【第1回】新連載の「まえがき」的なモノ

 ここ数年、ぼくはつくづくこう思っています。
 みんな「ごきげん」でいることをナメすぎてるぜ!
 よく考えてみて下さい。ごきげんでいることって、究極的には「人生の目標」だと思いません?
 なぜか?
 理由はとても単純です。
 ごきげんでいることは、純粋な「幸せ」と同意だから──です。
 人生、幸せかどうかがいちばん重要ですもんね?
「ああ、私は幸せ(=ごきげん)だったなぁ」と満足しながら死ねたら、その人生はまさに至高ともいえるでしょ? だからナメちゃいけないのです。
 ぼくらは幸せを味わうために、遊んだり、働いたり、食べたり、人と会ったり、本を読んだり、旅をしたり、映画を観たりします。生まれてから死ぬまでのあいだ、ずっと幸せを求めて行動しています。つまり、ごきげんでいたいと願っているわけです。
 あなたの周りにも、いつもごきげんでいる人っていますよね?
 そういう人って、当たり前ですけど、にこにこしていて「とても幸せそうな空気」を発散しているはずです。そういう人の近くには、同じ空気感を持った人が集まるので、その人はもちろん、集まった周囲の人たちも、相乗効果でますますごきげんになっちゃうんですよね。いわゆる「類は友を呼ぶ」ってやつです。
 じゃあ、そもそも「ごきげん」って、どうしたらなれるのか?
 いちばん簡単な方法は「ごきげんのハードルを下げること」だと思っています。これこそが究極のコツじゃないでしょうか。
 以前、ぼくは「きらきら眼鏡」という小説を書きましたけど、まさにそのことを書いています。心に「きらきら眼鏡」をかけて、人生の細かいところまでいちいちキラキラさせちゃえばいいよって。
 たとえば心に「きらきら眼鏡」をかけると──、一晩寝かせたカレーがめちゃくちゃ美味しい。窓から入ってくる風が気持ちいい。雨の匂いが素敵。お笑い番組が楽しすぎる。二度寝サイコー。爪がきれいに切れて嬉しい。でっかい耳垢が取れて感動! 滑ってコケたのに大怪我しなかったぜラッキー♪ なんて感じで、いちいち幸せを味わえるようになります(笑)。 
人生に何が起きたか、ではなく、起きたことをごきげんに捉えたか、が大事なわけです。最終的には「生きてるだけで丸儲け」ってやつですね、きっと。
 ぼくは小説家なので、原稿を書いていると当然疲れます。首も肩も背中も腰もバッキバキに凝りますし、脳みそも沸騰しちゃいます。そういうとき、気持ちを「ごきげん」に戻すために、よく散歩をします。歩いていると、この世界のいろいろなモノが目に入ってきます。匂いも、音も感じられますし、風の肌触りや足の裏の感触も愉しめます。歩きながら五感をまるっと「きらきら眼鏡」で味わいさえすれば、「ごきげん」になるのに時間はかかりません。
 散歩って、とてもお手軽な行為なのに、ちょっぴり感受性を磨いて「幸せのハードル」を下げておくだけで、とても、とても、味わい深い世界と出会えるものです。逆に言えば、散歩をしただけで「ごきげん」を味わえるようにさえなれれば、その人の人生はきっと素敵になると思うのです。

 というわけで──、散歩が大好きな小説家であるぼく=森沢明夫が、なるべくごきげんな感じであちこちを歩き回って、お気軽なエッセイをしたためようと思います。話題もあちこち脱線すると思いますが、その辺は、ぜひとも「きらきら眼鏡」をかけて大目に見てやってください。
 写真はすべて、ぼくがiPhoneで撮影したものを使う予定です。昔、写真集編集者をやっていたわりに下手くそで恐縮ですが、散歩道の雰囲気だけでも愉しんでもらえたらと思う次第です。
 では、ごきげんな散歩道へと、のんびり歩き出します。
 肩の力を抜いてお付き合い下さいませ。
(写真は全て筆者撮影)

『ごきげんな散歩道』(春陽堂書店)森沢 明夫(著)
春陽堂書店オウンドメディアでの人気連載「森沢明夫のごきげんな散歩道」待望の書籍化!
書き下ろしあり。 オールカラーでお届けする、心ほぐれる40話。

この記事を書いた人
森沢 明夫(もりさわ・あきお)
1969年、千葉県生まれ。小説家。早稲田大学卒業。
吉永小百合主演で映画化された「虹の岬の喫茶店」をはじめ、有村架純主演の「夏美のホタル」、高倉健主演の「あなたへ」など、映画やドラマとして話題になったベストセラーが多い。また、エッセイ、絵本、作詞なども手掛けている。近刊には「エミリの小さな包丁」「かたつむりがやってくる」「水曜日の手紙」「雨上がりの川」などがある。