第5回 近代木版口絵の制作(2)

立命館大学大学院文学研究科/日本学術振興会特別研究員(DC) 常木佳奈

 前回は、錦絵の制作工程をベースにしつつ、近代木版口絵の制作について、校合摺(きょうごうずり)の制作までをみてきました。今回はその続きをみていきましょう。

【4】色ざし・さしあげの制作
 色板用の版下として校合摺ができあがると、それらは一度、画師のもとへ戻されます。画師はその校合摺1枚1枚へ、各色の該当箇所を朱で塗りつぶしていきますが、これを「色(いろ)ざし」または「色(いろ)わけ」といいます。
 錦絵の場合はこれをもって色板の制作に取り掛かり、摺りの工程へと入っていきますが、近代木版口絵が流行した頃から、新たに「さしあげ」とよばれるものが色ざしと同時に制作されるようになりました。このことについて、当時、数多くの口絵制作に携わった画家・鏑木清方(かぶらき・きよかた)は次のように回想しています。
 木版が出来上ると、奉書かまたは正(まさ)と云つて、錦絵に用ひた厚目の紙にそれを墨摺にしたもの、それには礬水(どうさ)を引いてあつて、画師はあらかじめ頭(あたま)のなかに出来てゐる仕上りの考へに従つて彩色をする。「さしあげ」と云つて、摺師はこれを手本に仕事をするのである。その他に礬水のない美濃紙へ前と同様黒摺にしたのを凡そ二、三十枚ほどが要る。画師は「さしあげ」で示した色を分解して、一つ一つそのための色板をこしらへる工作をしなければならない。(中略)「さしあげ」の始まつたのは、口絵からかと思はれる。浮世絵版画の頃は全く肉筆と違ふ技法に立つてゐたのが、時の風潮であらうかだんだん肉筆風になつて来たので、そこに摺の手本が必要になつたのである。(*1)
 さしあげのはじまりや、その背景についての詳細については研究の余地がありますが、同じく画家・鰭崎英朋(ひれざき・えいほう)の文章をみても(*2)、近代木版口絵が流行した時期に取り入れられた工程なのでしょう。
 ちなみに、明治30年(1897)頃から昭和にかけて制作された新版画にも、このさしあげの工程がみられるようです(*3)。

さしあげは、摺りあがりの色見本のような役割を担った。
大橋又太郎(編)『日用百科全書第7編 裁縫と編物』(博文館, 明治28)口絵:梶田半古
さしあげ(左)/口絵(右)
立命館大学アート・リサーチセンター提供/24900011-01・24900010-01 朝日智雄氏所蔵

さしあげには、摺刷の指示が書き込まれることもあった。
表紙絵のさしあげ(詳細不明)
立命館大学アート・リサーチセンター提供/49500400-01 朝日智雄氏所蔵

 さしあげは実際の摺り上がりの見本ではありますが、さしあげが制作されてから色板の制作までの間に、何らかの理由によって配色や模様の変更が加えられた事例も見受けられます(*4)。このようなことがなぜ起こったのかは不明ですが、小説作者や関係者からの注文による変更、あるいは、彫師が独断で改変を行ったと考えるのが自然でしょう。このようなケースをみればわかるように、口絵がさしあげとまったく同じ通りにできあがらないことも珍しくはなかったのです。

【5】色板の制作から摺刷
 色ざしとさしあげが終わると、それらは再び彫師のもとへ渡り、色板が制作されます。それぞれの色の板が完成したら、摺師のもとへ板木が渡され、いよいよ摺刷にあたります。

校合摺(左)と完成した口絵(右)
三宅青軒(みやけ・せいけん)『うらおもて』(誠進堂, 明治35)口絵:山中古洞(やまなか・こどう)
立命館大学 アート・リサーチセンター提供/85700062-01・85700061-01 朝日智雄氏所蔵

 当時、単行本を出版するにあたり初版で印刷する部数はさほど多くはなく、約数百部とされています。大手出版社であった春陽堂であっても、創業者・和田篤太郎(わだ・とくたろう)の方針で、初版1,500部以上は刷らなかったという話もあります(*5)。ただし、発行部数が2万部ともいわれた博文館の『文芸倶楽部』などの文芸雑誌などの場合でも、同じ数の木版口絵を準備しなければなりません。発行部数も多く、出版のスケジュールもタイトであったこのような場合には、同じ絵柄の板木を複数組制作して摺刷にあたっていたようです(*6)。

異なる主版で摺刷された口絵。
『文芸倶楽部』3(10)(博文館, 明治30) 口絵:武内桂舟「美人撲蛍」 両図とも筆者所蔵

 上の2図は、どちらも『文芸倶楽部』第3巻第10号に付せられた「美人撲蛍」(武内桂舟)という口絵です。これらを詳細に観察すると、爪の形状や描線が異なることがわかり、同じ絵柄に対して複数組の板木が用意されていたということが推測されます。摺刷の現場に関する記録は管見の限りほとんど残っていませんが、作品を注視することで、その一端を垣間見ることも可能なのです。

【6】完成
 このようにして摺り上がった口絵は、書物へ挿し込まれ、読者の手に渡ります。口絵のほかにも表紙絵や袋などにも木版画を用いている書物も多く、鑑賞物としても楽しむことができます。

福地桜痴『みだれ焼』(春陽堂, 明治33) 口絵:梶田半古
口絵(左)/単行本の袋(右)
立命館大学アート・リサーチセンター提供/24900075-01・24900078-01 朝日智雄氏所蔵

 これまで全5回に渡って、明治期の春陽堂が力を入れた近代木版口絵付書物について取り上げてきました。連載のなかでも触れましたが、近代木版口絵に関する研究はほとんど進んでいない状況です。しかし、同時代の読者にとって、小説と同じくらい、時にはそれ以上の関心事であった木版口絵の存在はとても大きな意味を持っています。近年は、国内外の機関で近代木版口絵を取り上げた展覧会が開催されています(*7)。このように世界中から関心を集めている近代木版口絵ですので、これからは更に研究が進んでいくことが期待できるでしょう。
「近代木版口絵と春陽堂」全5回をお読みいただき、ありがとうございました。
【註】
*1 鏑木清方『こしかたの記』(中央公論美術出版, 1961) 傍線は、筆者によるもの
*2 「所が今日では版下画家の方で其約束を何時か忘れて自分勝手な絵具を用ひますやうになりましたものですから、摺師の方では画家が何様して斯様いふ色を出したかと云ふことが解りませんものですから結局挿上といふやうな面倒な手数を其の間に労らはすやうなことになったのであります 」
引用: 鰭崎英朋「版下と彫と摺」(『現代画集 卯月の巻』春陽堂 ,pp.1 5, 1911
*3 小山周子「大正新版画の研究-版元を中心とした美術の成立、構造と展開」(総合研究大学院大学博士論文, 2013)
*4 常木佳奈「近代木版口絵の制作過程とその体制:朝日コレクションのデジタル化プロジェクトを通して」(アート・リサーチ(19), pp.3-14, 2019)
*5 山崎安雄『春陽堂物語:春陽堂をめぐる明治文壇の作家たち』(春陽堂書店, 1969)
*6 注4に同じ。
*7 以下、主要な展覧会。アラド美術館(アラド/ルーマニア)”Kuchi-e, Stampejaponezedin perioadaMeiji”(2016)、ホノルル美術館(ホノルル/アメリカ)“Illustrating the Modern Novel: The Art of Mizuno Toshikata”(2017)、オーストラリア国立図書館(オーストラリア)“Melodrama in Meiji Japan”(2017)、特種東海製紙Pam(三島)「美人歳時記:文藝倶楽部口絵集展」(2017)。2020年には、太田記念美術館(東京)で「鏑木清方と鰭崎英朋近代文学を彩る口絵:朝日智雄コレクション」の開催が予定されている。
この記事を書いた人
常木 佳奈(つねき・かな)
1990年、静岡県生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士課程後期課程、日本学術振興会特別研究員(DC)。原著論文に「近代木版口絵の制作過程とその体制:朝日コレクションのデジタル化プロジェクトを通して」(『アート・リサーチ』(19), pp.3-14, 2019)など。