東 直子
 鋭い感性と繊細な表現で人気の歌人・作家・イラストレーターの東直子さんが、心に残る映画やドラマについて、絵と文と短歌の形で描きます(月一回更新)。連載第1回目は、室生犀星原作のドラマ『火の魚』。いつまでも心にとどめておきたい風景に出合ってみませんか。

本のめぐりを生きる緋
 これまでの人生の中で、何度か魚を飼ったことがある。自分が子どもだったときと、自分の子どもが小さかったとき、お祭りですくった金魚を家に連れ帰って水槽に入れ、死ぬまで飼った。カフェやロビーで水槽を見かけると見入ってしまう。水族館で魚を眺めるのも好きだ。魚を眺めていると、心が無になる。まるで魚のめぐりの水にでもなってしまったかのように。
 魚は、切り開いて食料にすることもあれば、眺めて楽しむこともある。人間と魚の関係はなんだか奇妙で、あやうい。『火の魚』を観て、そんなことをあらためて感じた。室生犀星の同名の小説を原作としてNHK広島放送局が2009年に制作した渡辺あや脚本のドラマである。渡辺が脚本を書いた映画『ジョゼと虎と魚たち』や連続テレビ小説『カーネーション』などがとても好きで、映画やドラマに「渡辺あや」の名前を見つけると、ときめいてしまう。
『火の魚』は、作家と編集者の交流が軸になっている物語。原田芳雄演じる老作家の村田省三は、10年前から生まれ故郷の瀬戸内海の島に戻って独居生活をしている。そこにやってくるのが尾野真千子演ずる編集者、折見とち子。村田は金魚の少女を描いた小説を連載中で、折見はその原稿を取りに東京から島にやってきたのである。
 ドラマの舞台は現代だが、犀星がこの小説を書いたのは1959年のことで、『蜜のあはれ』という本の装幀を巡るエピソードが描かれている。『蜜のあはれ』は、自分のことを「あたい」と呼ぶ金魚の少女との会話のみで構成されたシュールな小説で、会話の背後からエキセントリックで蠱惑こわく的な女性たちのイメージがたゆたう。ドラマの中では『蜜のあはれ』に匹敵する金魚の少女の本の表紙の装画に使う金魚の魚拓を、村田から折見が依頼されるのである。折見は、初版の『蜜のあはれ』に使われた魚拓を作成した栃折久美子がモデル。栃折も『蜜のあはれ』の装幀に関わったエピソードを「炎の金魚」というエッセイに書き残している。
 また、二階堂ふみと大杉漣が主演の映画『蜜のあはれ』も2016年に公開された。真っ赤なひれのような衣装をまとった金魚の化身が老作家を翻弄する日々が、耽美的な映像で展開する。対照的に『火の魚』の折見は、会社員仕様の地味なスーツ姿で、うらさびしい島の風景やいつもうす暗い作家の部屋などと相まって全体的に渋い。だからこそ透明な水に灯る赤い金魚の鮮やかさが映える。赤い金魚は、それを見つめる人の心を投影する。金魚が揺れると、心も揺れる。誰かを慕う気持ちが強くなればなるほど赤さを増していく。金魚は心の中で燃えるのだ。 
 息が止まりそうになる程どきどきしたのが、村田に請われて折見が金魚の魚拓を取るシーンである。釣りの成果を留めるための魚拓ではなく、人間の屋根の下で家族のように生きてきた金魚を魚拓にするのである。赤い顔料で写された金魚の魚拓は、悲しくて妖しくて、とても美しい。それを見つめる尾野真千子、そして原田芳雄の横顔もまた、悲しくて妖しくて、とても美しいのだ。原田の声で再生される「死におびえながら死んだように生きている」と「今生、どこかでまた会おう」という象徴的なセリフが響き合い、心に消え残った。
 老作家のモデルでもある犀星は『蜜のあはれ』『火の魚』を執筆してから数年後に亡くなった。老作家を演じた原田芳雄と大杉漣も亡くなり、栃折久美子も今年の六月にこの世を去った。フィクションの世界に、この世界に確かに生きていた人たちの魂が、やわらかな影を残し続ける。
花を掬うように魚をてのひらに ひとときの芯したたるばかり

(絵・文・短歌 東直子)
ドラマ『火の魚』(2009年)
原作=室生犀星 脚本=渡辺あや 監督=黒崎博 出演=原田芳雄、尾野真千子ほか 
(NHKオンデマンドで配信中)
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2011033459SA000/

この記事を書いた人
東 直子(ひがし・なおこ)
1963年、広島県生まれ。歌人・作家・イラストレーター。1996年歌壇賞受賞。歌集に『春原さんのリコーダー』『青卵』など。小説に『とりつくしま』『さようなら窓』『階段にパレット』ほか。2016年『いとの森の家』で第31回坪田譲治文学賞受賞。エッセイに『千年ごはん』『愛のうた』など。穂村弘との共著に『回転ドアは、順番に』『短歌遠足帖』などがある。2022年1月8日(土)より、自身の一首「転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー」が原作となった映画『春原さんのうた』がポレポレ東中野ほかで公開予定。
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