オレンジのシャツが白馬の森の緑に映える。実はとってもおしゃれな人なのだ。

漂泊流転の人、山頭火。
その魂の叫びは珠玉の俳句に結実し、
今も読む者のこころを揺さぶり続けています。
春陽堂書店はそんな俳人にちなんで山頭火賞を設立し、
感動を与えてくれる魂の表現者に贈ることにしました。
第一回の受賞は大駱駝艦(だいらくだかん)主宰の舞踏家・麿赤兒さん。
嵐山光三郎さんと林望さんお二人の選考により決定です。
そこで、合宿地の長野県・白馬村で喜びの声を聞きました。

(取材日・2018年8月4日)取材協力・大駱駝艦 / 撮影協力・テレコムスタッフ

負けて始まる
──山頭火賞受賞、おめでとうございます。
麿 ありがとうございます。
──山頭火は放浪を続けながら、生涯「自分の俳句にほんとうの俳句」を追求した人。麿さんも舞踏芸術に対する熱い思い、強い発信力が評価されて受賞の運びとなりました。
麿 そんな大それた生き方をしているわけではありませんので、恐縮してしまいます。すべて自分は行き当たりばったり。なにごとも負けたところから始まると考えてここまで来ましたから。
──負けたところから始まるとは?
麿 泳いでいておぼれかけたら手足をばたつかせるよりも気絶しておいた方が体が浮いて助かるかも知れない。なにごとも負けまいと力を入れて構えていたら息苦しくなるでしょう。
それにこれからの時代は逃げることが大切になってくるように思います。逃走本能にしたがって生きることが大切じゃないかと開き直っています。
もっとぐちゃぐちゃになれ
──“闘争本能”じゃなくて“逃走本能”!?
麿 はい。けれど逃げても逃げても、結局、出てくるものがあるんです。山頭火さんも草鞋(わらじ)を履いて行乞の旅を続けたからこそ手にしたものがあるに違いありません。
それに逃げるのも楽じゃありませんよ。引力に抗(あらが)って生きるので力がいります。離れていく力というのかな。そこに句を作るエネルギーがあったんでしょう。
──山頭火も家族を捨て、激しく酒にのめり込み、旅に明け暮れましたから。これもまさに逃走ですね。
麿 でも、ぼくは山頭火さんほど徹底してさまよい歩いてきたわけじゃない。彷徨(ほうこう)するのも簡単じゃありませんからね。
ですから、今回の受賞はもっとしっかりぐちゃぐちゃになれ、今までのような中途半端な迷い歩きはいかんぞという山頭火さんの叱咤激励であると感じました。酒も旅も(小声で“女も”)しっかりやってぐちゃぐちゃになれっていう。「賞」じゃなくて逆に「罰」だと思っています(笑)。

俳句は転がり出てくるべし
──山頭火のどの句にひかれますか?
麿 「酔うてこほろぎと寝てゐたよ」とか「迷うた道でそのまま泊る」という句ですね。さまよって離れていって逃げて行って、その末に転がり出てきたんじゃないでしょうか。
よく「一句拾った」と言っていますよね。
それに山頭火さんは、“今度の旅では酒は飲まない”と宣言したこともあった。そんな反省をしながら舌の根も乾かないうちに泥酔して前後不覚になっている。反省するくせにすぐ忘れて、また飲んでしまう。
息子が旅先の郵便局に送って来た金もとっておけばいいのに、あっという間にパッと飲んでしまう(笑)。
どうみてもこの生き方はプラスじゃなくてマイナスです。けれど、算数でたとえるとマイナス100とマイナス1をかければプラス100。プラスになるんだな。そこに山頭火さんの句の真髄があるように感じますね。
かっこつけない凄(すご)み
──麿さん語録には印象的な言葉がたくさんありますが、踊りは虚無や絶望から生まれるという言葉がありました。
だから、かっこつけてる人を見るとからかいたくなる─そんなこともおっしゃられています。
麿 山頭火さんはかっこつけない凄みがあるんです。ちっともかっこつけない。毎日毎日恥を忍んで自分の破滅的行いを言葉にしている。離婚した奥さんにも無心をしに行っているし、そういう中から句を生みだしていますから仰天です。
──別れた奥さんに助けを乞うなんて普通じゃできませんね。
麿 徹底的に自分を追い込んで普通じゃなくなると、そこにいろんな表情が出てくるようになる。だから人間はいくつもの顔を持つ多面体なんだと思えてきます。はてさて、どんな生き物なのかという興味もあるのです。

悲しみはドーンとくる
──麿さんは、父親母親の記憶がないとうかがいました。
麿 父親は太平洋戦争で戦死しました。海軍の職業軍人でしたが、僕が生まれてすぐのことで、それにショックを受けた母親は精神的な病を得て離縁されてしまったのです。
僕を逆さまにしておんぶしていたらしい。ですので小学校3年まで祖母の乳を母親の乳と思ってしゃぶって育ったくらいです。
──ご苦労されて。
麿 申し訳ありませんが、そんな気持ちになったことは、一度もありません(笑)。聞いて知ったときに悲惨を通り越して笑ったくらいですから。
けれど山頭火さんは10歳の時に母親が家(山口県・現防府市)の井戸に飛び込んで自殺してますよね。顔は腫れ上がっているだろうし、骸(むくろ)は目に焼き付くだろうし、匂いもするだろうし、あらゆる情念がべったりと張り付いたんじゃないでしょうか。それに大きな造り酒屋だった家が没落して熊本に逃げるなど、痛ましいことがドーンと来ましたから僕の苦労なんかたいしたことないって感じます。
山頭火の激しいジレンマ
──麿さんご自身の故郷である奈良についてはどんな感情をお持ちになっていますか。
麿 政変、暗殺、天変地異──奈良は平城京の昔から訳ありの場所です。どこを掘っても何か歴史のかけらが出てくる。そんな風に時代をさかのぼるところで育ちました。少年時代の遊び場所はあの三輪山を見上げる大神(おおみわ)神(じん)社でしたから。それで小学校5年の頃、小児結核にかかってね。病室から見た桜が来年も見られるかと思ったり。
 でも、今でも、奈良に帰ると、時間はあっという間に少年時代に戻ります。奈良は僕をずっと保護してくれた場所なんですよ。
けれど山頭火さんは故郷の家が人手に渡ったりして悲しい思い出しかない。帰りたいけど帰れないジレンマは相当に激しかったんじゃないでしょうか。
それにくらべれば僕なんかまだまだ。「もっと徹底して踊りたまえ」山頭火さんからそんなお叱りを受けてるような気がします。

写真はクリックで拡大します。

麿さんの踊りは虚無や絶望から生まれる。

踊る麿さんの視線の先には何があるのだろう。

雄々しさが伝わる。


大駱駝艦の白馬村合宿の野外公演舞台は長野オリンピックが行われた競技場のすぐそば。


出番を待つ俳優、スタッフ。


金粉ショー、感動のクライマックス。

華々しい演出が観客の目を奪う。

舞台の背後の木々が独特の効果を生む。


「インタビューを終えて─」
麿さんの話は逆説に満ちている。
半端ない逆説の力は気持ちよいほどだ。
「なにごとも負けたところから始まる」「逃げることが大切」などなど、今流行のプラス思考を思わせる言葉なんか一つも出てこなかった。
山頭火の好きな句として「酔うてこほろぎと寝てゐたよ」を上げてくれた。旅の歩(ほ)を先に進めようなんて上昇志向のひとかけらもない句だが、そこが山頭火のいいところだと言う。
なにが起こるかわからないのが人生。それなのに人間はスマホやAI(人工知能)など使って先へ先へと進もうとする。
“こほろぎと寝てなにが悪いか”山頭火が麿さんに憑依しているのを見た。

(インタビュー:丘崎葉留彦)
コラム「夏の白馬、9日間の奇跡」
麿さん主宰の大駱駝艦では毎年、特別体験舞踏合宿を行っている。平成30年度は7月28日~8月5日。場所は長野県北安曇郡白馬村の大駱駝艦合宿所。踊りの未経験者、経験者等々、職業も年齢も違う参加者30名ほど集まるが、たった9日間で感動の金粉ショーを踊れるようになる。奇跡としか言いようがない。
大駱駝艦HP
http://www.dairakudakan.com/
引用した俳句の表記は村上護編『山頭火全句集』(春陽堂書店、2002年)による
この記事を書いた人
     春陽堂書店編集部
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