第3回 近代木版口絵の盛衰(2)

立命館大学大学院文学研究科/日本学術振興会特別研究員(DC) 常木佳奈

 前回は、江戸時代と明治時代の口絵の違いと黎明期の近代木版口絵についてご紹介しました。今回は、近代木版口絵の全盛期から衰退(明治30年代から明治末期)までを追っていきましょう。

春陽堂と書物の〈装い〉
 同時代において木版口絵付単行本や雑誌を盛んに発行した出版社は、春陽堂と博文館、青木嵩山堂(あおきすうざんどう)といわれています。春陽堂は、橋口五葉(はしぐち・ごよう)とのコラボレーションで知られるような夏目漱石の単行本なども多数出版しており、美麗な書物を出すことに定評がありました。(この内容は「春陽堂とラジオドラマ」第3回でも取り上げられていますので、ご興味があればあわせてお読みください。)漱石の単行本に木版口絵が付くことはありませんでしたが、小説作家やその内容に合わせて書物の〈装い〉を決めていたのかもしれません。
 小説の本文以外の書物の装いのなかでも、本連載で取り上げる木版口絵について注目すると、当時は「まづ貸本屋の店頭で客は口絵を先に見て借りて往く」 (*1)といわれただけでなく、作家・尾崎紅葉にも「今は口絵がなければ買ツて呉れない世の中」 (*2)とさえいわせたほど、読み手の関心を引くコンテンツのひとつとされていました。春陽堂は、口絵を書物へ効果的に付けていたのです。このように、同社は書物の装いにも気を配り、人々の読書欲を刺激していたのでしょう。

近代木版口絵の流行~単行本の口絵~
 小説本を中心とした単行本へ一枚物の木版口絵が付けられるようになったのは、明治24(1891)年頃でした。

後藤宙外(ごとう・ちゅうがい)『しら露』(明治31, 春陽堂)
口絵:富岡永洗(とみおか・えいせん)
立命館大学アート・リサーチセンター所蔵(arcUP6772)

 単行本の口絵は、この次に紹介する雑誌の口絵よりも手の込んだものが多い印象を受けます。
 小説作家・泉鏡花と画家・鏑木清方(かぶらき・きよかた)のように「名コンビ」と称されるような組み合わせが誕生したのも、単行本の口絵を介してでした。作家のなかには、自身で口絵の下絵を描く者もおり、それは江戸時代の伝統を引き継いでいるという指摘もあります (*3)。このような場合、指示を受けた画家の名前が口絵の画面上に記されますが、作家・村上浪六(むらかみ・なみろく)は著書『三日月』(明治24, 春陽堂)の口絵で自身が下絵を手掛けたことを述べると同時に、画面上に「なみ六画」と記しており、珍しい口絵となっています。

近代木版口絵の流行~文芸雑誌の口絵~
 小説の単行本に木版口絵が付きはじめた数年後からは、文芸雑誌にも同様の口絵が付くようになります。
 ここに特に力を入れたのが、博文館です。同社は、明治28(1895)年に発行した文芸雑誌『文芸倶楽部』へ木版多色摺の口絵を付けました。
 当連載「第2回 近代木版口絵の隆盛(1)」でも触れましたが、口絵は小説の登場人物紹介という役割を担うものです。『文芸倶楽部』の口絵も、当初は巻頭小説に付随する内容のものでしたが、明治30(1897)年には約1年間、小説とは関係のない美人画風の口絵を付けるようになりました。その後の4年間はまた以前と同じスタイルに戻りましたが、明治35(1902)年以降は再度、美人画風の口絵を付けています (*4)。これらの絵柄は、春であれば桜、夏なら海や蛍、といったように、季節の風俗に即したものでした。

『文芸倶楽部』3(10)(明治30, 博文館)
口絵:武内桂舟(たけうち・けいしゅう)「美人撲蛍(ぼっけい)」筆者蔵

 このように『文芸倶楽部』の口絵の図柄が変化した理由については、画師・画家が巻頭小説を読み、その内容を消化したうえで版下絵を描き、その後木版口絵を制作するという流れでは時間的に余裕がなかったため、また、時には、小説の内容を正確に理解できなかった画家によって、内容と齟齬(そご)のある口絵が付けられることがあり、次第に巻頭小説の内容とは距離を置くようになったためという指摘があります (*5)。それとあわせて、江戸時代の口絵とは異なり、独立した一枚物の紙に摺られるようになった口絵は、書物の付録的な位置づけも兼ねられ、小説の内容からは離れ始めたのではないのでしょうか。
 ちなみに、博文館の『文芸倶楽部』のライバル雑誌は、春陽堂の『新小説』でした。『新小説』は明治22(1889)年から発行された文芸雑誌ですが、『文芸倶楽部』が一貫して木版の口絵を付けていたのに対し、『新小説』には木版のほかに、石版やコロタイプによって印刷された口絵が付けられています (*6)。口絵というひとつのコンテンツに各誌・各社の特色が垣間見えます。

近代木版口絵の流行~木版口絵付書籍の広がり~
 近代木版口絵が流行すると、付けられる書物の種類も次第に幅広くなっていきました。その一例として、『日用百科全集』などの事典類や、『日本女礼式大全』などの実用書が挙げられます。このような分野の書物の口絵は、その内容に即した絵柄の口絵が付けられました。

日用百科全書12(博文館, 明治29)口絵:富岡永洗
立命館大学アート・リサーチセンター所蔵(arcUP6758)

坪谷水哉(つぼや・すいさい)『日本女礼式大全』(博文館, 明治36)
口絵:水野年方(みずの・としかた)筆者所蔵

 このように、近代木版口絵は登場人物紹介という本来の役割のほかに、読者が本を手に取るきっかけとなる役割も担うようになりました。

近代木版口絵の衰退
 明治20年代後半から盛り上がりをみせた近代木版口絵付単行本・雑誌ですが、明治44(1911)年を境に総数が減少していきます。大正5(1916)年あたりになると、ほとんど姿をみせなくなってしまいました。
 この理由には、自然主義文学の台頭や人々の嗜好の変化などがあると指摘されています (*7)。さらに、春陽堂や博文館のような大手ではないながらも木版口絵付書物の出版に力を入れた青木嵩山堂は、木版口絵の制作費が経営を圧迫し、廃業に追い込まれたともいわれており、経済的な事情が関係したとも考えられます (*8)。先に挙げた理由のほかには、木版職人らの人口が減少したことなども考えられますが、いずれかひとつの要因だけでなく、それらすべてが影響しあい、近代木版口絵は衰退へ向かっていったのでしょう。
 次回は、錦絵(江戸時代に発展した木版多色摺の浮世絵)とほとんど同じとされる近代木版口絵の制作工程についてみていきましょう。
【註】
*1 「戦後の貸本屋」(『新小説』10(12), 明治38)
*2 「紅葉氏の新聞小説論」(『読売新聞』明治32年2月13日別刷)
*3 出口智之「明治中期における口絵・挿絵の諸問題‐小説作者は絵画にどう関わったか‐」(湘南文学 (49), pp.129-162, 2014)
*4 山田奈々子「『文芸倶楽部』口絵総目録」(浮世絵芸術(144), pp.64-97, 2002)
*5 註4に同じ。
*6 山田俊幸『アンティーク絵はがきの誘惑』(産経新聞出版, 2007)
*7 註4に同じ。
*8 青木育志・青木俊造『明治期の総合出版社 青木嵩山堂』(一般社団法人アジア・ユーラシア総合研究所, 2017)
この記事を書いた人
常木 佳奈(つねき・かな)
1990年、静岡県生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士課程後期課程、日本学術振興会特別研究員(DC)。原著論文に「近代木版口絵の制作過程とその体制:朝日コレクションのデジタル化プロジェクトを通して」(『アート・リサーチ』(19), pp.3-14, 2019)など。