
獅童さんを初舞台から私は観ている。
一九八一年六月の歌舞伎座。今の中村萬壽さんが前名の四代目時蔵を襲名した披露狂言『妹背山婦女庭訓』の「御殿」で豆腐買おむらに手を引かれて出る娘おひろの役だった。獅童さんは八歳で父が名乗っていた芸名を二代目として受け継ぎ、大叔父に当る十七代目勘三郎に劇中で披露された。
この豆腐買おむらという役は立役がつとめることが多く、その後仁左衛門、十八代目勘三郎、中車などでも観ているが、私は十七代目のふっくらと風雅で大和絵風のおむらがとても好きだ。獅童さんを紹介するのでも、「私はこの子の父親の」と、ここでちょっと間があって「叔母にあたります」でまず笑いを取る。そして終りに「将来、この獅童の子供が初舞台を致します時も、またわたくしがこうやって、その子の手を引いて出て参ります」と言って、客席を大喜びさせていた。
最近になって獅童さんにその話をすると、「それが毎日、ちょっとずつ違うんです。僕を舞台に置き忘れて。花道へ行ってから慌てて引き返してきたりとか」
この初舞台から二年後、六代目中村歌右衛門の『春日局』の竹千代役で好演し、松竹社長賞を受けるが、その後の変声期から演じる役が無くなって、いつの間にか歌舞伎から遠去かっていた。少年獅童には、熱帯魚のグッピーを育てたりして孤独を慰める不本意な時期があったと聞いている。歌舞伎役者にとって、父親の後ろ盾がないことは致命的だから。
それというのも獅童のパパが十代の頃、すぐ下の弟の萬屋錦之介と、末弟の中村嘉葎雄の三人が舞台稽古の時に、ある大幹部俳優から「役者辞めちまえ」と迄言われたのをその身に引き受けて「俺が辞めてやる!」と鬘を投げつけ、花道を走り去ってそのまま役者を廃業した。この武勇伝は芝居好きの間で今もかなり語られている。
でも、周りがすべて役者という家の中で、一人蚊帳の外にいる元獅童はさぞ寂しかったことだろう。
のちに獅童の母となる小川陽子さんの話では、「私たちお見合いなんですが、何度目かに会った時、お宅に誘われたらお部屋に堀口大學先生の直筆の額が掛けてあって、それを見てぐっと来ました」とのことで、その歌とは、
さかしまにものいふくせもみづからの
このさびしさを忘れんがため
というもの。この話がきっかけとなって生前の大學先生の謦咳に接したことのある私を夫の三喜雄さんに紹介し、何度かとりとめもなく話すうちに、頑なに歌舞伎から心を閉ざしていた三喜雄さんが、ふと息子の舞台を観る気になった。
「誰が頼んでも絶対に来なかった親父が、来出したらもう幕が開いて僕がただ座ってるだけなのに大きな目立つ拍手をしてくれて……」
と、獅童さんが今も喜んでくれている。
最近「婦人公論」連載のインタビューで獅童さんに会った。グッピーの頃の面影はどこへやら、今では押しも押されもせぬ看板役者。
まずは「勘三郎のお兄さん」の話から始まる。
獅童さんの名前が世に出るまで、どのくらい多くのオーディションを受けてどれほどいっぱい落ちているかわからない、という。
その中には野田秀樹『贋作・桜の森の満開の下』も本名で受けていて、最後迄残ったが落ちたそうだ。
「そのことを勘三郎兄さんに話して間もなく、歌舞伎座で『研辰の討たれ』をやることになりました。その時に僕がオーディションに落ちた話を兄さんが野田さんにしたんですね。『じゃあ』って野田さんが僕向きのちょっと面白い役をそこに書いてくださったとかで、『よかったなあ、お前』って」
すると、いいことは重なるもので、なんと、獅童さんが大ブレークする映画『ピンポン』のオーディションに合格する。でも『研辰』に出ていると、『ピンポン』には出られない。
「すぐにお兄さんのとこへ言いに行きましたよ。『ピンポン?何なのそれ。いい役なの、それ』『二番手の役ですけど』『あ、そう、それやったほうがいいよ。あんたそっちやったほうがいい!』って言ってくれました。もしも『こっち先に約束してんだからこっち出なきゃダメだよ』って言う人だったら、このチャンスを逃したわけなんです」
やっぱり勘三郎さんは立派な人だ。芝居の公演中に映画のいい話が来て、それを座長につぶされたという人の話を私は前に聞いたことがある。
そして獅童さんが言う。
「勘三郎のお兄さんの話は、もうあまりしたくない。あの人は凄かった、凄かったって言ってると、それで自分が終わっちゃう気がする。一生あの人は超えられないとは思うけど……」
と言ったあとに続けた言葉がすごい。
「でも生きていれば亡くなった人より可能性はありますからね」って。
ああ、立派になったなあ、と思う。
「役者の中身が全部見えてしまうのが舞台であり、映像ですよね。良いこと悪いこと、嬉しいこと悲しいこと悔しいこと、総てが役者像を作り上げて行く。特に歌舞伎の時代物なんかは人間性の厚みみたいなものがないと『腹芸』にならない。お客さんもちゃんとそれを見極めているんですよね」
まさにその通りで、人気というものの本質を実に見事に言い現している。

文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。
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