写真家・エッセイスト 坂口綱男


息子の視点からみた安吾の姿
坂口安吾といえば、戦後文学を代表する『白痴』や『堕落論』が有名ですが、信長や家康といった歴史上の人物を主人公とした歴史小説も数多く残しました。『坂口安吾歴史小説コレクション』では、彼が歴史上の人物などをモデルに執筆した作品を、全3巻にまとめました。
コレクションの第1巻『狂人遺書』刊行を記念して、安吾のご子息であり、カメラマンとしても活躍している坂口綱男さんが小社より刊行した『安吾のいる風景』(※絶版)収録のフォトエッセイの一部をご紹介します。息子の視点からみた安吾の姿を、坂口綱男さんの写真とともにお楽しみください。


〇〇〇のめがね
安吾が生きていれば山奥で育てられたかもしれぬが、残念なことに目一杯街で育ち、今風のお兄さんとなってしまった。
私は、かねがね文章を読むことも書くこともおろそかにし、己の不徳の致すところと反省するが、いささか手遅れの感、なきにしもあらずだ。
「ナニ、イイサ、オレは写真屋だ。映像で勝負する」と強がってみても、この様な企画の場合、写真という絵を生かすも殺すも、言葉、それも文章だ。
「ヨシ、四十の手習いには十数年ほど早い」とばかりに、原稿用紙のマス目を埋めはじめる。
それにしても、何と安吾は膨大な量の文章を残したのだろう。
いや小説家としては普通なのかもしれないが、息子として父の本を前に、これを全部書いたのかと思うだけで、内容を抜きにしたって尊敬に値する量である。
私はよく、顔が父親に似ていると言われるけれど、それよりは、読み書きの好きなところが似た子供に生まれてきたかった。今、遠く及ばないとはいえ、文字で自分の意思を伝える作業をしてみて、何だか父の苦労が少しわかった気になっている。
写真は、安吾の生原稿とめがね、万年筆で、この原稿用紙に向かっていたときの父は、どんなことを考えていたんだろうか。直江津の父の立ち寄った旅館「わくら楼」で、安吾の遺品を広げて写真を撮ってみた。


柱の役目
新津市(現新潟市)のはずれ、阿加野川の土手沿いの奥まった所にある、坂口家代々の墓。その中に私の父・安吾も眠っている。
この墓がなかなかの曲者で、初めて行く方が道案内なしで行き着ける所ではない。たまに行くと、途中の道も景色も変わっていて、めったに墓参に行かぬお前が悪いといわれてしまえばそれまでだが、数年前までは行くたびに迷っていた。父かご先祖さまに「お前は来なくていいよ」と拒まれていたのかもしれないが、このごろは近くに高速の新津インターができて、それがちょうど目印となり、迷わずにすんでいる。
もうかれこれ十数年前のことだと思うが、墓の脇に白い柱が建っていた。表には「作家坂口安吾ここに眠る」と書いてある。驚いたのは、その柱を建てたのは何と私だとあったことだが、私が建てたわけではないので、ご好意はありがたいが、名前は消していただいた。
その築十数年の柱が、今回墓に行ったら、また様変わりしていた。リニューアルされた柱の表に書かれた「あちらこちら命がけ 安吾」を見て、安吾らしいといえば安吾らしいと思ったが、墓の前にある“命がけ”の柱には、つい笑ってしまう。おそらく新津(現新潟)市内に建てられた「あちらこちら命がけ」の石碑を記念して、墓の脇にも建てたのだろうが、正方形のフォーマットにバランスされていた色紙の文字が、無理やり縦書きにされた「命がけ」の部分が変なのと、そこに父の署名が入れられているのが不思議。
しかしそれはそれ。この柱がこのまま、また十数年の役目を全うするのを、私はただ見守るばかり。

(出典:坂口綱男『安吾のいる風景』春陽堂書店、2006年)


この記事を書いた人
文・写真/坂口綱男(さかぐち・つなお)
1953年8月、群馬県桐生市に坂口安吾の長男として生まれる。写真家/日本写真家協会会員。1978年よりフリーのカメラマンとして広告、雑誌の写真を撮る。同時に写真を主に文筆、講演、パソコンによるデジタルグラフィック・ワーク等の仕事をする。1994年11月、安吾夫人・三千代の没後は、息子という立場から、作家「坂口安吾」についての講演なども行っている。また写真と文で綴った「安吾のいる風景」写真展を各地で開催。主な著書、写真集に、『現代俳人の肖像』(春陽堂書店、1993年)『安吾と三千代と四十の豚児と』(集英社、1999年)、『安吾のいる風景』(春陽堂書店、2006年)などがある。
関連書籍

『安吾のいる風景』(春陽堂書店)無頼派作家・坂口安吾を父に持つ坂口綱男が、父の彷徨の足跡を辿るフォト・エッセイ。坂口安吾とゆかりのある場所を訪ね、そこで父が何を想ったのかを推測し、そのイメージを写真として収録しています。名作「桜の森の満開の下」も収録しています。

坂口安吾歴史小説コレクション第1巻『狂人遺書』(春陽堂書店)
安吾の「本当の凄さ」は歴史小説にあるー。第一巻には、「二流の人」「家康」「狂人遺書」「イノチガケ」など、全11作品を所収。(解説・七北数人)