第二十八回 尾上右近さん
 歌舞伎の将来を担うであろう若手花形五人のうちに間違いなく入るのが尾上右近だと思う。
 父方の曾祖父が不世出の名優六代目尾上菊五郎で、母方の祖父が甘いマスクの映画スター鶴田浩二なのだから、どの血を引いても魅力的なのに決まっている。本名は岡村研佑。愛称はケンケン。
 そのケンケンが三歳の時、父方の祖母、多喜子さんの家で六代目菊五郎の『鏡獅子』の映像を見せられて、心が激しく揺さぶられ衝撃が走る。「僕は今にこれ・・になる」と宣言し、両親に頼んですぐに尾上流家元の尾上菊之丞(現・墨雪)師に入門し、日本舞踊を習い始める。
 五歳の時、清元の高輪派家元である父・延壽太夫師にくっついて歌舞伎座へ行き、五代目中村富十郎と四代目中村雀右衛門の『吉野山』(狐忠信と静御前の道行)を観てまたまた感動してしまい、それからしばらくは真似ばかりして過ごす。
 その昔、本名の岡村青太郎として俳優の経験のある父親が、そんなに歌舞伎が好きなのなら、幼い頃の思い出作りに一度舞台に出してみようかということになり、『舞鶴ぶかく雪月花』の「月の巻」に子供の松虫の役で舞台に立たせる。
 この舞台を私は観ているが、親松虫で共演した十八代目勘三郎(当時は勘九郎)さんがあとで舌を巻いて褒めたほどのいい出来だった。
 その後私は月刊文芸春秋の巻頭随筆に「天才少年ケンケン」という一文を寄せ、それを読んだケンケン祖母の多喜子さんと歌舞伎座ロビーで出会った時の満面の笑顔が忘れられない。
 
 戦後間もないころの帝劇で少女の私は母に連れられ、六代目菊五郎と多喜子さんが父娘で共演した宇野信夫作の『くるま』という芝居を観ている(多喜子さんの長兄が尾上九朗右衛門で長姉が十七代目勘三郎夫人の久枝さん)。六代目が俥夫しゃふの役、多喜子さんはその娘で、ある日奉公先から戻ってくる。下駄の内職をしている兄嫁は梅幸だった(ここでちょっと脱線するが、六代目はこの役に文学座の杉村春子と並ぶ名女優、田村秋子を指名するが、田村はそれを辞退する。理由は、不器用な自分は多分鼻緒の扱いがうまく行かず、六代目をいらいらさせかねない、というもので、このことを私はずっとあとで知った)。
 多喜子さんは家の貧しさを思って奉公先からわずかなお金を盗んで持ってくる、みたいな娘の役で気の毒だったが、六代目の俥夫はさんざんその娘を叱った挙句、娘を俥に乗せて奉公先に謝りに行く、と言うのが幕切れ。六代目が脚を軽く蹴りながら花道を通り過ぎて行った姿をよく憶えている。
 誰に似ても右近さんには、こうした役者の血が色濃く流れているのだろう。

 多喜子さんから孫自慢で聞いた話があった。
 六代目菊五郎が一九四九年に亡くなり、梅幸、松緑(二代目)を中心に新しく菊五郎劇団が発足すると、その後の劇団の記念行事の名物演目によく『かっぽれ』が上演された。揃いの浴衣の出演者が総出でかっぽれを踊り、楽屋落ちの楽しい趣向が披露された。その総踊りでひと際目を引く子役が岡村研佑だった。手拭いをくるくると固くって、それを投げ縄のようにパッと振り上げると、まるで生きた蛇のようにケンケンの坊主鬘にくるくると巻きついて行く。観客は私も含めて一斉に感嘆の声を挙げて拍手を送った。
 多喜子さんによると、舞台稽古で先輩役者のその鮮やかな妙技を初めて見た目にしたケンケンが、寝るのも忘れて稽古に励み、初日から何日目かにようやくできるようになったのだとか。
 そのケンケンが晴れて、二代目尾上右近を襲名するのは二〇〇五年一月の新橋演舞場。七代目尾上菊五郎の膝元で修業を積むことが正式に決まり、昼の部では『文七元結』の左官長兵衛の娘お久が披露の役だった。美しく着飾ったお久を廓から貧乏長屋に送り届ける鳶頭役で出ていた現團十郎(当時海老蔵)が、劇中挨拶で「右近君は小さい頃からずっと舞台に立ちたい、役者になりたいと考え続けていたそうですが、私なんか子供の頃は、なぁ~んにも考えておりませんでした」と祝って笑いを取っていた。
 
 その後の右近さんの成長ぶりはめざましく、私は何度もインタビューや対談でよくお会いした。
 ある日、右近さんが歌舞伎座三階食堂でのトークに出演するというので聴きに行くと、近々『仮名手本忠臣蔵』で桃井若狭之助と斧定九郎をつとめるに当り、僕は『芸づくし忠臣蔵』(関容子著)をバイブルとしてよく読んでいて、他の若手俳優の楽屋にも大抵この本が置いてある、と話してくれて嬉しかった。このことが春陽堂書店の編集者清水真穂実さんに知れて復刊の話が持ち上がり、めでたく実現の運びとなった。
 右近さんは帯に推せんの言葉を寄せ、晴れて東京會舘での出版記念のパーティーでもトークの相手をつとめてくれた。
 司会者の清水さんが開会の挨拶をする間、会場への大扉を二人の係員が手を添える前で、私は右近さんと腕を組んで開場を待った。これで何年もかけて書いた苦労が報われるわ、と私が言うと、「こんなことくらいじゃ報われないよ」と、優しい右近さんが言った。


プロフィール
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。