
岡崎 武志
第70回 築地小劇場
現在、若い人たちに「シンゲキ」と言えば『進撃の巨人』を挙げるだろう。今回取り上げる「新劇」はもはや死語かもしれない。「文学座」や「俳優座」といった演劇集団をそう呼ぶと私は理解していた。父親がかつて、一緒にテレビを見ているとき、「これは新劇出身の俳優だ」などと言っているのを聞いて、小学生の私は不思議な響きの言葉だと思ったものである。歴史的に言えば、歌舞伎を「旧劇」と位置づけ、そのアンチテーゼとして出発したのが「新派」そして「新劇」であった。時代は明治。島村抱月・松井須磨子の「芸術座」、小山内薫と二代目市川左團次により起ち上げられたのが「自由劇場」でこれを「新劇」の発祥とする。
幕末から明治、「維新」や「御一新」という言葉が流行り、「新」という文字が、現在よりはるかにインパクトを持って人々に印象づけられたのではなかったか。
次いで「新劇」の基礎を作ったのが「築地小劇場」。戦中戦後に出てきた俳優の多くがここの出身であった。阿木翁助『青春は築地小劇場からはじまった 自伝的日本演劇前史』(現代教養文庫)にくわしいが、若き演劇人たちが集ったこの劇場は現在の築地駅から近い場所に1924年に開設された。専属の常設として使われ、劇場名は劇団の名称ともなった。

1945年の空襲で焼かれるまで存在し、西洋の戯曲や実験的な演劇運動の拠点として、ほとんど屹立する存在だったのである。前掲書の著者・阿木翁助は20歳にしてこの劇団に脚本家として配属され、ともに同じ釜のメシを食ったのが滝沢修、千田是也、宇野重吉、信欣三、東野英治郎、沢村貞子などであった。
築地小劇場は左翼集団でもあり、治安維持法下において徹底的に弾圧された。逮捕、投獄、拷問が繰り返され、それでも演劇を捨てなかった。先に挙げた俳優たちは、そうした修羅場をくぐり戦後まで生きた面々だ。 アマプラで古い日活映画を
2025年10月にパソコンを買い替えた時、アマゾンプライムで大量の映画を視聴できるようになった。課金制で有料の作品もあるが、無料のものだけでも残る生涯を楽しめるほどの数がある。そこで、日活の旧作品(モノクロ)が大量に放出されている。裕次郎や旭によるアクションの日活黄金時代以前に作られた、わりあい地味な恋愛もの、ホームドラマ、サスペンスなどである。
これらを、ほとんど毎日1本見続けていたのだが、すぐ気づくのは、ここに多くの新劇人がわき役として登場することだ。宇野重吉、東野英治郎、千田是也、信欣三、殿山泰司などの顔をよく見るが、彼らはほとんど築地小劇場の出身者である。築地小劇場解散後は、文学座、俳優座、劇団民藝などに所属する俳優たちは、映画やテレビドラマに大挙して出演し、彼らの出演料が劇団運営を支えた。また映画会社が養成した新人を映画で使うとき、彼らの演技はまだ未熟だったから、新劇の俳優たちの手堅いサポートが作品に貢献したのだ。宇野重吉など日活映画に出まくっている印象がある。
宮口精二(1913~85)もそんな一人。宮口は築地座研究生から杉村春子らとともに文学座結成に関わった。筋金入りの新劇人である。舞台にも多く立ったが、私などが知るのは映画だ。黒澤明『生きる』のヤクザ、『七人の侍』の凄腕の剣士・久蔵、野村芳太郎『張込み』の老刑事などが印象にある。成瀬巳喜男『流れる』で姪の補償金をゆする「鋸山」と呼ばれる男も忘れがたい。
そこでやっと本題。宮口は1970年より個人で季刊の演劇冊子『俳優館』を主宰していた。私は『俳優館 宮口精二対談集』(大和山出版社・昭和58年)でそのことを知ることになる。これは同誌に掲載された俳優仲間との対談「安楽椅子」を収録する。黒柳徹子、江戸家猫八、栗原小巻、金子信雄、高野正雄、大塚道子、中村梅之助、太地喜和子、市川一郎、安奈淳、中村伸郎、杉村春子と豪華なメンバーだ。

黒柳徹子との対談で『俳優館』の話が出てくる。黒柳は愛読者。「ここに詩が岸田今日子さんで、『もぐらのおばさん』という詩ですね。『歌と私』が葦原邦子さん、それから久保田万太郎先生のいろいろ。俳句を龍岡晋さんって、全部俳優さん」と中身を説明している。「芸談ありのね、失敗談ありのなかなか面白いですよ。自分で言ってはなんですけど……」と宮口。
前進座代表の四代目中村梅之助は創立当時(1931年)の苦労話を語る。吉祥寺南町に本拠地を置き、花道や廻り舞台つきの劇場、稽古場や集団住宅を置く本格的な演劇集団だった(現在跡地に吉祥寺南町コミュニティーセンターが建つ)。その舞台や稽古場の立派さに宮口はうらやましく思ったという。
しかし当初は「吉祥寺の駅を降りましても、畑と林ばっかりで水道道路がとても広く感じられましたね。大きな建物というとうちしかなくて、よく病院とか郵便局に間違えられました」と中村が笑わせる。座員も住み込んでの共同生活というのも珍しい。「食堂は三食で二十五銭からでひどく安いんです。御飯は食べ放題」で、「食べ過ぎるっていうんで、お医者さんを連れて来て、健康診断をやった。(笑)」などは、演劇史に記されない貴重な証言だ。 恵まれていた修行時代
杉村春子(1906~97)は最後に登場。さすがの貫禄である。杉村も築地小劇場の出身。いろいろ面白い話が出てくるが、私は「恵まれていた修行時代」と小見出しのついた章を面白く読んだ。「私らの修行時代は恵まれておりましたよ」と発言するのは宮口。「物質的には本当に貧乏のどん底を潜ってきてるんだけど、とにかく打ち日よりも稽古の日数が長くって、しかも作品も『劇作』同人の人達や、有望な人達が続々と名作を書いてくるし(後略)」という。杉村も「築地座のような研究することを重んじた劇団でも、先生方が時間も何も忘れてみんなを指導してくださることができたんです。今だったらとてもそんなことは望めないですよ。ですから、私達は幸せだったと思いますよ」と往時を回想する。「築地座」とは、築地小劇場の分裂解散後にできた演劇集団。
そこで杉村が披瀝するのが、貧しいがゆえのほほえましい話。東屋三郎という早くに亡くなった俳優のエピソード。私は山本嘉次郎『坊つちやん』の野だいこ役で見ている。これは戦中の話であろうか。かつて内幸町時代のNHKでラジオドラマの仕事をしている時、台本をもらうと、東屋は飛行館の隣りにあった店で、いつもはトーストなのに卵トーストを食べた。
「もう出演料をもらった気になっちゃってね」とは宮口。杉村は話を続ける。
「そのくらいがささやかなぜいたくだったんですよ、あの時分は。あの方ビールが好きで、ビールをちょっと飲んで、目玉焼がトーストの上に載っているのを食べながら『有り難い、お金を頂いたようなもんだから』と言っちゃあ、台本を見てらっしゃるのを、よく私覚えているんですよ。(笑)」
私はこういう話が大好きだ。今度、目玉焼きをトーストに載せて食べてみようと思う。
ちなみに話に出てくる「飛行館」とは社団法人帝国飛行協会の会館で現在の西新橋に1929年に竣工。地上6階、地下1階の当時としては大きな建物だったという(ウィキペディア参照)。この5階と6階がホールとして使われ演劇や映画の上映に使われた。NHKはここを収録スタジオとして使い、公開収録も行ったため「飛行館ホール」として名を知られた。NHKゆかりの建物だったのである。
◇
最後のご挨拶今回をもって『ふくらむ読書』の連載は終了です。こうした長めの本の話を書くチャンスはなかなかなく、毎回、ネタを探してはああだこうだとふくらませてまいりました。「ふくらむ読書」は今でもいいタイトルだと思っています。前半部は春陽堂書店さんより同タイトルで書籍化していただきました。自著のなかでも大切な一冊となりました。
連載締め切りまで、つねに次は何を書こうかと思案し模索する日々でした。しかしそれは苦痛ではなく、むしろ楽しみでさえありました。頭のなかに、いつも「本」がある。「本」とともに生きてきた私にとっては、いいコンディションにありました。
反響は少なく、ウェブ主宰の春陽堂書店さんにはご迷惑をかけたかもしれない。もともとウェブではあまり長い文章は読まれない。スマホでのアクセスが多いからでしょうか。なるべく段落を増やし、読みやすいようにと工夫はしましたが、どれだけ読者の心に届いたのかは自信がない。紙の媒体ではなく、スマホや端末での読書というスタイルへの対応は、これからの課題になると思います。
連載は終わっても、一冊の本から次の本へとふくらんでいく読書の姿勢はこれからも変わらない。せいぜい「本から次の本」への飛び石読書を楽しんでいくつもりです。また、何か別のかたちで、みなさんとお目にかかれることを望みつつ、筆を止めます。
2025年12月20日 岡崎武志
(写真は全て筆者撮影)
≪当連載が本になりました!≫
『ふくらむ読書』(春陽堂書店)岡崎武志・著
「本を読む楽しみって何だろう」
『オカタケのふくらむ読書』掲載作品に加え、前連載『岡崎武志的LIFE オカタケな日々』から「読書」にまつわる章をPICK UPして書籍化!
1冊の本からどんどん世界をふくらませます。
本のサイズ:四六判/並製/208P
発行日:2024/5/28
ISBN:978-4-394-90484-7
価格:2,200 円(税込)
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『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。
本のサイズ:四六判/250ページ
発行日:2021/11/24
ISBN:978-4-394-90409-0
価格:1,980 円(税込)
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┃この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
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![春陽堂書店|明治11年創業の出版社[江戸川乱歩・坂口安吾・種田山頭火など]](http://shunyodo.xsrv.jp/blog/wp-content/uploads/2018/04/shunyodo_logo_180325_CS4.jpg)



