
歌人でノンフィクション作家の辺見じゅんさんは、私の数少ない女友達の一人と言える人だった。角川春樹、歴彦兄弟のお姉さん。
「あら、妹さんかと思った」と言ったのが仲良しになった一因かも知れない。
最初に出会ったのは一九八〇年、角川「短歌」愛読者賞を二人揃って受けた時。辺見さんは作品部門、私は評論部門(『日本の鴬―堀口大學聞書き』)での受賞だったが、その会場で二人並んで椅子に掛けていると、やがて大學先生から私への祝電が披露される。
「聞き上手書き上手、次のお仕事が待たれます。今宵の晴れやかな姿を想いながら。堀口大學」
するとそれ迄の遠慮が一気に解けたような、パッと白い花が開いたような辺見さんの笑顔が私に向けられて、いい人なんだなぁ、と大好きになった。
それからというもの、深夜によく電話がかかってくるようになった。何度目かの電話で「あなた、食べられるの?」と訊かれ、一瞬何のことかわからなかったが、ええ、食欲はいつもあるの、と答えるとしばらく小声で笑ってから、生活のことを心配している、と説明があって、ここでもまた好きになった。
電話は旅のお誘いが多く、その頃の新幹線には喫煙可能の車両がまだあって、隣の席の辺見さんの紫煙にいつも悩まされた。
旅先で聞く話から、辺見さんが並外れた父恋の人とわかった。角川書店創業者で俳人の角川源義氏が二十一歳の時に生まれた辺見さんは、その支配下にあった父親が五十八歳の若さで亡くなると、「私もその時死んだ、と思った。それで父のお通夜の晩に、幼ない二人の娘の手を引いて、夫の家を出た」とのこと。
辺見さんのノンフィクションに『男たちの大和』や『収容所から来た遺書』と、太平洋戦争にまつわるものが多いのも「それは父の青春がずっと戦争中だったからよ」と、あくまでもルーツは「父親」なのだった。
ある時、「あなたの菩提寺はどこ?」と訊ねられたことがある。育ての母、照子さんと死別したばかりの時で、角川家は浄土真宗、私の方は浄土宗だけど、「いいわ、そこ紹介して」となって、その三年後の秋に、角川源義氏の五十回忌と母照子さん、妹の真理さんの法要がそのお寺の本堂で盛大に行われた。当日は俳人の森澄雄氏や作家の森村誠一氏、角川春樹、歴彦兄弟と、まるで文学賞パーティー会場のような花やかさだった。
「父の五十回忌が立派に出来たのだから、長女の務めは果たしたわ」ととても満足そうだったが、その頃からの電話では、「駅のエスカレーターで転んだ」とか、「美容院を出る時急に気分が悪くなった」とか「心房細動という病気なの」という話が多くなってきた。
その度に私は、煙草やめたら? とか、またのんびり旅をしない? とか言ってみたが、二〇〇二年に父上の志の高い出版精神を受け継ごうと、角川源義の名に因んだ「幻戯書房」を設立したので、辺見さんはますます多忙を極めていた。その創立五周年の時には、私の『再会の手帖』も出してもらって、奥付に著者と発行人の名が並び、「あの初めて会った受賞パーティーの時みたい」と二人で嬉しがったものだった。
辺見じゅんというペンネームは、本当は弟の春樹氏が考えて使うはずのものだったらしいが、「私が先に使っちゃった」とのこと。本名は眞弓さん。
ある時、私が「眞弓の木」というのを九州の旅館の庭で見つけ、ピンクの実が四つに割れて赤い種子が顔を出す姿がとっても可愛らしかったので、苗木を二本送ってもらうように手配したから、一本を上げるわね、と電話すると、「だめよ、マンションのベランダじゃ育てられないから」と断られて、やむなく『再会の手帖』の奥付みたいに、二本並べて庭に植えた。
二〇一一年、九月二十一日、私は海外の旅先で辺見さんの突然の訃報に接した。脳内出血、まだ七十二歳だった。
帰国してすぐ「銀座百点」の観楓の会に出席した。辺見さんもかつてはこの句会の同人で、
まゆ玉や離村決めたる土間の闇
という辺見さんの句が私は好きで憶えている。
そして私の追悼句
パリで聞く辺見じゅんの死鳥渡る
これを選句してくれたのは辺見じゅんさんとも親しかった冨士真奈美さんだった。
嘘みたいな話だが、庭の眞弓の木の一本はその後間もなく枯れてしまった。
辺見さんの法名は浄土真宗の方式に従って「香月院釋尼眞淳」という。
辺見さんの香り立つ月のようなイメージと、本名の眞弓の眞の字と、筆名のじゅんに最もふさわしいと見られる淳の字が当ててある。
辺見さんも気に入ってくれたと思う。
最後の歌集となった『天涯の紺』の代表歌に私は辺見さんのすがすがしい心境を見る気がする。
人間はなやましきこと多けれど
天涯に桔梗の紺の風吹く

┃プロフィール
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。
![春陽堂書店|明治11年創業の出版社[江戸川乱歩・坂口安吾・種田山頭火など]](http://shunyodo.xsrv.jp/blog/wp-content/uploads/2018/04/shunyodo_logo_180325_CS4.jpg)
