この度、山頭火没後80年の節目の年に、既に絶版となって久しい『山頭火全集』を再編集し、新しい解説、資料等を増補し、蔵書となるよう装丁も一新、『新編 山頭火全集』として刊行いたしました。
こちらでは、『新編 山頭火全集』刊行を記念し、坪内捻典さんの推薦文と、舞踏家・麿赤兒さんが語る「種田山頭火」をご紹介します。種田山頭火とは、山頭火の句とはいかなるものだったのか。『新編 山頭火全集』と共にお楽しみください。

山頭火研究の第一人者である村上護氏が監修・校訂した全集を基に、山頭火の俳句、日記を全て収録。俳人であり、研究者でもある坪内稔典氏による全巻解説を附す。全8巻のセット函、各巻に巻頭口絵、月報つき。
本のサイズ:四六判/500ページ
発行日:2020/12/10
ISBN:978-4-394-90380-2
価格:4,400 円(税込)

山頭火がやって来る! ~坪内捻典・推薦文

 また山頭火がやってくる! 
 新しい全集の刊行プランを聞いたとき、瞬時に頭に浮かんだのはこの思いだった。
 私が山頭火に出会ったのは、中学生のころ、家にあった大山澄太さんの編著を通してだった。その後は山頭火への関心がやや弱くなったが、でも、村上護さんの編著を通して、なんどか山頭火を読み直し、その度に新しい山頭火に出会った。

まつすぐな道でさみしい 
(『新編 山頭火全集』第一巻 359頁)
秋となつた雑草にすわる (『新編 山頭火全集』第一巻 370頁)
などは中学生時代に覚えた句だが、これらをはじめとして、私はいつのまにか山頭火のたくさんの句を覚えていた。
 今回の新しい全集は、村上護さんが力を注いだ『山頭火全集』全11巻(1986年~1988年)を元にして編まれるという。私はこの際、あらためて山頭火を読み、彼の言葉にじっくり耳を傾けたい。時には同じ俳人として議論を挑んでみたい。もっとも、彼は酒癖がやや悪そうなので、いっしょに飲むのはやめたい。オンライン飲み会にしておこう。
 今、オンラインという語を使ったが、こんどの山頭火はインターネットの世の中へやってくる。しかも私たちがコロナと過ごす日々へやって来る。彼の言葉やライフスタイルは、インターネットとコロナの日々において、どのように受け入れられるのだろうか。これ、ちょっとした見ものかも。

(つぼうち・ねんてん 俳人、柿衛文庫理事長)

巨大な児 ~麿赤兒・第1巻月報より

 私が山頭火と真面目に向き合ったのは、75才、期せずして第一回山頭火賞を頂き、山頭火についての舞踏作品を創作しようと思った時だ。付け焼き刃も甚だしいが彼の俳句、日記、写真、それらについて先人によって書かれたものを貪る様に味わった。そうして何とか炙り出し我田引水した結論は「山頭火は舞踏火」。生きながら火に自身を投げ入れその焼け具合をじっと観る様を思ったのだ。森羅万象が彼を火のように襲いかかり脅迫する。木の葉一枚にでさえ脅迫される「場」に自身を置くのだ。そうしなければ彼の「一句」への言語転換装置が作動しない。その苦痛の度合いと比例して「一句」の錬金度が増しているように私は思う。そうして苦痛は同時に快楽に変容し、「句」に「澄み切った豊穣さ」と言うようなモノを感じさせる。つまりは幼児が成長を重ね巨大な円を巡り、もう一度幼児になったのだ。その様な「山頭火」が私の舞踏作品「のたれ●」である。
【プロフィール】
麿 赤兒(まろ・あかじ) 舞踏家・俳優。
64年より舞踏家土方巽に師事。その間唐十郎と出会い、状況劇場に参加。唐の「特権的肉体論」を具現する役者として、その怪物的演技術により演劇界に多大な影響を及ぼす。72年に舞踏集団「大駱駝艦」を旗揚げし、舞踏に大仕掛けを用いた様式を導入。天賦典式てんぷてんしきと名付けたその手法は、国内外問わず大きな話題となり「BUTOH」の名が世界のダンスシーンを席巻する。舞踏家・俳優・振付家・演出家としてあらゆるジャンルを越境し、舞台芸術の分野で先駆的な地位を確立している。2018年、第一回種田山頭火賞受賞。

©白鳥真太郎