クレオール文学からアフリカ文化論へ

語り手・中村隆之

『野蛮の言説 差別と排除の精神史』は、世界中で差別の問題が取り上げられるいまだからこそ、読んでいただきたい1冊です。刊行から少し時間が経っていますが、いまの時代状況を鑑みて、著者の中村隆之さんにお話を聞いてきました。後半は、研究の出発点となったクレオール文学について、そしてこれからの研究について語っていただきました。


『野蛮の言説 差別と排除の精神史』(春陽堂書店)中村隆之・著
コロンブスの新大陸発見、ダーウィンの進化論、ナチ・ドイツによるホロコースト、そして現代における差別意識まで、古今東西の著作を紐解き、文明と野蛮の対立を生む人間の精神史を追う。ブレイディみかこさん推薦!



1 クレオール文学の興隆

──そもそも、中村さんはなぜ、カリブ海の作家を研究しようと思ったのですか?
中村 自分がまだ学生だった1990年代に、クレオール文学が流行った時期がありました。その紹介者の一人だった西谷修先生に大学で出会いました。西谷先生にはいろいろお世話になりましたが、クレオールのこと、エドゥアール・グリッサンのことを教わり、さらに学部4年生のゼミでは、グリッサンの『レザルド川』を原著で読むという、いま考えると凄いゼミをしていたんです。このようにグリッサンに出会い、惹かれて、そのまま卒業論文まで書きました。その後一橋大学の大学院に行き、博士課程から東京外国語大学に移り、そこで博論にまでまとめました。
当時は就職氷河期だったこともあったので、会社に属さない、「フリーター」という生き方がいまほど否定的ではなかった時代でした。バブルはすでにはじけていましたが、その余韻のようなものがあった。文化的な水準がまだ保たれていた時期だったという印象があります。当時のクレオール論は、そんな時代の風潮とも合っていたのだと思います。90年代は、ナショナリズム、国家を超えたアイデンティティーとは何か、ということが盛んに議論されていた時代でもありました。それとクレオールの議論が合致していた。
クレオールというのは、文化混交を称揚する用語です。自国民優先で「よそ者」を排除して自分たちの同胞意識を高める、いまのような風潮とはちがい、他者を尊重すること、自分の属する文化、いや自分までもが他者との関係性のなかに存するのであり、単一的であるよりは複数的であり、純粋的であるよりは混交的である、と捉える認識でした。
ところが、9.11以降からその局面も変わってきます。90年代はメディアの言論空間において、リベラルがまだ優勢でした。戦争責任の問題など、言論にある種の「重し」のようなものがあり、左派の、リベラルの言葉に重きが置かれていました。当時のクレオール論は、その時代状況にも合っていたのだと思います。左派リベラルの言説と親和性が高かった。
クレオール論は、虐げられてきた人間が、「自分たちはクレオールだ!」と声を上げることによって、勝者の文化も自分たちの一部なんだ、と展開していく論です。多様性や混交の称揚はナショナリズム批判にもなるので、そこから和解の契機にも至ることがある。その一方で、当時の日本の、例えば「慰安婦」の問題とクレオール論を重ねると、なかなか難しい議論になってしまう側面もありました。「慰安婦」の問題で問われるのは加害者の責任であり、被害者の救済です。ところがクレオールの立場では、奴隷の子孫という被害の側が加害の側を赦す、ということになってしまい、戦争責任を明確に問うことが難しくなるからです。
別の例を出しましょう。クレオールの思想の源泉には、エドゥアール・グリッサンがいます。グリッサンは、奴隷貿易と奴隷制が「人道[ヒューマニティー]に対する罪」だと認定することに賛成しました。ただし、グリッサンをふくめたアフリカ系の子孫だけが犠牲者である、とは考えませんでした。だからこの「人道に対する罪」は自分たち「黒人」の名のもとにではなく「人類[ヒューマニティー]」の名のもとに語られなければならない、と主張したのです。さらにグリッサンは「黒人」の名のもとに結集するアフリカ中心主義やネグリチュード(黒人であること)の思想を批判します。こうしたグリッサンの立場やクレオールの思想は、ネグリチュード派の社会運動グループや賛同者から厳しく批判されました。とても難しい問題です。
──そのクレオールという議論は、9.11を経てどう変化したのでしょうか?
中村 まず大きいのは、9.11以降、左派的な言説というものが後退を余儀なくされていることです。それに伴って、近代主義的な、普遍主義的な価値観、つまり「進歩」を前提に「平和」や「共存」を追い求めることや、市民的意識を高めていくこと、良識を持つことといった、「人間は理性によって、様々なものを調整しながら進展していく」というヴィジョンが完全に崩れてしまいました。その結果、平等や格差の是正といった言葉を揶揄するような言論が、SNSなどで目立つような状況になっています。加えて、「リベラル」系の言論が叩かれる傾向も強くなっていますよね。日本に関して言えば、もうひとつのきっかけは3.11だったと思います。このような現状に対する、「これはまずい」という危機感も、『野蛮の言説』を書く動機になりました。

2 文学のフィールドワーカーとして
──「アマチュア」という表現をされていましたが、中村さんの研究は越境的で、また現在という時代を強く意識されていますよね。
中村 2006年に、エドゥアール・グリッサンを扱った博士論文を書いたのですが、その直前に、マルティニックに足を運んだんです。その時、現地に足を運ぶことで、グリッサンがみた風物に、身体的に触れることの重要さを感じました。それまではテクストだけを読めば研究ができると思っていたのですが、実際に彼がいた場所をたずねることで意識が変わりましたね。その成果が、『カリブ‐世界論』という、文学者が書いたものですが、地域研究というか、歴史的なパースペクティブを持った本になりました。文学のフィールドワーカーといったことを意識して書いたのが、この『カリブ‐世界論』でした。
その時に見えてきたものが、植民地主義と独立というテーマでした。2009年というのは、アメリカではバラク・オバマが大統領に就任した年ですが、仏領のグアドループでは大規模なゼネストがおきた年です。その社会運動の大きな要因は、リーマン・ショックに由来する運輸費の高騰、ガソリン代の高騰です。自分が研究しているグリッサンやパトリック・シャモワゾーという作家たちは、状況に対峙する作家です。この2人は「高度必需品宣言」という声明もだしていますが、作家自身が、小説や詩を書きながら、いま生きている場所に関わるような発言をしています。マルティニックやグアドループというカリブ海の文化を切り取って作品を書いているわけではなくて、社会や歴史と密接に関わり合いながら書いているわけですね。その歴史や社会に迫りたいという思いで『カリブ‐世界論』を書きましたし、後に刊行した『エドゥアール・グリッサン──〈全-世界〉のヴィジョン』 も、同じ問題意識を持って書きました。その延長に、『野蛮の言説』という本があります。

3 アフリカ系文化論へ
──ひとまず『野蛮の言説』が刊行されて、一息ついているところだとは思うのですが、これから広げたいと思っているテーマなどは見えてきていますか?
中村 いま授業で取り組みはじめたのは、『アフリカ系文化論』です。この授業では、西アフリカの文化が、どのように両アメリカ大陸に伝わっていたのかを、文化史的に論じてみました。アフリカの人々が強制的に連れていかれて、そこで生活を築いていった。その中で、どのように文化が継承され、継続していったのか。その継続の層を文化史的にまとめた本を書きたいと思っています。
論じてみて痛感したことは、「生きること」がどれだけ大事なのかってことです。いまこの世界にはニヒリズムが蔓延しているように感じています。ニヒリズムと紙一重の主張、「加速主義」「暗黒啓蒙」といったものも出てきています。そういった、破局的な未来を前提とする議論ではなくて、過去から何かを解釈して、そこから何かを提出するのが、思想の役割です。アフリカ系の文化は、人々の生きる知恵としてのアートなんです。アフリカ系の文化は、人々が生き延びていのちをつないでいく、という思想のもとで継続し、受け継がれたものです。それが現在、人々の生活に欠かせないとさえいえるポピュラー・ミュージックに結実しています。ブルースがなければ、ニグロ・スピリチュアルがなければ、いまの音楽はないんです。そして、そのルーツがどこにあるかといえば、西アフリカにある。このような、文化の長い継承の過程を書きたいと思っています。授業では、アレサ・フランクリン、ダニー・ハサウェイ、ロバート・グラスパーといったアーティスト名に惹かれてきてくれた学生も多かったですね。
興味を持つきっかけは何だっていいんです。でも、何かに触発されるからこそ、新たな発見がある。そこから視界が開かれる。そのとき、「わかった!」って感覚になるんです。そして、わかるということは、新たな問題系を発見することでもある。それを切っ掛けに、自分が変わっていく。今回の本で言えば、書くためにまずいろいろな本を読みました。それに触発されて、自己変容をもたらすようなテーマにぶつかりながら、書き上げていきました。

4 さいごに
中村 いま私たちは、パンデミックという経験したことのない同時代性のうちに生きています。「ウィズ・コロナ」や「アフター・コロナ」といった言葉が飛び交ったり、AIの時代だと言われる昨今です。まったく先行きの見えない未来にたいして、21世紀は、明るい展望を共有できていないことはたしかです。だからこそ、私たちは生きていることを肯定できる希望の展望をなんどでも作り直さなければなりません。人間中心主義からの脱却や、動植物との関係性の重視や環境の見直しは、この希望を育んでいくものになる必要があります。アフリカ系文化に注目を続けるのもそのことと関わっています。なぜなら、アフリカ系の人々は、人類史上最大規模の強制移動、植民地支配、大虐殺、伝染病、紛争、といったあまりに過酷な経験を経ているにもかかわらず、ブルース、ジャズ、ソウル、ヒップホップなどに代表される、創造的な文化を作り続けてきたからです。
ブラック・ライヴズ・マターから僕が受け取るのも、何よりも、脈々と受け継がれてきたこの生を肯定する思想です。こうした展望から、『野蛮の言説』に対置されるような希望の言葉として『アフリカ系文化論』をいずれ届けたいと思っています。


この記事を書いた人
中村 隆之(なかむら・たかゆき)
早稲田大学准教授。カリブ海フランス語文学研究。著書に、『フランス語圏カリブ海文学小史』(風響社、2011年)、『カリブ-世界論』(人文書院、2013年)、『エドゥアール・グリッサン』(岩波書店、2016年)、訳書に、エメ・セゼール『ニグロとして生きる』(共訳、法政大学出版局、2011年)、エドゥアール・グリッサン『フォークナー、ミシシッピ』(インスクリプト、2012年)『痕跡』(水声社、2016年)、ル・クレジオ『氷山へ』(水声社、2015年)、『ダヴィッド・ジョップ詩集』(編訳、夜光社、2019年)がある。