自由律の俳人、種田山頭火が生まれた山口県防府(ほうふ)市には、山頭火ゆかりの場所が今もなお町中に点在しています。このシリーズでは、山頭火に詳しい方々への取材を通して、種田山頭火の知られざる魅力に迫ります。


前編に続き、山口県防府市にある「山頭火ふるさと館」館長、西田さんへのインタビュー。後半は、更に一歩踏み込んだテーマについて語っていただきました。

常設展示室では、壁一面を使って山頭火の生涯を紹介。山頭火が句を投稿した雑誌、種田酒造場で使用していた徳利、晩年に出版した句集などの実物資料などが展示されています。

── 生誕地・山口県防府市での山頭火の暮らしぶりや、その後の生涯について教えてください。
 山頭火は、この山頭火ふるさと館の近くにあった家で生まれました。大地主の長男として生まれ、本名が種田正一なので、「正一坊ちゃま」と呼ばれながら育てられました。そんなお金持ちの家に生まれましたが、10歳のときに母親が井戸に身を投げて死んでしまいます。山頭火は、井戸から引き上げられ、死んでいる母親の姿を、ずっと心に抱えていたと言われています。その後、早稲田大学に進み、勉学に励みます。その頃はいろいろな学問に興味があったようなのですが、在学中に精神を病んでしまい、中退して実家に戻ることになります。その頃から種田家はだんだん傾いていきました。父親が借金をたくさん作っていたこともあり、山頭火が35歳のときに防府市を逃げるようにして去り、熊本へ向かいます。その後、句を作ってはいましたが、弟までもが自殺してしまったり、東京で仕事をしているとき奥さんとも離婚したり、父親や自分を育ててくれた祖母も亡くなったりするなど、辛い時期を過ごします。
 45歳のときに、お酒を飲み大きな失敗をしてしまいますが、その状況から救ってくれた恩人がいました。その恩人は山頭火が寺で修行できるように世話をしてくれています。その寺で得度して出家をした後は、行乞の旅をしながら句を作り続けます。お酒を愛しながら全国を旅し、四国の松山に一草庵という庵を構えて、59歳で亡くなります。これが山頭火の生涯ですね。

防府市内にある種田山頭火生家跡。

── 山頭火は波乱万丈な人生を送っていますが、それがどのように句に反映されていると思われますか?
 山頭火は、生涯で約80,000の句を作ったと言われていますが、現在でも残っているのは12,000句くらいです。現在も、残っている句を多くの研究者が研究しています。それらの研究では、句に表れる山頭火の人生観を作り上げたのは、幼少期の母親の死という事が定説です。幼少期のこの体験は、山頭火の人生で最初の苦難であり、その苦しさは死ぬまでずっと残っていたのではないかと言われています。山頭火も心を病んでいた時期もあり、「死」に対して、普通の人以上に真剣に向き合っていたのだと思います。
 山頭火は、死に場所を求めて旅をしていたこともあります。この時期に作られた句は、「人の悩み」や「どうやって生きていけばいいのか」という山頭火の心が出ている作品が多いです。その後の落ち着いた時期には、帰りたくても帰れなかった山頭火の葛藤など、胸を打たれるような句もあり、時期によって波乱万丈な人生が、そのまま句に表れていると思いますね。

山頭火は、昭和7年から昭和15年にかけて、七つの句集を出版。

── 西田さんオススメの山頭火の句があれば、ご紹介いただけますか?
 私が子どもたちに山頭火のことを伝えるときには、「窓あけて窓いつぱいの春」を紹介していますね。山頭火の人生は波乱万丈ですが、この句は希望を与えてくれる作品だと思います。
 個人的に大切にしている句は、「濁れる水の流れつつ澄む」です。人生は立ち止まらずに、水のように常に前進して生きていきなさい。そんなメッセージが込められているような句だと思っています。
「ふるさとの水をのみ水をあび」もいいですね。山頭火はお酒を水に変えて句を読むことがあります。私もお酒は好きですし、この句はふるさとの句でもあるので、大好きですね。

── 「山頭火」という俳号の由来について教えてください。

実物大の山頭火像が入口で出迎えてくれます。

 諸説ありますが、もっとも有力なのは、山頭火が俳号として使ったのは納音(なっちん)だからという説ですね。昔はその年の干支を組み合わせ、60の運勢を占ったりしたことがあったそうですが、俳句を作る人は納音から言葉を取っていて、山頭火もその1つだと言われています。しかし、別の説では、10歳のときに母親が亡くなり、山で火葬される母親の姿を見て、山頭火と名付けたのではないかという話もありますね。
── 最後に、山頭火ふるさと館の今後について抱負をお願いします。

左から館長の西田さん、学芸員の高張さん。

 まずは、防府市民の方々に、山頭火ふるさと館に足を運んでいただき、一人ひとりが山頭火の魅力を市外や県外にも発信できるようになればいいと思っています。そのための拠点が山頭火ふるさと館の役割だと思っています。
 この場所を通して、子どもたちにふるさとの良さを知ってもらいたいし、防府市の活性化につながればいいと思います。現在も、全国から山頭火ファンの方々に足を運んでいただいていますので、山頭火や自由律句に親しんでいただけるように、その役割を果たしたいと思っていますね。

山頭火ふるさと館
初代館長 西田 稔

1955年生まれ、千葉大学卒業。
教育活動に40年携わる。山口県内の各学校で教諭・教頭・校長として勤務。山口県教育委員会、山口県知事部局での勤務を経て、ルーマニア国ブカレスト日本人学校校長として在外教育施設に派遣される。帰国後再び山口県教育庁、防府市教育委員会で教育行政に関わり、山頭火の母校である防府市立松崎小学校校長を最後に定年退職。その後山口県私立幼稚園協会事務局長を経て現職。


この記事を書いた人
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