第三十二回 岡本健一さん ①
 岡本健一さんに初めてインタビューしたのは神奈川県の黒川にある劇団民藝の稽古場、二〇二四年の暮れも押し詰まったところで『グレイクリスマス』の稽古中だった。
 それ迄の舞台から受ける印象は、『蜘蛛女のキス』(一九九一年)の若き革命家ヴァレンティンにしても、『嵐が丘』(二〇〇二年)のニヒルなヒースクリフにしても、『リチャード三世』(一二年)の屈折したタイトルロールにしても、いずれも眉をしかめた気難しそうな役どころで、それに私は男闘呼組でのアイドル時代をよく知らないし、もし心を開いて話してくれなかったら、という懸念があった。
 すると、暗くならないうちにツーショットの撮影が先、というので、ますます心配になって、薄暗い廊下の丸椅子に掛けて待っていると、そこにバタバタと現れた「健ちゃん」(奈良岡朋子さんがそう呼んでいたとか)が、私より低い目線から右の手の掌に顎を乗っけて、
「あのさぁ、そこに本があって読んだんだけど、アラン・ドロンが観光客と会食するパリツアーというのがあって、池部良さんが僕もそんなのをしてみたい、って言って、関さんが友達集めて会食した、って話、いいよねぇ」
 と笑いかけた。初対面の手続きを取り払ってしまうこういう出会い方は、若き日の十八代目勘三郎以来で、私の心配は即、雲散霧消した。
 ツーショットの撮影は稽古場の狭い外階段の最上段に二人並んで腰をおろし、カメラマンが下から見上げて撮る形になったが、あとで見てみると何だか十年来の知己が再会を喜び合っているみたいな笑顔になっていた。
 インタビューはいい具合に進んで、ジャニー・喜多川さんの「ユー、明日は何やってんの?」という口調とか、ジャニーという名前から外国人みたいな人を想像して行ったら、淀川長治さんみたいな人だった(笑)、とかいう話を聞く。
 私が以前よく通いつめたベニサン・ピットという小劇場で観た「蜘蛛女」のヴァレンティン役は健一さん二十二歳の時だったと聞いて今更ながら驚いた。あの時相手役のゲイの男モリーナ役だった村井國夫さんは四十七歳。のちに村井さんにもインタビューして聞いた話では、役柄の気恥ずかしさからある日稽古場をエスケープして、翌日気を取り直して出掛けてみると、「岡本君が『これ芝居なんだからさぁ、そう思えば何でもないよ』って、ハグしてくれて、お前俺より大人か? って思いましたよ」とのことだった。
 そう言えば、健一さん中三の時に千六百人くらいのオーディションから選ばれて『サーティーン・ボーイ~僕は札束中学生』というTBSテレビのドラマに主演する。少年が盗んだ通帳から大金をおろして全国を豪遊する話で、中には初体験するシーンがあったりして、それを家族と一緒に茶の間のテレビで観ることはとても恥ずかしかったという。私もそれはそうだ、と同情する。でも健一少年はそこできっぱり決断する。
 「プロの俳優になるからには、羞恥心を失くせばいいんだ」と。
 中学生の男の子がなかなか思い至る境地ではない、と舌を巻いた。
 健一さんが劇団民藝によく客演する理由は、名女優奈良岡朋子さんへの敬愛からだろう。
 民藝の舞台で共演したいと言い続けて、四十歳の時に実現したのが二人で手紙のやりとりを朗読する『ラブ・レターズ』(十一年と二十一年)だった。
 次に本格的な舞台の共演はテネシー・ウィリアムズの『二人だけの芝居―クレアとフェリースー』(一六年)。女優と劇作家の姉弟の芝居で、奈良岡さん八六歳、健一さん四六歳だった。
 この芝居を演出した丹野郁弓さんによると、「劇団員たちには大女優奈良岡に対する畏怖の念があってどうしても固くなるが、岡本健一はまったく奈良岡を畏れない。それで成功した」
 ここで強く思い当った。岡本健一は人と会う際に、年齢、性別、肩書きなど、面倒な俗事をパッと剝ぎ取って、人間の中味と中味でつきあうのだろう。
 初対面の私にかなり立ち入った話をしてくれて、おまけに年明けの四日にまだ話し足りなかったから出版社の編集部で続きを、という要望があって、最初の結婚の経緯や育児のことなどを淡々と、時に熱く語ってくれた。
 中でも、女の人は十月十日も苦しい思いをするのだから、その後の一年間は子育てに専念したいと仕事をセーブした、という話は感動的だった。それが現在の岡本圭人君。とても仲良くしてるらしい。
 また、入院中の母親の見舞いに行って、アイドル時代の健一さんが欲しい物を訊ねると、「ヴァレンティノのバッグ」と言われたのに、間もなく母親が早逝して、それが一生の悔いになっているとか。
 正月で、編集者と三人だけのガランとした編集室を出て、健一さんが遠回りなのにタクシーで私を家迄送ってくれた。
 車中では彼が熱心な聞き手に回って、観た芝居、出逢った人をいっぱいいっぱい話すことになった。
 ちょっとだけ奈良岡さん気分を味わったみたいで、幸せだった。

プロフィール
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。