第十四回 二代目松本白鸚 ②
 俳句誌の企画で幸四郎時代の白鸚さんが夏の奥入瀬渓流を吟行することになり、私は指名していただいて同行した。紀子夫人もご一緒で、車中や夕食の時に、いろいろな話が伺えて楽しかった。
 中でも少年時代の話は、役者の家の子供ってこんな遊び方をするのかと面白かった。
 弟の吉右衛門さんと二人でよく芝居ごっこをするのだが、いい役はすべてお兄ちゃん。たとえば『盛綱陣屋』ならご自分が主役の盛綱で、弟は首実検されるなんと生首。『忠臣蔵』五段目なら勘平は兄さんで、弟は猪といった具合。
 唯一、対等な役は駕籠舁かごかきだとか。手作りの駕籠をかついでご機嫌な二人が「野崎」の送り、(『新版歌祭文』お染久松の芝居で、久松を乗せた駕籠が悲劇とは裏腹に、陽気な太棹三味線に送られる)を口ずさみながら門を出て、当時おすまいだった久我山の通りを道中したとか。
 やや長じてそんな遊びをしなくなると、庭で「一人野球」に興じたそうだ。
「ピッチャー投げました。長嶋、打ちました。球はどんどん伸びて、あ、ホームラン」
 と言いながら庭を走る兄を、二階の窓から弟が眺めて、「兄貴も孤独だなあ」と呟いたとか。
 また、話題がミュージカルのことに及ぶと、意外な話を聞いた。それは一九六七年、歌舞伎を教えるために渡米した初代白鸚(そのころは八代目幸四郎)が、オフブロードウェイで『ラ・マンチャの男』を観て、すぐさま東宝の制作部に「これを是非、倅の染五郎に演らせたい」と電話したとか。
「新しい歌舞伎をめざしてそのころ松竹から東宝へ移籍していた父は、きっとドン・キホーテに自分の行動を重ねたんだと思いますね。歌とダンスさえなければ、きっと自分がキホーテを演じたかったんじゃないかと思う」
 私が『王様と私』や『ラ・マンチャの男』の初演を観ていて、『王様』の時のアンナ役は越路吹雪で、チュラロンコン王子はまだ子役時代の勘九郎(十八代目勘三郎)だったし、『ラ・マンチャ』のアルドンサ役は草笛光子だった、という話で夜更けまで盛り上がった。

 この時同行した紀子夫人はあくまでもつつましく控えめで、朝も私などは十和田湖畔のホテルのショップ巡りを楽しんだりしているのに、ご夫妻はロビーで静かに新聞を読んだりしている姿が絵になっていた。
 昼間の取材で歩いた奥入瀬渓流の、まさに光景・・という表現がぴったりだった緑の中に光って流れる水の景色は今もくっきりと脳裏にある。
 幸四郎さんのその時の句をいくつか引く。

  奥入瀬吟行
  奥入瀬の青葉ひかりのなかにをり

  北国の湖を訪ふ朱夏の旅

  夏の旅時間ときゆっくりと流れけり

  老人のまどろむでゐる夏列車

 帰りの列車の中で、ふと見ると紀子さんがご主人の肩にもたれて眠っていた。
 何人かのスタッフとの旅で疲れたのだと思う。天下の高麗屋の肩に寄り添って眠れるのはこの人だけ、とほほえましかった。
 まどろむ老人の句にしたのは、高麗屋の照れか、慎みからだろうか。

 思えばこの二代目白鸚ほど幸せな俳優人生を送りつつある人も珍しい。名優の七代目松本幸四郎、初代中村吉右衛門を祖父とし、父もまた名優の八代目幸四郎にして初代白鸚、そして母の正子さんの愛を一身に受けて育つ。
 長じては祖父幸四郎以来の当り役『勧進帳』の弁慶を千二百回、また自身で切り開いたミュージカル『ラ・マンチャの男』のセルバンテスとキホーテ役も千三百回演じ通して、演劇界にゆるがぬ金字塔を打ち出した。
 私生活では優しい妻の紀子さんと、十代目松本幸四郎、松本紀保、松たか子という素敵な子供たちに恵まれ、九代目市川染五郎など良き孫もかち得ている。
 文化勲章を始めとする数々の栄誉に輝いておられる白鸚丈だが、私にとってはやっぱり野バラ咲く路をそよ風と共に歩んでくる「我が青春のSOMEGORO」のイメージが強い。


プロフィール
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。
≪≪関連書籍≫≫
『句と絵で綴る 余白の時間』(春陽堂書店)松本白鸚・著
日本を代表する役者、松本白鸚。
忙しい日々のなかで、何を感じ想ってきたのか——
句とエッセイ、直筆の書画を通して、役者の「余白の時間」を垣間見る。