
篠田正浩監督とはずいぶん前から知遇を得ていたが、その夫人である岩下志麻さんを初めてナマで見たのは、東京文化会館へオペラを観に行った時だった。その日は小雨で、志麻さんは長い傘を小脇に抱えて監督と並んで階段を降りていた。開場間もなくだったのでかなりの混雑で、その傘の石突きが後ろから降りる者にはちょっと危ない、と私が思うと同時に監督が黙ってスッと夫人の傘の持ち手のところを持ちあげたので石突きが下がり、事なきを得た。二人は何ごともなかったように階段を降り続け、私はつくづく素敵なご夫婦だなあ、と温かな気分になった。
志麻さんにインタビューしたのはそれから何年かあとのことで、初対面なのにずいぶん深い話を聞くことができた。
志麻さんには霊感みたいなものが子供のころからあって、ある明け方近くに不思議な夢を見る。志麻さんを可愛がってくれていた祖母が戸板に乗せられて、それを何人もの小人たちが担いで足早にスーッと走り去って行く。そして目が覚めると、やはり祖母が亡くなっていた。
また、長じてからも「小津安二郎監督が亡くなった気がする」と、言い当てた、とか。
でも、最高の霊感はある時篠田監督とマンボを踊りながら、「この人と結婚しそうな気が」して、それをその場で監督に告げたことだと思う。
監督は驚きながらもやがてそれに応え、二人は理想的な映画人としての人生を全うすることになる。なお、志麻さんの霊感はお子さんを授かった時点で消えたということだ。
前に篠田監督から聞いた話だと、最初、詩人の白石かずこさんと結婚していた時は、スポーツマンタイプの自分は決まった時間に食事を摂りたかったが、妻が食卓でずっと原稿を書いていて、生活のリズムが合わず、それが離婚の一因、という。
そこで思い当るのは、フランスの画家マリー・ローランサンの離婚の理由は、夫であるドイツ人の画家の規則正しい食生活に応えるのがいやになって、という話(詩人の堀口大學先生から伺った)。
そこで篠田監督は、結婚によって志麻さんを女優としてますます大成させるための案を講じる。
「映画の制作費を妻である女優から借りることは絶対にしない。家事は人に任せて、家庭はあくまでも休息の場にする」というもの。
おかしいのは、その頃は固定電話しかない時代で、「いつ、うちに掛けても話し中で、二人居るお手伝いが、休みの日のためにチケットぴあに予約の電話をずっと掛けてるんだ」という話だった。
インタビューなのに、私が監督から伺った話をいっぱい紹介すると、「何でも話しちゃうのね」と笑って、「お茶のお代わりは、コーヒー、紅茶、何がいい?」と訊かれて、目の前に出されている志麻さんの陶芸作品のお湯呑みをじっと見つめる。それはいかにもスラリとした長身の志麻さんにふさわしいすっきりとした縦長で、暖かな乳白色の地に、藍色と青磁と極細の黒い線があしらわれた素敵なお湯呑みで、そこには「志」の字が刻み込まれている。お代わりはこれがいいわ、と言ってみたら、ちょっと呆れてから「いいわよ」と笑ってプレゼントしてくれた。
帰りがけ、靴を履き替えるためにかがんだら、志麻さんに後ろから抱きしめられて、「母性を感じる……」と呟くのが聞こえた。霊感はなくなったはずなのに。でもそれでいっぺんに二人の距離が縮まってしまった。
それからは仲代達矢さんの芝居とか、おすすめの歌舞伎とか、監督を交えた食事とかをご一緒して、楽しいことがいっぱいあった。
篠田監督が去年三月に亡くなられて、志麻さんの嘆きはひとかたならないものと思われた。志麻さんは短いコメント以外どこの取材も受けなかったが、「婦人公論」で初めて私のロングインタビューに応じてくださった。
この時はもう悲しい話は抜きにして、楽しかった想い出ばかりにして少しでも元気を取り戻していただくことに専念した。
それで監督との初対面は『乾いた湖』(1960年)のオーディションの時で、ショッキングピンクの五分丈のショートパンツに、アロハっぽいものをパッと羽織って、金のペンダントの監督に、「あの、監督さんは?」と訊くと、「僕です」と言われたとか。
その後、小津監督の『秋刀魚の味』(62年)の主役に指名されたのも、「篠田に、『岩下志麻って、どんなもんじゃい』と訊ねて、何と答えたかは知らないけど、その結果でしたからね」とか。
結婚後、夫妻で「表現社」を設立。その第一作の『心中天網島』(69年)をヴェネチア映画祭に出品することになったが、「閉所恐怖症で高所恐怖症なので、飛行機に乗るのはいや、って篠田に土下座して頼んだ」とか。
でも結局はまず到着したパリで、思い切り楽しむことができたそうで、楽しい思い出を語ることで、志麻さんの表情に輝きが戻ってくるのを眺められることはその日の私の喜びだった。
最近「篠田正浩レトロスペクティブ」という催しが渋谷のル・シネマであって、志麻さんは監督没後初めて公の場に姿を見せ、「類いまれな才能、人間的に素晴しい人を夫として五十八年も一緒にいられて本当に幸せだった」と語った。
世の中にこんなふうに結婚生活を振り返られる女性がどれくらいいるだろうか、と心から志麻さんの幸せを喜んだ。

文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。
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