立命館大学大学院文学研究科/日本学術振興会特別研究員(DC) 常木佳奈

第1回 春陽堂の明治期木版出版物


江戸と明治の書物のすがた
 明治期はさまざまな技術が急速に近代化した時代であり、大衆の生活様式がガラリと変化したことは、今日よく知られるところでしょう。街行く人びとの服装と同様に、書物の〈装い〉も江戸以来のものから大きな変化をみせます。木版による整版印刷、伝統的な製法で漉(す)かれた和紙、糸を用いた和綴じの〈和装本〉から、鋳造活字を用いた活版印刷、西洋式の洋紙と製本方式からなる〈洋装本〉へと、我が国において長らく主流とされてきた書物の装いは一新されました。このような変化がみられる時期については書物の内容が属する分野によって差がありますが、およそ明治20年代に確認できる事象です。
 文学関連の書物の内容頁に着目すれば、江戸期のものは挿絵の間を縫うように本文が配置されている一方で、近代以降のものには挿絵がほとんどみられません。ビジュアルに〈読み〉の手助けをしてもらうといったように、今日の私たちの読書とは違った形で読書が楽しまれていたのでしょう。

挿絵の合間に本文が配置されている近世の合巻本
『白縫譚(しらぬいものがたり)』/立命館大学アート・リサーチセンター所蔵(hayBK03-0636-01)

絵画と文学の関係は非常に深いものですが、書物の体裁や小説の在り方が変化したことによって、挿絵は近代の小説本の多くから姿を消すことになってしまいます。
江戸時代の印刷物の大部分は、木版によるものでした。書物に関していえば、絵はもちろん、文字の部分もすべて板木を用いて摺っていたのです。ただし、先に挙げた印刷技術や小説の近代化、そして、錦絵の衰退なども影響し、木版職人らの仕事が激減してしまいます。
こうしたなかで、木版再興を願う者らが動き出し、職人らの仕事が再度確保されることになります。そこで生まれたのが、江戸時代の口絵とは性格を異にする〈近代木版口絵〉です。

小栗風葉『恋慕ながし』(明治33, 春陽堂)に付せられた水野年方(みずの・としかた)の口絵
立命館大学アート・リサーチセンター所蔵(arcUP6825)

 本連載では次回以降、この近代木版口絵を取り上げますが、今回はこのような口絵付書籍を多数出版した春陽堂の明治期木版出版物のうち、代表例とされる『美術世界』についてみていきましょう。

雑誌・『美術世界』とその職人ら
 春陽堂は、明治11年(1878)頃に和田篤太郎という人物によって創業されたと伝えられています。篤太郎は行商と書店経営を経て、明治15年(1882)から書籍の出版をはじめました。彼は洋画を学んだともいわれており、自社の美術出版にもかなり力を入れたようです。そのほかにも、輸出用に木版印刷が施されたハンカチを生産するなど、面白い取り組みも行ったといわれています。

『美術世界』第一巻(春陽堂書店収蔵)

 『美術世界』はそんな春陽堂書店から、明治23年(1890)から明治27年(1894)にかけて出版された美術雑誌です。この雑誌には流派を問わず、「古今ノ妙蹟」が網羅されており、「石版や銅版ではなく、『木版術の進歩』にこだわった」(*1)様子を窺うことができます。
 同雑誌の大半は、編集者・渡辺省亭、印刷者・吉田市松、彫刻者・五島徳次郎のメンバーで発行されました。この三人は『美術世界』に限らず、春陽堂の仕事を数多く手がけています。しかし、第11巻から第14巻には田村鎌之助、第15巻および第16巻は小松角太郎が印刷者として明記されています。摺師が市松から鎌之助へ交替した理由については、巻末にて以下のように説明しています。
従来摺方については種々苦心を費やせしも何分満足の域に至らざりしが本巻を手始めとして毎巻美術印刷に著名なる「国華」の印刷師田村鎌之助へ摺方を委託し十分の時日と費用を抛ち従前よりは一層精美の印刷となし其外彫刻製本紙質等も極めて精良をつとむる事にせり
美術世界11(春陽堂, 明治24)(*2)
 『国華』とは、明治22年(1889)に国華社から創刊された美術雑誌のことです。以上をみると、美術に精通していた省亭を編集者として据えるだけでなく、摺師や彫師の選定、製本および紙質にも春陽堂がこだわりをみせた様子を窺うことができます。
 さて、『美術世界』の摺方を一度離れた市松ですが、第17巻よりその座に復帰しました。その後、諸事情により春陽堂を離れることになりますが、彼の仕事ぶりは同じく摺師であった父親同様、作家の間でも高く評価され続けることとなります。彫師として名をみせている五島徳次郎も、春陽堂の木版印刷物を数多く手掛ける著名な職人でした。近代期における春陽堂の木版印刷、とりわけ美術出版を支えたのは、一流の職人らであったのでしょう。
 次回は、これらの職人らによって制作された近代木版口絵がどのようなものであったのか、また、その盛衰について取り上げます。
【註】
*1 新井(2017)より引用。
*2 ここで引用している巻末の「稟告」については、欠丁している本も多く現存しています。
【参考文献】
新井佐絵「多色摺木版画雑誌『美術世界』(渡辺省亭編・春陽堂)」(近代画説 (26), pp.152-169, 2017)
岩切信一郎「近代口絵論:明治期木版口絵の成立」(東京文化短期大学紀要 (20), pp.13-23, 2003)
鏑木清方『こしかたの記』(中央公論美術出版, 1961)
紅野謙介『書物の近代:メディアの文学史』(ちくま学芸文庫, 1999)
山崎安雄『春陽堂物語:春陽堂をめぐる明治文壇の作家たち』(春陽堂書店, 1969)

この記事を書いた人
常木 佳奈(つねき・かな)
1990年、静岡県生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士課程後期課程、日本学術振興会特別研究員(DC)。原著論文に「近代木版口絵の制作過程とその体制:朝日コレクションのデジタル化プロジェクトを通して」(『アート・リサーチ』(19), pp.3-14, 2019)など。