第十八回 十五代目片岡仁左衛門さん ①
 仁左衛門さんが二〇二五年、文化勲章を受賞した。功成り名遂げた人であるのに、その佇いは若々しく、いつも爽やかなそよ風の中にいる。
 最近の舞台を振り返っても、歌舞伎座の『菅原伝授手習鑑』「筆法伝授」と「道明寺」の菅原道真は当り役中の当り役で、その品格と言い、清潔さと言い、まさに神品の域に達していた。
 以前、どうしてそんなにいつ迄もお若いのですか? と訊ねたことがある。
「人として進歩しないだけやね。皆さん、年を重ねていかれると人としての厚みがついてくるものなんやけど、私にはそれが身につかない」
 つまりは年寄りじみた円熟味を、自ら身につけないように努力している、ということなのだろう。
 道真公を演じた翌月は、今度はガラリと役柄の違う『義経千本桜』「木の実」と「鮨屋」のいがみの権太を生き生きと演じてみせた。関西ではやんちゃ坊主のことを「ごんた」というのだと、前に仁左衛門さんから伺ったことがある。その表現通り、松嶋屋型の権太は母親への甘えぶりなんかがとても可愛らしく、妻子への情も深くて、単なる小悪党の悲劇ではなく、非常に厚みのある芝居になっていた。
 やっぱり仁左衛門さんの舞台はいい。

 孝夫のころに仁左衛門さんに初めて会ったのはずいぶん前のことになる。私が女性誌のフリーライターの頃で、一家団欒の時に行くお店、というのを取材して回った中のお一人だった。孝夫さんは楽屋浴衣の肩をはだけて鏡に向かっていて、私が行くと振り向きざまに浴衣の袖を入れてにっこりしたが、その肌合いが同年輩の東京の役者、吉右衛門(二代目)とか、海老蔵(十二代目團十郎)とはひと味違う、もの柔らかでいかにも上方の若手らしかった。その時聞いたご贔屓の店はお蕎麦の家族亭で、つつましやかでいい、と思った。
 それからは何かにつけて話を聞きに行ったが、余談の中の子どもの頃の話が面白かった。
 孝夫さんの父、十三代目仁左衛門は子福者として知られているが、夕飯のあと子ども達に思い思いの芸ごとをやらせて、楽しみながら何かしら教えこむのが好きだった。
 孝夫さんがおひつの蓋を頭に被って、『勧進帳』の弁慶が大杯の酒を飲み干しておどけるところを演じると、
「お父ちゃんがえらく喜んで笑ってな。でも次に幕外の引っ込みのところで冨樫に対して一礼したあと、ついついにっこりしたら、今度はえらく叱られた。それではうまくたばかった…みたいになる、ってな」
 また、飼い犬の話も笑えた。
「犬というのはな、尊敬する順番をちゃんとつけるんやな。一番偉いのはお父ちゃん、次がお母ちゃん、子どもたちは上から順番という具合で、時々顔を出す番頭の伊藤のことはまあ無視やな。それがある時、その犬が捕獲されて、役所まで伊藤が取り下げに行った。救いの神やね。それからというもの、伊藤が来るともう飛びついて跳ねるやら舐めるやら。現金なものやね」
 そして博江夫人と馴れ染めの話は簡単に、
「小学校の同級やったんや。女ターザンと呼ばれてお転婆でな。大人になって、祇園で再会ということですわ」

 それからずっと時が経って二〇〇五年の早春、五代目勘九郎の十八代目勘三郎の襲名披露パーティーがホテルオークラで盛大に開かれた。宴たけなわになったころ、タキシード姿の超かっこいい仁左衛門さんが、遠くのほうで片手を招き猫みたいに耳のあたりに持って来て、私を差し招いていた。
「あのな、私が何十年もかけて考えに考えて演じて来た芸の工夫の話をな、話すからどこかに書いといてほしいんやけどな」
 私はいきなり雷に打たれたように興奮して、多分ちょっと飛び跳ねながら指切りをした。
 この時私と同行した若林住職は、あまりの展開の速さにカメラを手にしながら折角のこの名場面を撮らなかったことを一生の不覚と今も悩んでいる。
 そして仁左衛門聞書き(写真・篠山紀信)は、小学館の「和樂」で開始され、楽しかったり苦しかったりする取材が続けられた。
 あの頃は出版社はどこも隆盛で、取材のあとはご夫妻と編集者とでよく食事に出かけたりしたものだった。
 仁左衛門さんが何か取り分けてくださる時に、私の次に奥様に手渡して、「はい、年の順」などと言って、睨まれていた。三月生まれの松嶋屋は、同級生でも博江夫人よりちょっとだけ年下なのだった。
 そのあとでこんなことがあった。
 たっぷりと料理が出たあとに鍋が出て来て、それがなんと松茸入りのすき焼き! 私がもうとても入らないわ、と嘆くと、仁左衛門さんが救いの手を差しのべてくださった。
 お店の人に持ち帰りを頼んでくださると、
「帰ってすぐ召し上がりますか?」と私に念を押されて、そんなはずはないと内心思っていると、松嶋屋がすかさずこう言った。
「すぐ食べるわな? すぐ食べるて(笑)」
 子どもが母親に叱られているのを「もうしないわな」と助けてくれるお父さんみたいだった。


プロフィール
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。