
吉行和子さんがこの九月二日に亡くなった。九十歳になったばかり。報道で年齢を言われる度にどうせ死ぬんだったらもうひと月早く死ねば八十代だったのに、と今頃口惜しがっているかもしれない。
和子さんとはいろんなところへ一緒に行った。二人でトークする旅に行ったり、劇場へもジャンルを問わず誘い合ってよく出掛けた。
歌舞伎座に勘三郎さんが出ている時は楽屋を訪問すると、二人が同い年なのを面白がって、「いまに米寿とか卒寿とかになったら、合同でパーティーやるといいよ、どっちがいっぱいいい男のゲストを呼べるか勝負だよ」と言われたりした。
次の時に一人で行くと、「この間の話さ、俺と夏雄(十二代目團十郎)さんは絶対行くから負けないよ」と言ってくれたのに、そのお二人はずいぶん早くこの世を去ってしまって、肝心の和子さんも居なくなった。 見かけは静かで慎重そうな和子さんだが実は物ごとを即決する大胆なところがあって、よくハラハラさせられた。
たとえば21世紀になって最初の役は何か変わったことをしたいと思ってスケジュールを全部あけておいたら、映画『折り梅』の主役、認知症の老女の役が来た。まだ和子さん六十代半ば。
「私、どうしようかと迷った時は飛び越えちゃうのが好きなのよ。大事を取らないたちなのね」
と平然としていたが、食事で食べ散らしたりするシーンを観るのはかなり辛かった。
四十代で全裸場面のある『愛の亡霊』かの大島渚監督作品に出演した時は、その勇敢な女優魂を讃える気になったものだが、『おくりびと』でお棺の中に入った場面を観せられた時はまたまたショックで、電話をすると、
「だって本当に死んだ時は自分でその姿が見られないじゃない。それ、見てみたかったのよ」
と笑っていたが、今その声を思い出すのはまた辛い。
私が女優シリーズのインタビューをしていた時、私に色々訊かれるのはいや? と聞いたら、「いやじゃないわよ」と言って、初恋の話もしてくれた。
それは劇団民藝に入ったばかりの十九歳の時だとか。相手は「苦学生」というのがいかにも時代を感じさせる。
「暗ぁい感じがよかったのよ。下宿を訪ねたら半年分の部屋代を催促されていたりして。私が買って行った焼き芋を二人で食べて、あったかいわねぇ~、なんて」
そのうち二人が別れるのは、新しい恋のため。相手は妻子ある絵描きさん。
「兄(淳之介)と同い年だから十一歳上。その人を見た途端、これが恋なんだわ! ってときめいたの」
苦学生にはそのことを手紙に書いて別れたというのが和子さんらしくて何か笑える。
「結局どうしようもないんで、それをふっ切るために同じ劇団の人と結婚することにしたの。絵描きさんがお別れに絵を持って雨の日に訪ねて来たけど、絵だけもらって部屋には入れないで私が送って出たの」
その風景画は引っ越し好きの和子さんがいつの間にか紛失する。
「いい加減でしょう(笑)。私、思い出だけはしっかり持ってるけど、物には執着しないから」
和子さんは二十八歳で劇団の照明スタッフと結婚して、四年後に別れた。
夜、帰宅して部屋を見上げると、先に明りが灯っているのが何ともいやだった、というのが私には理解し難い。
結婚の時も、別れる時も、和子さんは師と仰ぐ宇野重吉さんに相談している。
「そうだな、毎日一緒にいるというのは辛いよな、別れろよ、って宇野先生が。
ひどいと思うのは母のあぐりさんですよ。『私、結婚するわ』『あらそうお』『やっぱり駄目で別れたわ』『あらそうお』って、それだけだったから(笑)」
和子さんと組んでいろんなことをした中に、美術雑誌「アトリエ」で十二人の絵描きさんを訪問する「二人でインタビュー」というのがあって、それがとっても思い出深い。「絵描き」と聞いて、二番目の恋の人を思ったのかもしれない。
「十二人だから、六人ずつ分けましょうか」
なんて、何をどう分けるつもりかわからないことも言っていた。「最終回はシャガールがいいわね」なんて、その頃存命だったパリ在住の大画伯の名を挙げたりして楽しんだが、予算の関係でそれが戯言であることは二人とも承知していた。
私が和子さんとはずいぶん違うと思ったところは、私は文章を直すように指摘されると大抵はなるほどと思って有難く従うが、和子さんは即座にその原稿を引き裂いて捨てるという。もっともこれには恋の達引も絡んでいたのかもしれない。かなり恋多き女だったから。

文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。



















