「群雄割拠の戦国時代──道三、信長から秀吉、家康に至る〈安吾版戦国武将列伝〉」と帯にあるように、ネームバリューのある戦国武将たちが登場する作品群が収録されている。
 本書の最初を飾る「梟雄」(1953)で、安吾は斎藤道三を「戦争の名人」と評し、兵法の研究を評価する。とはいえ、専門的で複雑なことが書かれているわけではない。「最も有利な武器の発見とそれを能率的に使用する兵法の発見」という当り前の原理が披露される。しかし、この読めば当り前の兵法が最初に「発見」されるには、たとえば道三のような「革命的な独創」がなければならなかった。戦国時代の兵法において、伝来した鉄砲の強力さには誰しもが注目せざるを得なかった。そして、弾込めに手間がかかることから、鉄砲は最初の一発しか使用できない、というのが「当時の常識」だった。だから、多くの武将たちは最初の一発を確実に防ぎ、二発目以降を許さないための戦術を模索する。けれども、道三は鉄砲隊を三段に並べることを「発見」し、鉄砲が連発可能な兵器と化したのだ。今日では、織田信長のエピソードとして広く知られているが、「梟雄」では道三が元祖とされ、これに改良を加えたのが信長とされている。
 信長という人間を周囲が合理的に理解できないことが強調される「織田信長」(1948)では、発想や思考の上で突出する「天才」がうまく造型されている。安吾がまず評価するのは、「発見」を可能とした「天才」たちの思考である。黒田如水は「天才」とは異なる造型のされ方であり、「二流の人」(1947)で描かれるのは、如水のような「戦争マニヤ」が需要から徐々に外れていく戦国という時代の移り変わりである。それは徳川家康が天下を取った理由を、権謀術数が蠢く戦国の時代に疲弊し、安定を望んだ人々の支持を、保守的で「温和」な家康が集めたからだとした「家康」(1947)と併読することで説得力を持つ。「天才」とは時代に左右されるもので、「戦争の名人」は「戦争マニヤ」になるかもしれず、「平凡な偉人」と結論づけられた家康が天下人になる場合もあるということだ。
 豊臣秀吉による「朝鮮出兵」として知られる文禄・慶長の役において、小西行長と宗義智は「交隣通信史」の使者を秀吉には「帰順朝貢」の使者だとごまかそうとした。このエピソードは本書に収録された複数の作品に登場するが、描き方がそれぞれ異なり、それに応じて人物に対する評価も変わっている。「二流の人」では、「外交官」の条件に「単なる通話機械の如き無情冷淡を必要」と挙げている。しかし「人情」に流されて「通話機械」に徹することができなかった小西や宗は、「外交官」の素養がなかったとされる。他方で、そんな小西を「朝鮮役の唯一の主役」と述べた「小西行長」(1952)は、秀吉と石田三成、そして当の小西の三人のみは「交隣通信史」だとわかっていたという設定である。そうなると小西の評価は大きく変わり、「秀吉が己れの意中を安んじて一任し得た当代抜群の外交家」となるのだ。
 秀吉が「遺書」を書いたという設定の「狂人遺書」(1955)は、「文禄・慶長の役」が無謀であることなどは当の秀吉本人はよくわかっていて、小西もそんな秀吉の内面を理解していたという設定である。しかし天下人という立場の見栄と不安から「威勢」を見せることに縛られ続けた秀吉は、引っ込みがつかなくなっていく。「せめてオレの息あるうちはこのバカを続けさせてくれ。オレの一生の見栄と虚勢を通させてくれ」という秀吉の姿は悲痛であり、滑稽である。「朝鮮の兵隊たちをたのむぞと。一兵も殺すことなく日本へ帰るようにしてやってくれと。」と思っていたところで、秀吉は表立って兵を引き上げる命令を出すことなどしないし、できない。この唐突な「朝鮮の兵隊たち」を巡る秀吉の腹の内は、「見栄と虚勢」を通そうとする身振りそれ自体に絡め取られていく「狂人」の姿を垣間見せている。「独裁という様式」を「彼の天才を生かし易い代りに、彼の狂気をも生かし易いところに欠点があるのだろう」と喝破した「エライ狂人の話」(1953)の見事な小説化である。
 「イノチガケ」(1940)は本書のラストを飾っているが、書かれたのは最も早い。この切支丹への関心から安吾の歴史小説は始まった。切支丹たちへの凄惨な弾圧やその殉教の描写などが読みどころだが、本書を通読してみれば、信長から秀吉、家康へ至る3人の基督教への対応の仕方は、各々の時代への関心の起点となるだろう。
 「鉄砲」(1944)は、鉄砲を使いこなした信長を「理知そのものの化身」と呼び、「日本最初の近代戦術」を編み出したとするが、安吾は「今我々に必要なのは信長の精神である。飛行機をつくれ。それのみが勝つ道だ。」と結んでいる。また「エライ狂人の話」では、秀吉が「文禄・慶長の役」で望んだのは明との貿易だったにもかかわらず、大義名分として「朝鮮征伐」が必要だったとされ、これは「今度の太平洋戦争においても実は経済的に追いつめられて開戦しながら、大東亜理念という宗教的な大義名分を真向うにかかげたところを見ると、これは日本の性格的なものかも知れない」と添えている。
 このように、安吾の歴史小説が対象としているのは描かれた人物たちの時代だけではない。安吾の現在、そしてそれを読む者の現在にまでが批評の射程に収められている。
 安吾の魅力を語る際に、ジャンル横断的に活躍したという評価がある。本書に収録された作品群は、たとえば「必要」という「実質」を評価した「日本文化私観」(1942)と関連づけてみたくなる。とはいえ、ひたすらジャンル横断的に読むばかりが、ジャンルを横断した作家・安吾の読み方ではないだろう。歴史小説というジャンルにあえてこだわり、言葉一つ一つに目を凝らすとき、それは狭義の歴史小説という枠組みを必ず超えていく。逆説的ではあるが、安吾のジャンルを超える面白さを体感するには、一つのジャンルを凝視することが必要なのではないか。それを実感するのに最もふさわしいのは、歴史小説をおいてほかにない。

この記事を書いた人
山路 敦史(やまじ・あつし)
東京都生まれ。現在、武蔵野大学・大妻女子大学非常勤講師。専門は、日本近現代文学。共著に『武蔵野文化を学ぶ人のために』(世界思想社)。論文に「〈起源〉のシミュレーション──坂口安吾「保久呂天皇」の射程」(『昭和文学研究』第74集)、「坂口安吾「村のひと騒ぎ」論──「頭の悪い私」の射程をめぐって」(『坂口安吾研究』第2号)など。