
和子さんとたまに買い物を一緒にすることがあって、カードで支払う時に、「辻和子」とサインしているのが見えた。
私が不思議そうにしたのがわかって、そのあとの食事の時に詳しく話してくれた。
「私の父、エイスケさんが亡くなって九年後に、母は辻という人と再婚して、中学生だった私と妹の理恵もその戸籍に入ったのよ。ハンサムでいい人だったけど、やっぱりいろいろと気を使ったわね」
たとえば、母あぐりさんの誕生日や母の日は何にもしなくても、義父の誕生日や父の日は和子さんも理恵さんもちゃんと贈り物を用意する、とか。
「朝ドラの『あぐり』の時、エイスケ役の野村萬斎さんがチャーミングだったんで、終わりのほうに出てくるらしい義父の役が素敵な人だといいけど、って心配してたら、高嶋政伸さんだったんで、よかったわねって妹と二人でほっとしたりして」
あぐりさんも何かにつけて「ね、いいお父さんでしょ、優しいわよね」と言ったりした。
そして、これはこれまで誰にも言ってないことだけど、と断って話し始める。
「子供のころ、夏に蚊帳の中で私と理恵と義妹と三人で寝てたら、夜中に義父が来て、自分の娘の掛け布団だけそっと掛け直して出て行くのを私が見てしまったの。ああ、そういうものなのか、と子供心にわかって、これからは距離を置いて生きて行きましょ、そうして早く大人になって、この家から出て行こう、と思ったの」
和子さんとはいくら親しくなっても、一定の距離感みたいなものが厳然とあったのはそのせいだったかと思い当る。
あぐりさんと和子さんの母娘関係は相当変っていた。たとえば和子さんは小学生の頃、校長先生の長い話が始まると必ず貧血を起して倒れた。でも、そのことを母親に全然報告してないことがあとでわかって、担任の先生が驚いたという。でも和子さんとしては、多忙な母のことを考えて何でも自分の中で解決してしまうようになっていたのだそうだ。
またあぐりさんのほうも、和子さんの舞台を観て来ても素知らぬ顔で美容室にいるので、まったく自分の芝居には関心がないのだろうと和子さんは思っていた。それがあぐりさん九十歳かになって、「アンネの日記」以来の東京公演は総て観ていたということが何かの折に判明し、和子さんは感激する。
本当に変ってる母と娘。
あぐりさんは九十歳の時に夫と死別。すると一か月もたたないうちに戸籍を吉行姓に戻し、和子さん姉妹もそれに習った。
「母はそれまで遠慮したり我慢してたりしてたことからいっぺんに解放されたんでしょうね。私が息抜きで出掛ける年末の海外旅行に『私も行く』って有無を言わさず強引について来ちゃったの」
それがメキシコで、次はネパール、イタリア、それから上海や台湾。九十五歳を過ぎてからは二人で国内旅行。
「あぐりさんが九十八歳で転ぶまでは、本当に親孝行したと思う。美容師をしてた頃にお客さまから聞いてた、宮崎のコスモスが風に揺れる風景が観たいとか、湯布院へ行きたいとか、私はヘトヘトになりながらも、完璧にこなしましたからね。でも転んで、寝たきりになってからは、また頑なに心を閉ざしてしまったの」
あぐりさんが介護施設に入りたくないと言うので、八時間交替で三人のヘルパーさんを頼み、その人たちとの折衝や、あぐりさんへの対応の難しさに、自分の部屋に戻ると震えるほど疲れた、と聞いた時は心底同情した。
「『あなた、私が死んだほうがいいと思ってるんじゃない?』なんて言うから、ドキッとして『そんなこと思うはずないじゃない。みんな神様が決めてくれることだから』って答えると『フーン、いい答えを見つけてあるわね』って。返して来る言葉がすごいから、油断できなくて」
あぐりさんは今から十年前、百七歳で亡くなった。その前日、和子さんが部屋に入って行くと、天井を見つめてじーっとしているので、「何考えてんの?」と訊いたら「ヒーミーツ‼」と言うので「百歳の秘密って何よ」と笑ったそうだが、あぐりさんはかねがね「私にはあなたがいてくれるからいいけど、あなたは一人だから大変ね」と案じていたというので、和子さんの十年後に思いを馳せ、案じていたのかもしれなかった。
和子さんは今年の初夏に、部屋の中で転んで左腕を骨折し、都内の病院に入院していたが、退院が決まってから肺炎になり、九月二日の朝に帰らぬ人となった。悲しいことだが、病院で看取られての最後で、よかったとも言えるのかも知れない。でもほんとに寂しいな。
和子さん、骨折をもう少し先に延ばしてくれればよかったのにね。

文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。



















