
「和樂」連載の仁左衛門さん芸談聞き書きの取材は、超ハンサムな大学教授の講義みたいで、いつもワクワクさせられた。
ところが、原稿チェックの段になるとそのあまりの綿密さに、たちまちその場は針の莚に暗転となる。仁左衛門さんが端正な横顔を見せて、手にしたゲラを見つめてじっと考え込む光景を前にすると、知らず知らずのうちに冷や汗が出て、そのうちキリキリと胃が痛くなる。
ようやくお口が開いて、「逢引、ってわかるかなあ……」。
勘平はおかると逢引きをしていて大事の場に在り合わさず……の件りのお悩みだった。逢うという字と引くという字があるからわかります‼ とちょっとせっかちに答えると、「そうかなあ」と次へ進む、という感じ。
でも、私が「なるほど~」と降参したことも何度かある。たとえば「沼津」(『伊賀越道中双六』)の平作は貧しい荷持ちの雲助でありながら、どこか愛嬌のある憎めない老人で……という私の解説に、
「それは哲(十八代目勘三郎の本名哲明)の平作やろ。違う平作もあるからな」
とのことで、これを早速勘三郎さんに言いつけに行くと、「平作は誰がやってもそんなだよ」と慰めてくれた。
でも、これは本当にその通りだと感じ入ったのは「六段目」(『仮名手本忠臣蔵』)の勘平芸談。
「花道から出ておかるの籠に行き逢って、『狩人の女房がお籠でもあるめぇじゃぁねえか』というのや、『あのという人もあるめぇじゃぁねぇか』というのは侍らしくない。やっぱり『あるまいに』とか『あるまいわい』でしょうね。それから、雨もりしたお仏壇を『折を見て直しておきましょう』というのも、『すぐに直しましょう』でないと。また、姑が二人侍に舅殺しのことを言い出そうとするのを笑って押し止どめて、『何でもございません』というのは最もよくない。勘平は既に死を決心している男なんだから、もうそんな姑息なその場遁れはしないと思う。」
この松嶋屋型の勘平が愛之助さんあたりにきちんと受け継がれた舞台を観てみたい。
また、『勧進帳』の弁慶も、花道で主君の義経から「いかに弁慶」と呼びかけられ、「はあーっ」と向きを変えるだけでは家来の身としてよくない。そこはその場に腰をかがめて、頭を下げないと。
この芸談からは私の『勧進帳』を見る楽しみの一つが、弁慶が腰をかがめるか、かがめないか、になった。それで最初に腰をかがめた弁慶を観て仁左衛門さんに報告したのは、文楽の『勧進帳』だった。
仁左衛門さんと勘三郎さんが親しくなったのは、今の中村萬壽さんが五代目時蔵を襲名した時だから一九八一年以来。名古屋公演の御園座で楽屋が一緒になり、「孝夫・勘九郎」と名札を並べた時からで、すぐに気が合って仲良しになり、それからは「孝夫兄ちゃん」を実の兄のように慕っていた。
仁左衛門さんも好んで勘三郎さんと共演して、二〇〇〇年に中村屋かねての念願だった平成中村座が浅草の地に誕生すると、その二年後の公演には、座頭よりも格上の役者としては初めて、松嶋屋が参加出演している。
ただし、新演出の『法界防』や『夏祭』に出ることは決してなく、古典の丸本物をそのままの形で上演するときに限っての参加だったのは、当然のことだったと思う。
まずはその旗揚げ二年目の『義経千本桜』では「渡海屋」「大物浦」の漁師銀平実は平知盛をつとめた。私が、颯爽とした銀平の花道からの登場する姿を褒め、ついでに何故帯を前で結ぶのかを訊ねると、
「それは漁師は船に乗ってて、何かあったらすぐに帯を解いて水に飛び込めるように、前で結んでおく、というのと、もう一つ、後ろに結び目がないほうが長伴天の後ろ姿がすっきりする、ということもあるので」
次の出演は二〇〇八年の『仮名手本忠臣蔵』。
この時はABCD『四つのプログラムがあって、AB篇では大星由良助、Cの本蔵篇では加古川本蔵、Dの若手活躍の時は「六段目」の不破数右衛門。
本役の大星がよかったことは言う迄もないが、「四段目」の判官(勘三郎)切腹の場での掛け付けでは、中村座の長い花道を走り出るのが大変そうだった。
そしてCプロの本蔵篇。この時、仁左衛門さんは本蔵を通しで演じた。三段目の「進物場」。本蔵が伴内に袖の下を入れたりする。いわゆる端場と呼ばれるこの場の本蔵は、大名題の役者が出演するのは前代未聞のこと。ちょっと立派すぎておかしかったけれど、この役がいつか回って来そうな役者たちは毎回見に来て勉強すればよいのに、と思うようなみごとなお手本の本蔵だった。
更に驚いたのは、同じく「喧嘩場」の本蔵。
判官と師直が長いこと言い争っている間、仁左衛門さんの本蔵はずっと衝立の陰にいて、はらはらする様子を演じていた。普通、本蔵はいざとなってから衝立の裏の切り穴から出て判官を抱き留める。それを、平成中村座の桜席は舞台の両脇の高い所にあって、衝立の後ろまで見えてしまう。その数人のお席の観客のために、なんと誠実な松嶋屋は毎回長時間そこではらはらしていたのだった。
あとでそのことを聞いて、私も桜席で観てみたかった、と悔しい思いをした。

┃プロフィール
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。
![春陽堂書店|明治11年創業の出版社[江戸川乱歩・坂口安吾・種田山頭火など]](http://shunyodo.xsrv.jp/blog/wp-content/uploads/2018/04/shunyodo_logo_180325_CS4.jpg)
