第十五回 笈田ヨシ ①
 笈田ヨシさんを知っていますか?
 映画で言えば、『豪姫』(92年)で、豊臣秀吉役。その養女の豪姫役は宮沢りえで、吉田織部役が仲代達矢だった。
『最後の忠臣蔵』(10年)では茶屋四郎二郎役。大石内蔵助役は片岡仁左衛門。
 スコセッシ監督の『沈黙―サイレンス』(16年)にもイチゾウ役で出演している。
 演劇で言えば、三島由紀夫原作の『豊穣の海』(18年)では、二十歳で死んだ清顕(東出昌大)を生涯見つめ続ける親友……年代順に、大鶴佐助、首藤康之、そして笈田ヨシが演じ分けている。
 この公演が終ると、新国立劇場のオペラ『紫苑物語』の演出に入る、とその時聞いた。
 パリ在住の笈田さんはその著書『俳優漂流』の題名通り、吟遊詩人か武芸者のような風貌で、時折ふらりと日本に来ては舞台や映画に出演する。
 その笈田さんに私が知遇を得たのは、渋谷のコクーン歌舞伎中村勘三郎主演の『佐倉義民傳』(10年)の客席だった。私が「文学座のアトリエ公演、ミュッセの『マリアンヌのまぐれ』(58年)を観ています」と言うと、ひどくびっくりされて、それからはインタビューをまじえて親しくお会いするようになった。
 この芝居のことは、その結末に若かった私は強烈な衝撃を受けたので、昨日のことのようにありありと憶えている。

 ミュッセは19世紀フランスのロマン主義の作家で堀口大學訳も多いが、文学座上演の時は、当然加藤道夫訳が使われている。美しい人妻マリアンヌ役は加藤夫人だった加藤治子で、彼女に恋する若者セリオ役が笈田さん。その悩みを友達の美男オクターブ(仲谷昇)に打ち明けると、マリアンヌに伝えてくれるが、マリアンヌはオクターブ自身のことかと思って、気紛れに密会を承知する。喜んで出かけて行って庭に潜んだセリオに、突然頭上の窓があいて、マリアンヌが声を掛ける。
「オクターブ、オクターブ、早く逃げて。夫が刺客を差し向けたから」
 この時の加藤治子は、レースのカーテンを右手で押さえ、左手は高く上げて、顔は斜め上。歌うように、どこか楽しげに、自身の美声に酔うようにしてこの台詞を言う。その姿は小さな窓枠の中に納まる一幅の泰西名画を見るようで、その声と共に今も私の脳裏から離れない。
 マリアンヌのその声を聞いたセリオは、信頼していた友はこの罠を知っていて自分を差し向けたのかと思ったのかもしれなくて、絶望のうちに影のような黒服の二人に殺される。
 この場面を観て私がショックだったのは、死者にはもう誤解を解くすべがない、ということだった。これからの私の人生で、オクターブみたいにもういい訳もできずに悩むことがあるのだろうか、と戦慄する思いだった。
 そのことを思い出すと、芝居一つ観るのでも、ああ、若さっていいなと思う。

 笈田さんにその話を熱く語ってちょっと笑われたりしてから、当時の文学座と三島由紀夫の話をずいぶん聞かしてもらった。
 笈田さんはその頃、「ちょっと三島さんに似てると言われた」という。文学座の三島作品――たとえば『鹿鳴館』などで、終幕に登場する植木屋たちに混って三島さんが出たりするのを私も観て驚いた覚えがある。それで、出なかった日も「昨日も出てたでしょ」と知人に言われて、それは笈田さんだったと知ってから、三島さんが贔屓ひいきにしてくれるようになったということだ。
『マリアンヌ』の二年後、笈田さんに大役がつく。『サロメ』(オスカー・ワイルド)の若い近衛兵の隊長ナラボト役。サロメに誘惑され、予言者ヨハネの幽閉されている地下牢のふたをあけるが、サロメが本当に愛しているのはヨハネと知って、絶望のあまり自決する。
『サロメ』が岸田今日子さん。ヨハネ役の芥川比呂志さんが病気休演になって仲谷昇さんになったんで、仲谷さんの役が僕に回ってきた。演出が三島さんで、ナラボトは上半身かなり裸を見せるから、一緒にボディビルに行こう、となって親しくなりました」
『サロメ』演出の時の三島由紀夫は、小道具に大量の血糊を用意させ、自分に似た若い役者が裸の胸を突き刺して身悶えして死ぬくだりを、異常な熱心さで指図したという。
 笈田さんは三十三歳で文学座をやめて、劇団四季に入ったが、その頃イギリスの大演出家ピーター・ブルックの実験的な『テンペスト』に出演するために、一時渡仏する。本当は観世寿夫とか野村万作とかの古典芸能のプロを呼びたかったのだが、彼らはもう予定がいっぱいで、文学座のころ狂言や義太夫を習っていた笈田さんを長岡輝子が推薦したため。
 無事出演をすませて帰国してその二年後に、ピーター・ブルックから手紙が来る。演劇の研究団体を発足させるので世界中から演劇人を募っている、とあった。その本拠地をパリに置く、という。
 笈田さんは行くことを決心する。
「三島さんに報告すると、行くなら黙ってそっと行けよ、ねたまれると何を言われるかわからないから。俺はもう終っているからいいんだが、とおっしゃって、それが妙に引っかかりましたが、後日、奥さまが多額の餞別と、麻の甚兵衛を僕に届けてくださいました」
 添えられた毛筆の手紙には、
「英京龍動ロンドンに於ても、この甚兵衛を着用して上方風日本精神を忘るゝこと勿れ。笈田君。三島由紀夫」とあった。
 笈田さんが三島の死を知るのは、そのわずか数カ月後。パリのピーター・ブルックの家に居候している時のことだったという。


プロフィール
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。