漂泊の俳人・種田山頭火とは
種田山頭火は明治15年、山口県防府市の大地主である種田家の長男として生まれました。
名家の子として裕福な日々を約束されていた彼に最初の不幸が訪れたのは、11才の時。父の放蕩を苦にした母の自殺です。この事件を彼はのちに「一族の不幸のはじまり」といっていますが、山口中学から早稲田大学への進学で文学への意欲をめざめさせ、酒の味も覚えた彼は文学に熱中。28才で結婚してからも家や妻子をかえりみず、荻原井泉水の句詩「層雲」に投稿をはじめ、花形作家として注目を集めます。
しかし彼の句に、現代の私たちをも揺さぶるような詩精神の深まりが見えてきたのは、やはり大正14年の出家得度からでしょう。禅僧の修行で得た心の平穏によるものか、久しぶりに「層雲」誌上に掲載された句は、「新生・山頭火」を印象づけるものとして大きな反響を呼びました。またこの頃から旅を日常とする行脚の生活に入った山頭火は、山陽・山陰・九州などの各地を遍歴。自然と酒を友とする日々のなかで冴えきった句を次々と作ってゆきます。
45才からという遅い旅立ちでしたが、この時から59才の生涯を終える日まで、雲や水とともに流れ野山をさまようことは、彼にとってそのまま句を詠むことになったのでした。
山頭火を読む~書籍
春陽堂書店では数多の種田山頭火関連書籍を出版しています。
≪NEW≫『入門 山頭火』 町田 康・著
「人間のどうしょうもなさ、を見て戦慄する。なぜならそれが間違いなく俺の中にもあるものであるからだ」
~『入門 山頭火』本文より
作家・町田康が自由律の俳人・種田山頭火に向き合う。
その生涯と俳句をめぐる文芸エッセー。
「人間のどうしょうもなさ、を見て戦慄する。なぜならそれが間違いなく俺の中にもあるものであるからだ」
~『入門 山頭火』本文より
作家・町田康が自由律の俳人・種田山頭火に向き合う。
その生涯と俳句をめぐる文芸エッセー。
『新編 山頭火全集』
山頭火研究の第一人者である村上護氏が監修・校訂した全集を基に、山頭火の俳句、日記を全て収録。俳人であり、研究者でもある坪内稔典氏による全巻解説を附す。全8巻のセット函、各巻に巻頭口絵、月報つき。
山頭火研究の第一人者である村上護氏が監修・校訂した全集を基に、山頭火の俳句、日記を全て収録。俳人であり、研究者でもある坪内稔典氏による全巻解説を附す。全8巻のセット函、各巻に巻頭口絵、月報つき。
『漫画 山頭火』竹内一郎(原作)、川端新(漫画)
“どうしようもないわたしが歩いてゐる”
漂泊の俳人・種田山頭火。名句とともに綴るその激しき魂と人生。世俗を捨て、泥酔と放浪を重ねながら、山頭火が追い求めたものとは? 没後80年を経て、今なお現代人を魅了する孤高の俳人の生涯を漫画化。
“どうしようもないわたしが歩いてゐる”
漂泊の俳人・種田山頭火。名句とともに綴るその激しき魂と人生。世俗を捨て、泥酔と放浪を重ねながら、山頭火が追い求めたものとは? 没後80年を経て、今なお現代人を魅了する孤高の俳人の生涯を漫画化。
山頭火を読む~オウンドメディア
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【インタビュー~山頭火が生まれた町 山口県防府市を旅する】
┃プロフィール
種田 山頭火(1882~1940年)
自由律俳句の俳人。本名・種田正一。
1882年、現在の山口県防府市に大地主の長男として生まれる。早大文学科中退。稼業の酒造業を営むが破産し、家は没落。俳句では「層雲」の荻原井泉水門下となる。43歳で出家得度する。行乞放浪の生活を記録した膨大な日記や、「分け入っても分け入っても青い山」「まっすぐな道でさみしい」など12000句以上の俳句を遺す。1940年、松山市「一草庵」にて泥酔のまま58歳で亡くなる。
自由律俳句の俳人。本名・種田正一。
1882年、現在の山口県防府市に大地主の長男として生まれる。早大文学科中退。稼業の酒造業を営むが破産し、家は没落。俳句では「層雲」の荻原井泉水門下となる。43歳で出家得度する。行乞放浪の生活を記録した膨大な日記や、「分け入っても分け入っても青い山」「まっすぐな道でさみしい」など12000句以上の俳句を遺す。1940年、松山市「一草庵」にて泥酔のまま58歳で亡くなる。