第二十五回 柄本明さん ②
 柄本明さんが折々話す中で心に深く残る言葉がいくつかある。
まずは「内心、恥ずかしいと思って演じない役者はダメ。自分の身体全体をそこにさらして見せるわけだから、さあどうだ! ってやられたら見てる方はたまらない」
 なるほど、志村けんとのコントで、相手の隙を見ては餃子や焼きソバをどんどん食べてしまう食堂の相席客なんか、柄本さんが恥ずかしがって演じているから面白いわけなのか。
 「亡くなった吉右衛門さんの『鬼平犯科帳』に出していただいた時、僕と志村けんのお茶っぴき芸者のコントを面白がってくれて、僕が恥ずかしがったら、ご自身も昔は白塗りで出るのが恥ずかしかった、と言ってくれて……いい役者でしたね」
 十八代目勘三郎さんとのエピソードはたくさんあるが、その中で、
「テレビ映画『森の石松』の時、どんな役をやりたいですか? と制作の人に訊かれて、『三十石船』でこんぴら代参に向かう石松に『寿司食いねぇ』『神田の生まれよ』ってやりとりする江戸っ子の役、って言った。あとで出来上がったのを見たら、志ん朝さんがその役で、俺、恥ずかしいことを言ったな、と思い出しましたよ」
 柄本さんは結局、石松が殺される時にかくま小松村の七五郎役で、その女房役は波野久里子だった。勘三郎が柄本さんをご飯に誘う。
 「京都撮影所の時でしたね。久里子さんも一緒でした。店に着いて五分もしないないうちにきょうだい喧嘩が始まって。その時こんなところに一緒に居られて嬉しいなあ。俺、本物の役者になったのかなあ、と思いましたね」
 柄本さんがその昔、自由劇場にいた頃に、二十歳の勘三郎を「椅子から転げ落ちそうになるほど」笑わせた人の発言としてはちょっと意外の感があるが、柄本さんはああいうアドリブ芝居時代を半分アマチュアと感じていたのかも知れない。

 柄本さんは「役者は所詮見世物だよ、って渥美清さんが言ってたけど、人間が人間を見物する、ってすごい残酷な事ですよ」と言う。怖い話はさらにエスカレートして、
 「スターというのは大きな不幸を背負っていて、見物はその不幸に対して拍手する。もっと不幸になれ、もっと不幸になれ、って。ジェイムス・ディーンとか美空ひばりとかマイケル・ジャクソンとか、絶頂の時に亡くなるとみんなが思い切り泣きますよね。大衆はスターに憧れながら、嫉みもあって、その不幸を見るとあぁ自分はこれでよかった、と自分の平凡な人生と折合いをつけるんですよね」
 ずいぶん前のインタビューで私に語った言葉だが、そうだろうか、もう少し人間の善意を信じても……と私は思った。
 柄本さんが数年前に夫人の角替和枝さんを亡くされて深く嘆いていた時、誰もそんなふうには思わなかったと思うけど。

 二〇一九年の一月末、私は柄本一家と由縁の深い下北沢のタウンホールで行われた和枝さんのお別れ会に行った。その時の柄本さんの挨拶。
 「仲間のベンガルや綾田俊樹が『暫』という劇団に可愛い子がいる、と言うので観に行ったら、本当に可愛いかった。多分僕が一番可愛いと思ったので、結婚したのだと思う。とてもいい人間でした」
 淡々と語って参列の人たちの心を打った。毎年人間ドックに行っていたのに、和枝さんは原発不明のがんで亡くなられたという。2人は毎朝必ず近くの喫茶店へ行って二時間おしゃべり。夫婦喧嘩をしていてもその喫茶店へは行ったという。それほど仲良しのご夫婦だった。
 二年程前、「婦人公論」のインタヴューで柄本さんに会ったら「もうだいぶ慣れましたか?」とか「立ち直れましたか?」と人に訊かれるけど、「ぽっかりあいた穴はそのまんま」だそうだ。
 そしてこのところほとんど毎日、柄本さんは自身の「東京乾電池」稽古場で朝の九時から三十分間、劇団員がそれぞれ本を持ち寄り、ご自身も出演して、朗読会を開いている。入場無料とあって、近所の人たちが常連客だとか。
 「まあこうして、チェーホフの台詞じゃないけど、こうやって生きて行くんですね」
 と、柄本さんがインタビューを終らせるので、私はすぐに柄本さんの当り役『ワーニャ伯父さん』の終幕、幕切れ近くの台詞、「明日も生きて行きましょうよ、ね、ワーニャ伯父さん」と受けた。
 柄本さんが「そうだね、ソ―ニャ」と返してくれて、「こういう話ができて、今日は嬉しかった」と静かに笑った。

 この四月、下北沢の稽古場で井上ひさし作『父と暮せば』の朗読会があると知って、友人を誘って出かけて行った。こちらは東京乾電池の公演で入場料は三千円。会場は満席で私の前に今も柄本さんが通う喫茶店のマスターがいた。
 『父と暮せば』は井上作品としては珍しく何のてらいもなくストレートな感動を呼ぶもので大好きだが、この日の柄本さんもどこもはずさない熱演で、素晴しかった。
名優の域に到達したのだ、と嬉しかった。


プロフィール
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。