第4回 晩年の鏡花と春陽堂

泉鏡花記念館 学芸員 穴倉 玉日(あなくら・たまき)

日本の浪漫主義文学、幻想文学を代表する作家・泉鏡花。彼は師である尾崎紅葉の紹介をきっかけに春陽堂から書籍を刊行するようになり、やがて社員として雑誌「新小説」の編集などにも携わるようになりました。
本連載では、泉鏡花と春陽堂書店の関係を、そして〝鏡花本〟とよばれる装幀と挿絵の美しい書籍の紹介、絵師たちとの関わりを紹介していきます。


〝鏡花本〟の代名詞として
 小村雪岱(こむら・せったい)という稀代の意匠家を得て、『鏡花選集』(大4.6)をはじめとして愛蔵すべき美装本を次々と世に送り出した春陽堂。もちろん、鏡花の単行本を手掛けた出版社としては、他にも橋口五葉の装幀で『恋女房』(大2.12)や『相合傘』(大3.7)を手掛けた鳳鳴社や、刊行までの難産を綴った鏡花の長文の序における〈内端話〉が印象的な『鴛鴦帳(おしどりちょう)』(大7.6)の止善堂、そして鏡花の愛読者が集う〝鏡花会〟出身者として自ら出版社を立ち上げ、『星之歌舞伎』(大5.8)【写真①】や『弥生帖』(大6.4)といった優品を残した平和出版社、同じく〝鏡花会〟出身であり、『日本橋』(大3.9)で小村雪岱を装幀家としてデビューさせた千章館などが挙げられますが、鏡花にとって初の単行本となった『探偵小説 活人形』(明26.5)以来、実に半数以上の書籍の刊行を担った春陽堂は、まさに〝鏡花本〟を代表する版元といえるでしょう。

【写真①】『星之歌舞伎』大正5(1916)年8月 平和出版社


「黒髪」連載をめぐる不和
 とはいえ、多年にわたる両者の蜜月ぶりに一瞬のわだかまりも生じなかったわけではありません。大正11(1922)年、鏡花は春陽堂発行の雑誌「良婦之友」の同年1月の創刊号から小説「黒髪」【写真②】を連載中でしたが6月号発表分をもって中断、その際、末尾には次のような付記が掲載されています。
本篇は先生にとりましても非常に感興多き作として、最初三百枚位にて完成すべき御予定が、無慮一千枚の大長篇とし、誌上に連載を乞へば完結までには実に二ヶ年を待たねばならないので、先生としては斯る長年月毎号徐々にお筆を下されることは誠に煩多く、寧ろ一気呵成に書かれたき思召を承りましたので、誌上の連載は本号限りとし、数旬を出でずしてその完結を待ち、特に乞うて春陽堂出版部より単行本として上梓致すことになりました。

【写真②】「黒髪」自筆原稿。春陽堂の原稿用紙を用いている。泉名月遺族蔵

 しかし、その2ヶ月後、同作は「龍胆と撫子」と改題して大阪に本社を置くプラトン社発行の雑誌「女性」において連載を再開、これも完結を見ないままに翌年には再度中断されることとなりますが、結果的には大正13(1924)年7月にプラトン社から『りんどうとなでしこ』【写真③】として単行出版されており、前掲の春陽堂の「良婦之友」での連載中断時の付記とは異なる結末を迎えています。

【写真③】『りんどうとなでしこ』初版本扉 大正13(1924)年7月 プラトン社

 この件に着目した泉鏡花研究会の田中励儀同志社大学教授の調査によれば、「良婦之友」での連載中断の前回にあたる同誌5月号では、〈記者註〉として〈当局の注意により文中七行を削除。作者の御諒恕を乞ふ。〉という付記とともに作品の一部が伏せ字で掲載されており、田中氏は〈作者の御諒恕を乞ふ〉という一文から編集部が鏡花の了承を得ないままに〈文中七行を削除〉した可能性に言及しています。
 問題の箇所は、物語の主要人物の一人である女性が凶漢に襲われ、あわや陵辱されようとするシーンであり、当時の編集資料を精査した田中氏も、実際には活字化されることのなかったその生々しい描写に、〈編集部が自主規制したことも肯けないわけではない〉と一定の理解を示していますが、やはりこの一件が鏡花と春陽堂の間に何らかの不和を生じさせたであろうことは想像に難くありません。
 こうして、長きにわたる作家活動における主要誌であった春陽堂の「新小説」からプラトン社発行の「女性」へと長篇連載の拠点を移した鏡花。そのような状況下で発生したのが関東大震災でした。

関東大震災と春陽堂版『鏡花全集』の刊行
 大正12(1923)年9月1日午前11時58分、麴町区下六番町の二階建ての借家でかつて経験したことのない激震に遭遇した鏡花。家屋も妻も無事だったものの、余震と類焼を恐れて町内の人々とともに〈四谷見附の新公園〉に避難、二昼夜をこの場所で過ごします。
 その体験記は「露宿(ろしゅく)」【写真④】と題して、「龍胆と撫子」を連載中であり、震災の影響を直接受けなかったプラトン社の「女性」(大12.10)に寄稿、総勢19名による「文壇名家遭難記」の一つとして掲載されました。その後も鏡花は「女性」や「苦楽」などの同社の文芸誌にほぼ毎月のように作品を掲載、大正13(1924)年5月にはプラトン社の招待ですず夫人とともに大阪に赴くなど、急速にその距離を縮めていきます。

【写真④】「露宿」自筆原稿

 一方、震災によって日本橋の社屋が倒壊、焼失し、壊滅的な被害を受けた春陽堂でしたが、大正13年に入ると「新小説」において鏡花作品を掲載するほか、同社既刊本を改版した『鏡花選集』(大13.10)や『婦系図』(大13.11)などを刊行、改版の背景には震災による同社所蔵の元版紙型の焼失が推測されますが、苦境の中でも鏡花とのつながりを跡絶えさせることはありませんでした。
 そして迎えた大正14(1925)年1月、鏡花初の全集である『鏡花全集』が刊行されることが公となりました。その版元は他ならぬ春陽堂。編輯委員して名を挙げられたのは小山内薫、谷崎潤一郎、久保田万太郎、芥川龍之介、里見弴、そして水上瀧太郎の6名でした【写真⑤】。

【写真⑤】『鏡花全集』出版記念会 大正14(1925)年3月1日 東京・芝の紅葉館にて 泉名月遺族蔵


無二の版元として―春陽堂版全集という礎(いしずえ)
 これに先立つ大正13年3月初旬、春陽堂から全集を出す約束をしたことをいち早く鏡花自身から打ち明けられた瀧太郎は、その時の心境を次のように記しています。
地震でひどいめにあつた春陽堂が、この大仕事にとりかかる奮発に対しても出来るだけの援助を与えたいと思つた。正直のところ、私は春陽堂の商売振を好まない。明治文学の興隆には少からぬ貢献をした老舗ではあるが、今は仕事に熱が足りなくて、愚痴つぽくて、何彼につけて不満足だつた。しかし私をしてこの店に多大のなつかしさを覚えしめるのは、紅葉露伴鷗外鏡花その他の諸先輩の名作を出版し、当時の私の感激の問屋の如き観があつたためである。(中略)就中泉先生の諸作は、殆どすべて春陽堂版である。(中略)最も光輝ある歴史を有する老舗に対して、私は敢えて少からぬ不満を有しながら、なおかつ先生の全集を出すのに最もふさわしい店だと思わざるを得なかつた。(水上瀧太郎「『鏡花全集』の記」大14.4)
〈先生の作品によつて、自分は此の世に生れて来た甲斐のある事を痛感した〉(水上瀧太郎「はじめて泉鏡花先生に見ゆるの記」大13.8)という瀧太郎ならではの手厳しい見解を交えつつも、春陽堂が〈先生の全集を出すのに最もふさわしい店〉であることを認めていたという瀧太郎。泉家と同じ麴町区下六番町内の水上邸におかれた編輯事務所では、時には春陽堂の番頭であった木呂子斗鬼次(きろこ・ときじ)を相手に瀧太郎が〈春陽堂の仕事振を忌憚なく難じ〉(前掲「『鏡花全集』の記」)、忠義一途の木呂子が〈万一今度の仕事をしくじつたら、この首を差上げます〉(同)と泣いて悔しがるという一幕もあったようです。
 こうして、編輯委員及び春陽堂社員の熱意に支えられ、『鏡花全集』【写真⑥】は大正14年7月にその第1回配本を開始、当初の予定を超過したものの2年後の昭和2(1927)年7月、ようやく最終配本に至り、全15巻を無事刊行し終えました。本体装幀を岡田三郎助、函装を(名前は明記されていないが)小村雪岱が担当。7月24日に自裁した芥川の書斎には、全集の最終配本たる〈巻十五〉の包みが広げてあったと、鏡花は自らの年譜に書き記しています。

【写真⑥】『鏡花全集』巻十五 昭和2(1927)年7月 春陽堂

七月、期に遅るること八ヶ月にして、「全集」成る。この集のために、一方ならぬ厚意に預りし、芥川龍之介氏の二十四日の通夜の書斎に、鉄瓶を掛けたるままの夏冷(つめた)き火鉢の傍に、其の月の配本第十五巻、蔽(おほひ)を払はれたりしを視て、思はず涙さしぐみぬ。
 昭和14(1939)年9月7日に65歳で逝去し、今年没後80年を迎える鏡花。当時の記録によれば初七日を過ぎた同月15日には、葬儀後まもなく全集刊行の意を漏らしていた岩波書店の長谷川覚が泉家を訪れ、全集出版の申し入れを行っています。岩波版『鏡花全集』は昭和15(1940)年3月30日に第1回配本である巻五を刊行、春陽堂版制作時と同じく編纂者に名を連ねた瀧太郎はその1週間前の3月23日に脳溢血により急逝しており、新たな全集の船出をその目で見届けることはありませんでした。
 なお、春陽堂版『鏡花全集』がこの新全集の礎となったことは、現在も岩波書店に保管されている校正刷りなどの多くの編輯資料が物語っています。
(写真と図は、特に記載がない限り泉鏡花記念館所蔵の作品です。)
この記事を書いた人
穴倉 玉日(あなくら・たまき)
1973年、福井県生まれ。泉鏡花記念館学芸員。共編著に『別冊太陽 泉鏡花 美と幻想の魔術師』(平凡社)、『論集 泉鏡花 第五集』(和泉書院)、『怪異を読む・書く』(国書刊行会)など。また近年は、鏡花作品を原作とする『絵本 化鳥(けちょう)』(国書刊行会)や『榲桲(まるめろ)に目鼻のつく話』(エディシオン・トレヴィル)などの画本制作を企画、幅広い年齢層への普及に取り組んでいる。
≪≪関連書籍紹介≫≫
『泉鏡花〈怪談会〉全集』(春陽堂書店)東雅夫・編
アニメや舞台化でも話題を呼ぶ、不朽の文豪・泉鏡花。彼が関わった春陽堂系の三大「怪談会」を、初出時の紙面を復刻することで完全再現。巻頭には、鏡花文学や怪談会に造詣の深い京極夏彦氏のインタビューも掲載。令和のおばけずき読者、待望かつ必見の1冊!