自由律の俳人、種田山頭火が生まれた山口県防府(ほうふ)市には、山頭火ゆかりの場所が今もなお町中に点在しています。このシリーズでは、山頭火に詳しい方々への取材を通して、種田山頭火の知られざる魅力に迫ります。


2017年秋、種田山頭火の生まれ故郷、山口県防府市に「山頭火ふるさと館」が完成しました。今回は、山頭火ふるさと館の館長、西田さんに「山頭火ふるさと館」について、お話をお伺いしました。西田さんだからこそ語れる山頭火の魅力とは ───。

山口県防府市にある「山頭火ふるさと館」。

── まずは、山頭火ふるさと館についてご紹介ください。
 山頭火ふるさと館は、俳人の種田山頭火の記念館です。防府市は、山頭火が生まれたふるさとなので、防府市民はこの記念館が完成するのを待ち望んでいました。山頭火ふるさと館の構想から完成まで、15年以上の歳月がかかりました。2017年10月にオープンし、防府市民だけではなく、全国の山頭火ファンの方々に足を運んでいただいています。これまで山頭火の記念館はなかったため、当館が魅力を発信する役割を担っていきたいと思っています。
── 山頭火ふるさと館の魅力はどんなところですか?

山頭火ふるさと館 館長の西田稔氏。

 山頭火ふるさと館ができる過程で、多くの方から資料をいただき、現在では資料が2,400点にも上ります。山頭火の生家はお酒を造る仕事をしていたことがあり、その酒造場の跡にあった酒樽の現物をご覧いただけます。こちらは国内唯一の資料ですので、大変貴重な物だと思います。

 常設展示では、山頭火の七句集の実物をご覧いただけますし、年間6回ほど開催している特別展示では、短冊に書いた「分け入つても分け入つても青い山」などの有名な句をご覧いただけるようにしています。当館だからこそご覧いただける、山頭火の資料が揃っていることが魅力ですね。


種田酒造場で使用されていた酒樽のまくら木。

 山頭火は全国を旅していたので、自分の句を作っては、宿泊した宿や、世話になった人に残したりするなど、作品はいたるところに点在しています。山頭火ふるさと館ができる過程で、山頭火の句や書が集まってきました。そういう意味では、山頭火を愛するファンが、みんなで作り上げたともいえるかもしれないですね。
── 山頭火ふるさと館には、どのような方々が訪れていますか?
 当館がオープンしてから、8ヶ月が経過しましたが、19,000人の方に訪れていただいております。このうちの65%の方が、市外や県外からお越しになっています。残りの35%が、防府市民ということになります。また、19,000人の来訪者のうち、70%の方が50〜80代のお客さまです。ですので、ある程度人生経験を積まれた方が山頭火に魅力を感じ、足を運んでくださるのだと思います。

山頭火のエッセイ、砕けた瓦 (或る男の手帳から)。

 年配の来訪者の方からいただいたアンケートには、「山頭火の句に触れて、あらためて心が落ち着いた」「また前に進むことができた」など、山頭火の句を読んで力や勇気をもらった、背中を押してもらったという感想がとても多いのです。山頭火の生き様や句から、これまでの長い人生の中であった苦しかったことなどを思い起こし、なにかを感じ取っていただけているのだと思います。
 防府市内のお子さんや若い方は、山頭火について学ぶ機会があるので来館してくれることもありますが、市外の若い方が足を運ばれることは、残念ながらまだ少ないですね。本当に稀に海外からお越しくださる方もいますが、基本的には日本人の方が中心です。男女比は、半々くらいといったところですね。
── 西田さんご自身はこの施設の館長として、特別な思いはありますか?

山頭火の魅力を伝えることはライフワークと語る西田さん。

 山頭火ふるさと館が完成するまでに長い歳月がかかりました。これは、防府市民も山頭火を受け入れる心の準備が必要だったからではないかと思っています。また山頭火は母を亡くし、弟も自殺し、家も潰れて逃げるように防府市を去っていきました。だからこそ、ふるさとに帰ることはできないという山頭火の寂しさや孤独感、苦悩があったのだと思います。そういう意味で、山頭火が防府市を去って、100年以上が経ちますが、ようやくふるさとに帰ってこられたのだと思うと、感慨深いですね。
 私自身も小学校の校長をしながら、子どもたちに山頭火の魅力を伝えてきました。山頭火の魅力を伝えることはライフワークのようになっていたので、この山頭火ふるさと館が完成し、魅力を発信し続けられる場所ができて本当に良かったと思っています。
山頭火ふるさと館
初代館長 西田 稔

1955年生まれ、千葉大学卒業。
教育活動に40年携わる。山口県内の各学校で教諭・教頭・校長として勤務。山口県教育委員会、山口県知事部局での勤務を経て、ルーマニア国ブカレスト日本人学校校長として在外教育施設に派遣される。帰国後再び山口県教育庁、防府市教育委員会で教育行政に関わり、山頭火の母校である防府市立松崎小学校校長を最後に定年退職。その後山口県私立幼稚園協会事務局長を経て現職。

山頭火が生まれた町、山口県防府市を旅する【2】「山頭火ふるさと館」館長インタビュー(後編)に続く
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