<木綿・染料・顔彩>

「ほろほろ酔うて木の葉ふる」 山頭火
 昭和三年の作か。推定すれば故郷である山口県下を行乞(ぎょうこつ)途上の句である。〈木の葉ふる〉は冬の季語。七・五と軽やかなリズムをもつ句で、ほろ酔い気分と木の葉の降るときの推移がうまく調和を保っている。
 山頭火の飲む酒に関しては、多くのエピソードが伝わっている。彼自身の言によれば、「無駄に無駄を重ねたやうな一生だつた。それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたやうな一生だつた」と回想することもあった。その酒の注ぎ方だが、ある日の日記にはこんな一説もある。
「酔申渡言──
 一杯東西なし
 二杯古今なし
 三杯自他なし
酒がきた、樹明君を招く、それから、ほろほろとろとろどろどろぼろぼろごろごろ」
 ここに書く樹明(じゅみょう)君とは其中庵(ごちゅうあん)時代の飲み友達。つまり後年になっての飲み方だが、ほろほろが第一段階で、ごろごろとなると酔いも五段階へと進行した態を示す語だ。これを借用して考えると、山頭火のほろほろ酔いは序の口というところか。これで止めておけば問題はなかったが、一杯が二杯となり、二杯が三杯となって自制心を失い、たいていは「ぼろぼろごろごろ」だ。
    酒をたべてゐる山は枯れてゐる
    酔いざめの風のかなしく吹きぬける
    どうしようもないわたしが歩いてゐる
 ところで山頭火は折にふれ日記の中で、「酒に関する覚書」という断章を書いている。その一節に、
「飲むことは酔ふことの原因であるが、酔ふことが飲むことの目的であってはならない。何物をも酒に代へて悔いることのない人が酒徒である。求むるところなくして酒に遊ぶ、これを酒仙といふ。」
 はたして山頭火は酒徒であり、酒仙であり得たか。答えはどうも否である。

(出典:山頭火文庫 村上 護 編『山頭火 名句鑑賞』)

 《書籍紹介》 
山頭火文庫 別巻『山頭火 名句鑑賞』(春陽堂書店)村上護・編
山頭火研究の第一人者・村上護による解説本。2007年に出版した単行本文庫化。自選句集『草木塔』を中心に、その背景・表現方法など創作の軌跡を解説。放浪の俳人種田山頭火の魅力に迫る──。


植田 莫(うえだ・ばく)
1946年生まれ。画家。札幌在住、莫工房主宰。東京・大阪でグラフィックデザイナーとしてすごすが、良寛の心と山頭火の感性に憧れて画家に転身する。油絵で画家の道を歩むが染料との出会いで、その発色の面白さ、透明感の美しさに魅せられて以後天竺木綿の生地や和紙に、染料を刷毛染め、筆書きし、顔彩で細部を描き加える独自の絵画で個展活動をしている。

植田 莫HP:http://www.baku.cc/


この記事を書いた人
春陽堂書店編集部
「もっと知的に もっと自由に」をコンセプトに、
春陽堂書店ならではの視点で情報を発信してまいります。