松井 久子
第1回 婚姻届
「今日は一日、何も予定がないわよね。もらってこない?」
「そうだね、早めにとっておこう」
 彼の返事に、あ、また同じことを思っていた、と考える。
 知り合ってからまだ半年しか経っていないのに、同じ屋根の下に暮らしはじめてからを数えても、ひと月ほどが過ぎただけなのに、不思議なくらい「同じだ」と感じることが多くなった。
 89歳と76歳。この歳までまったく別々の人生を送ってきた二人が、どうしてこんなに違和感なく一緒に居られるのだろう。それが相性ということなのか。

「もらってこない?」「そうだね、早めにとっておこう」
 そんな阿吽あうんの会話を合図に、逸平が素早く立ち上がって、汚れた皿やコーヒーカップを台所の流し台に運びはじめた。
 私はその後からおつきあい程度についていって、バターやヨーグルトの容器を冷蔵庫にしまう。
 この家のキッチンには大きな自動食洗機があるのに、逸平はそれをけっして使おうとしない。
 もう何十年も、自分の役目と決まっている食事の後の洗い物は、すべて丁寧に手で洗う習慣が身についている。
 もうじき90歳を迎えるこの家の主は、さながら「全手動食洗機」というわけだ。
 いまは亡き妻の治子さんが存命中から、朝食は支度も夫の役目と決まっていたようで、メニューの一品に焼き芋を欠かさないのも、彼なりの思い入れである。
 朝食をとりながら、戦時だった小学生の頃、母が弁当箱に入れて持たせてくれたふかし芋の話を何度も聞いている。
 逸平は、長年にわたって身につけてきた判で押したような生活の中、こうして目の前に思い出話ができる相手ができたことを素直に喜んでいるようだ。それが私もしみじみ嬉しい。
 いっぽう同居したからといって、毎朝のゴミ出しから通りを竹箒たけぼうきで掃くなど、彼のルーティンを、なるべく奪わないようにしている。
 それでなくても家に閉じこもって、身体を動かすことが少なくなった老人には、家事こそ適度な運動になるのだ。

 洗い物を彼に任せて2階のDKから3階に上がり、私にあてがわれた部屋に行くと、クローゼットを開ける。
 この大きな家で、私が一番気に入った場所がこの2間(約3.6メートル)幅の蛇腹の扉がついた広いウォークイン・クローゼットだ。治子さんのこだわりが感じられるこのクローゼットに、私が横浜から持ってきた荷物はすべて収まってしまった。
 簡単に着替えを済ませ、最低限の化粧をすると、階段を駆け降りた。
 これから二人で役所にもらいに行くのは、「婚姻届書」だ。
 89歳と76歳の男女が将来を誓い合う婚姻届。
 33歳のときに離婚して、40数年。この歳になって再婚をするなど思いもしなかった。
 ほんとうに、人生は何が起きるかわからない…と、またも同じことを考えながら玄関に行くと、逸平が早くも靴を履き終え、待っていた。
 彼の1日は、起きるとすぐに糊のきいたYシャツを着て、プレスのきいたスラックスを履くことから始まるので、外出の支度に時間がかからない。
 身なりがきちんとしている。それを己の矜持きょうじと思い、大学教授の職を辞して20年以上が過ぎたいまも、普段着とよそ行きの区別がない服装を、当たり前のように続けている。
 だからいつでも出かけられるし、突然の来客に慌てることもないのである。

 家を出ると、私から近づいて彼の手を取り、役所に向かった。
 どこに行くにも手を繫いで歩くのは、出会って間もない人への愛情の表現であり、彼の歩調に合わせるためでもある。
「ご近所の田島さんの奥さんがね、『最近、先生と手を繋いで歩いている方は、どなた?』と、聞いていたわよ」
 昨夜、夕食を食べながら、義理の娘になる知美さんが言っていた。
「そういえば、田島さんにはまだ会ってなかったな。早く紹介したいのに」
 そんな父と娘のやりとりを思い出していると、
「あ、あの人だよ! 田島さんの奥さん…」
 逸平が珍しく声を上げた。
 その言葉に顔を上げると、角のお宅の門の前で小柄な女性が植木鉢に水をやる手を止めて笑顔でこちらを見ていた。
「田島さん、おはようございます。あなたに早く紹介しようと思っていたけど、なかなか会えなくてね。今度、結婚することになった…多華子です」
 隣の私の背を押しながら、きまり悪そうに言う。
「おはようございます。よろしくお願いします」
 私もつとめて愛想良く、頭を下げる。
「こちらこそ。この間から、お二人が毎日手を繋いで歩かれているのを見て、美しいなぁと思っていたんですよ。ほんとにおめでとうございます!」
 田島さんの奥さんが、こぼれるような笑顔で言った。
「ありがとうございます」
 二人で心をこめて礼を言うと、田島さんと別れ、再び歩き出した。
「いい人だろう? 昔から、善良を絵に描いたような人なんだ」
 思わず振り返ると、田島さんはまだ見送ってくれていたようで、にこやかに手を振っている。
「嬉しいわねぇ。美しい…なんて、なかなかすぐには出ない言葉よ」
 自然に発する言葉はその人の本質を物語る。
 堂々と手をつないで歩く老人二人を、「よくもまあ真っ昼間から、いい歳をして!」と意地悪に見る人と、「美しい」と見る人の差は大きく、そこにもその人の人柄や品性がにじみ出るのだと思った。

 役所に向かう道には、途中、高速道路をくぐったところに小さな神社があった。鳥居をくぐって境内に行くと、先ほどから聞こえる蟬の声は、目の前にそびえるけやきの木の茂みからだとわかった。
 彼が小銭入れから出して、手にのせてくれた10円玉を賽銭箱に投げ入れて、手を合わせながら考える。
「反骨の思想史家」と呼ばれ、長いこと天皇制に異議を唱える男にも、神社にお参りする習慣があるんだ…と、少し可笑おかしい。
 人には思想信条とは別に、幼い頃から身についた習慣もあるのだ。
「お正月のお参りも、ここに来るの?」
「ああ、一応ね。こんな小さい神社にも、毎年元旦には長い列ができるよ。そんな列に並んで待つ気はないから、横からちょっと手を合わせて、持ってきた破魔矢はまやをここに納めると、新しいのを買って帰る。初詣はそれだけだ」
「破魔矢もちゃんといただくのね」
「一応。子どもの頃に親がやっていたのかなぁ。毎年正月の決めごとはそれだけだ」
「初詣には、ひとりで来るの?」
「そうだよ。なんでもひとりだ」
「治子さんが生きていたときも?」
「もちろん」
 会話のひとつひとつに、それまで知らなかった彼の人生の越し方や、人となりを発見して、飽きることがない。
 役所に着くと、先ほどまでつないでいた手をほどいて、<案内>の腕章を巻いた中年の女性に、
「婚姻届書はどこでもらえますか?」
 尋ねると、すんなり戸籍係の窓口を教えてくれた。
 そのあまりに自然な対応に、
「まさか僕たちのこととは、思わなかったみたいだね」
と、逸平が笑って言う。
「お役所の人はそんなことにいちいち驚いていられないのよ。今の世の中は何でもアリ、多様性の時代だもの」
「多様性か…。便利な言葉だ」

第2回へつづく)

プロフィール

松井 久子(まつい・ひさこ)
映画監督・作家。
1946年東京出身。早稲田大学文学部卒。雑誌のライター、テレビドラマのプロデューサーを経て、1998年『ユキエ』で映画監督デビュー。2002年の『折り梅』は公開から2年で100万人を動員。2010年公開の3作目は世界的彫刻家イサム・ノグチの母の生涯を描いた日米合作映画『レオニー』。2013年春からはアメリカをはじめ世界各国で公開された。その後ドキュメンタリー映画『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』『不思議なクニの憲法』を発表。2021年2月には小説『疼くひと』で75歳の作家デビュー。2022年11月に2作目の小説『最後のひと』を上梓。