岡崎 武志
第66回 一葉「たけくらべ」からあしたのジョーへ(上)
年に数回実施している岡崎武志がガイドをつとめる「オカタケ散歩」。今回(10月25日)は、樋口一葉「たけくらべ」の舞台となった竜泉から吉原へ。少し足を延ばして「あしたのジョー」に登場する玉姫公園をゴールとする。ちゃんと下見もし、地図や資料を作成して準備に臨む。毎回書くけど、手間がかかっています(画像)。この日はあいにくの雨。急に1名のキャンセルがあり、幹事のМさん、私を含めて12名の散歩となる。事前に「たけくらべ」を読むことを必須としたが、文芸出版の元編集者Мさんは集英社文庫を推薦していた。他のテキストは、原文を生かした会話と地の文を融合させた長々とした文体だが、集英社文庫版は現代小説ふうに会話と地の文を分けて掲載。「圧倒的にこちらが読みやすい」と言う。
旧弊な私は、ちくま日本文学全集の『樋口一葉』をテキストにした。文字が大きいし、見開き左ページ脇に注釈がついている。年譜もあって重宝した。新潮、岩波各文庫にも収録されております。
この日のコースをざっくりたどると、千束稲荷、台東区立一葉記念館、一葉旧居跡碑、鷲神社、吉原神社、吉原かいわい、見返り柳が「たけくらべ」ゆかりのポイントである。「文学界」連載の明治28~29年から130年ほど経過し、しかも明治、大正、昭和、平成、令和と時代はその間激しく動き、もちろんすっかり姿かたちは変わってしまっている。たとえば明治中期の吉原(新吉原)周辺は田畑が広がっていた。
しかし、神社仏閣は規模の縮小や改築はされても元の場所にある。吉原の区画割も江戸期のまま、吉原の東西で道が歪に曲がっている(通い客の姿を隠すため)のも体感することができるのだ。神社仏閣はそれだけを考えてもあってほしい、ありがたい存在だ。
「たけくらべ」について
最初に訪れたのは竜泉2丁目の「千束稲荷神社」。「八月二十日は千束神社のまつりとて、山車屋台に町々の見得をはりて土手をのぼりて廓内までも入込まんず勢い、若者が気組み思いやるべし(後略)」(ルビは省略、以下同)と「たけくらべ」にある。三ノ輪駅から国際通りを南下、すぐの交差点を西へ。静まり返った一角に「『たけくらべ』ゆかりの」と幟が見える。遊郭に住まいし育つ(いずれは遊女に)美登里は14歳。祭りの日、敵対する表組(金貸しの息子正太郎がボス)と横丁組(鳶の頭の息子長吉)がぶつかり合うのが千束稲荷。美登里は表組に属するが、正太郎の乱暴を諫め暴言を浴びる。境内一角に一葉の銅像が立つ。「たけくらべ」は明治の下町に生きる10代半ば、思春期の子どもたちを生き生きと描いている点、明治文学に精彩を与えた。開化以来の明治文学は、逍遥、四迷、紅葉、露伴など、例外もあるがおおむね大人の世界を扱った。まだ出来上がって生成中(「普請中」)の近代文学は、子どもへ目をやるゆとりはなかったかもしれない。
千束稲荷の南西に「龍泉寺」。竜泉町の町名由来となった寺。国際通りをさらに南下、西側に位置する「大音寺」は、ヒロイン美登里の恋の相手を務める信如の家「龍華寺」のモデル。一帯を総称して「大音寺前」と呼ばれた。しかし、あまりに寺が続くのでガイドではスルー。2~3時間という時間配分を考えるのもガイドの務めだ。いや、けっこう気を使っているんですよ、本当に(誰に言っている?)。「たけくらべ」の有名な冒頭にも名が挙がる。
「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に灯火うつる三階の騒ぎも手に取るごとく、明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらないて、大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申しき(後略)」
同時代の文語体の小説がほとんど壊滅的に読まれなくなったのに対し、一葉のいわゆる「奇跡の十四か月」に生み出された「たけくらべ」始め、「大つごもり」「にごりえ」「十三夜」などは命脈を保ち、顕彰し続けられている。両者の比較検討は手に余るが、一つにはリズミカルな弾むような文体、そして美文でありながらリアリティを持つ描写に現代性があると考えられる。「たけくらべ」には数種の現代語訳もあるが、不思議と原文のほうが読みやすい。
一葉記念館
国際通りから一葉記念館入口へは表示がある。下見したのは平日、この日は土曜だったが、集客に忙しい喧噪の観光地・浅草からわずか1キロほど離れただけで、うそのような静寂と閑静さが町を浸している。路地にほとんど人影もない。「一葉記念館」はこの町で暮らした地に1961年に建てられた。最初は平屋の簡素なつくりだったのが、3階建て鉄骨のモダンビルに生まれ変わった。私は3度目か。1階に一葉の文学と生涯をコンパクトにパネル説明(別室にビデオ視聴の施設)がされ、2階、3階に展示室がある。貴重な写真や初出の雑誌、「たけくらべ」未定稿の生原稿、書簡、荒物駄菓子店時代の仕入帳まで見ることができる。これら驚くほどの収集保存が可能なのは、妹のくにが姉の資料の散逸を防ぎ大切に守り続けたおかげと言われている。新聞連載であちこちの文学館を巡った私だが、ここは総合して一級。
12月21日まで「一葉が暮らした下谷龍泉町」(現在は「竜泉町」)という特別展を開催。吉原へ続く下谷竜泉町かいわい、一葉旧居が精巧な模型で再現されていて、ここだけでも見る値打ちはあります。
一葉記念館のあと、すぐ近くの旧居跡の碑(台東区竜泉3-15-2前)を見る。ひっそりと立つのでうっかりすると見逃すかもしれない。一葉は明治26年(1893)に本郷菊坂からここ(竜泉町368)に転居。母と妹の女三人暮らしで、生計のため雑貨と駄菓子の店を開くがうまくいかなかった。隣りは人力車の店。10か月ほどでふたたび本郷に戻る。「塵の中」に、ここは下谷から吉原へ通う道筋にあたり、夕方ぐらいから人力車の音がとどろき、それが午前1時ごろまで絶えず、3時には帰る車の音がまた響き始めたと書いている。閑静な山の手から騒々しい下町への移転は、一葉を悩ませただろうが、同時にこれまでなかった遊郭依存の人や町に接することで、「たけくらべ」に代表される一葉文学の世界観を形作った。そんなことも、現地に立って、周囲のスポットを巡ることで実感できるのだ。文学散歩のだいご味であろう。
もうすぐ酉の市準備中の「鷲神社」
旧居碑から国際通りへ戻り南下。巨大な熊手の飾りと朱塗りの大門が目に入る。ここが「たけくらべ」に「大鳥神社」として何度か登場する「鷲神社」である。以下はその一節。
「この年三の酉までありて中一日はつぶれしかど前後の上天気に大鳥神社の賑いすさまじく、ここをかこつけに検査場の門より乱れ入る若人達の勢いとては、天柱くだけ地維かくるかと思わるる笑い声のどよめき(後略)」

浅草のお酉さまと呼ばれる同社の創建は不明。11月の酉の日に市が立ち、境内は熊手売りの屋台が立ち並び、それを求める人が押し寄せる姿は、毎年ニュースなどでも映像が流れる。熊手は福を「かっこむ」「とりこむ」という縁起もので、さまざまな飾りがつけられた大小の熊手が売られる。関西人の私が上京して奇異に思った一つが、この「酉の市」の熱狂であった。武田麟太郎「一の酉」、高見順「胸より胸に」にも、この鷲神社酉の市の熱狂、混雑ぶりを伝えている。
私たちが足を踏み入れた10月末は、鉄骨の足場が組まれて酉の市の準備中であった。ここに其角、子規の句碑に一葉の文学碑もあるのだが、鉄骨に邪魔されて見えなかった。いや、そりゃ一年一番の行事が大切、わかってますって。
(以下、次号へ)
(写真は全て筆者撮影)
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┃この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
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