース文献として、今回、1999年版『全国ユースホステルの旅』(実業之日本社)を入手。このとき、まだ350の施設があったとわかる。
 たとえば6巻では登別「観音寺ユースホステル」。観音寺というお寺が併設する宿舎だった。『全国ユースホステルの旅』には記載がない。1992年に閉館し、以後無料の入浴を提供、2011年から素泊まりのみ宿泊を受け付けているようだ。ただし『サイクル野郎』では破風瓦屋根の外観が描かれるのみ。
 同じ巻の札幌編では「宮ヶ丘ユースホステル」。ここでは詳細な記録がある。外観とともに、受付の「宿泊表」が示されている。ここは端折らず書き留めておこう(表記など多少の変更はする)。「宿泊料400 スリーピングシーツ100 食事(朝200昼250夕300) 集会室使用料100 暖房(集会室50 宿泊者150)自炊料70」と驚くほど細かく指定されている。8巻を連載開始2年目ごろと予測し、1972年の時世なら公務員初任給が4万7200円。現在その5~6倍程度の物価と考えればいいか。たしかに安い。
 宿泊部屋もこれでわかる。1室両側に2段ベッドが3列。1室に6名が押し込められ満室だ。みな10代らしき男性(当然ながら男女は別)。みな言葉を交わし、和気あいあいたる空気が広がっている。10代の私もそうだったが、ここで他府県の若者と知り合い、情報交換をしたのだった。そういう親密さが、かえって平成令和の若者にユースを忌避する要因となった。ドアには塵取りとほうき、「次に来る人の為/立つときに/来たときの/ように美しく」と張り紙がある。
 なお「宮ヶ丘」ユースは『全国ユースホステルの旅』に記載あり。
「円山公園にほど近い、静かな林に囲まれた緑いっぱいの環境立地。赤いレンガ造りのサイロが印象的な建物だ。札幌市街が一望できる大倉山シャンツェへは、歩いていける距離。昼はもちろん、ロマンチックな夜景も手軽に楽しめる(以下略)」
 1999年時の宿泊料は3050円。朝食450円で夕食の提供はなし。30年弱で宿泊料は7・6倍にもなっている。朝食が2・5倍だから上昇率が高い。それなら朝食付きで5000ぐらいで宿泊できるビジネスホテルなどのほうが快適で気楽だ。これもユース離れの原因かもしれない。
 調べると「宮ヶ丘」ユースも1999年に閉業し、跡地は現在、円山公園内の「ユースの森」に。これなどユースホステルの存在を知らない人には、なぜ「ユースの森」なのか、わからないだろう。
(写真は全て筆者撮影)

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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
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