〜第一回種田山頭火賞授賞式詳細レポート〜

右から審査委員の嵐山光三郎さん、受賞者の麿赤兒さん、山頭火ふるさと館館長の西田稔さん、審査委員の林望さん。

春陽堂書店創立140年を記念して設立された種田山頭火賞。
第一回の受賞者は、俳優、舞踏家として日本で、
そして世界で活躍されている麿赤兒さんです。
2018年9月13日(木)に、東京・千代田区にある山の上ホテル本館で
開かれた授賞式と懇親会の様子をお伝えします。

 暑さも一段落し、吹く風が心地良く感じられるようになった9月13日、東京・千代田区にある山の上ホテル本館1階「銀河」で、第一回種田山頭火賞授賞式が行われました。
 会場入り口に置かれたテーブルには、春陽堂書店で過去に出版された山頭火の句集や著作集が並べられ、「うしろすがたのしぐれてゆくか」「分け入っても分け入っても青い山」など、山頭火の出身地である山口県の書家・富永鳩山(とみなが・きゅうざん)さんによって書かれた代表句が飾られています。

会場入り口のテーブルにディスプレイされた春陽堂書店発行の山頭火の書と、山頭火の名を冠した日本酒の数々。

 間もなく会場は招待者48名、メディア関係者30名でいっぱいになり、授賞式は定刻通りに始まりました。
 オープニングVTRに続いては、春陽堂書店を代表して編集部の永安浩美が挨拶。創業140周年を迎える節目の年に、文芸出版社として新たなスタートを切る第一歩として種田山頭火賞を設けたこと、山頭火没後80年となる2020年に向け、新たに全集を発行することが発表されました。

会場の後ろで、静かに出番を待つ麿赤兒さん。

山頭火の「生き方」に着目した賞
 続いて、受賞者選定に関わった二人の選考委員が紹介されました。
 まず、国文学者で作家の林望さんが、この賞の選考基準について説明。山頭火の「作品」ではなく「生き方」に光を当てた賞であること、その基準として「世外(せいがい)」と「風狂(ふうきょう)」という2つの言葉をあげ、ヒエラルキーとは無縁の融通無碍(ゆうずうむげ)な生き方をしながら実績を重ねてきた人を顕彰するための賞であることが伝えられました。
 その上で「自らの信ずるところに従い、融通無碍な人生をおくってこられた方で、山頭火賞の出発として最もふさわしい」と、第一回種田山頭火賞の受賞者として、俳優、舞踏家として大駱駝艦(だいらくだかん)を主宰する麿赤兒さんの名前が発表されました。
 もう1人の選考委員である作家、嵐山光三郎さんは、麿さんが山頭火賞に決定した理由を説明。「土方巽(ひじかた・たつみ)さんの指導を受け、大駱駝艦を作って46年目。大きな手術を経てなお懸命に舞踏を続ける姿に感動する」と話し、ここ2、3年で書籍を発行していること、旅をしていることも受賞理由に加えました。

審査員の嵐山さんと林さんは、審査の基準と麿さんに決定した理由を説明。

ユーモア溢れる麿赤兒さんのコメント
 いよいよ授与式。会場で受賞者を紹介するVTRが流れた後に、本日の主役である麿赤兒さんが登壇。山口県防府市(ほうふし)にある山頭火ふるさと館館長、西田稔さんから、「自由律句に関する賞は多いが、山頭火の生き方に焦点を当てた賞は初めて。自分を見つめる決意を秘めたこの句は、麿さんにぴったり」と、「何を求める風の中ゆく」という山頭火の句の書とともに、山頭火の名を冠した山口県の日本酒、賞金が贈呈されました。
 授賞式の最後に披露された麿さんのコメントは、ユーモア溢れる実に麿さんらしいものでした。

「どうしようもない私は、まっすぐな道を歩くのが嫌で、曲がり曲がって75年生きてきて、曲がり角でこういう賞に出くわしました。身に余るというか、十字架を背負わされたというか、これは審査委員の嵐山さんとりんぼう先生の陰謀ではないか(笑)。あいつにちょっと罰を与えてやらないと、このまま引いてしまうのではないかと。そういう励ましの証と受け取って、ありがたく十字架を背負ってがんばっていきますので、今後ともよろしくお願いします。ありがとうございました」。

独特の“麿節”で会場をわかせた麿赤兒さんのスピーチ

囲み取材による一問一答
 授賞式の後は、麿さんを囲み、報道関係者による質疑応答が行われました。その一部をご紹介しましょう。

報道陣に囲まれ、質問に答える麿さん。

── 山頭火の句は好きですか?
 非常に覚えやすい句ですが、受賞が決まるまでは知らなかったです。決まってから春陽堂書店の人がたくさん山頭火の本を持ってこられましたから一夜漬けです(笑)。でも、いくつか心に染み入る句がありました。たとえば、「どうしようもないわたしが歩いてゐる」とか「迷うた道でそのまま泊る」とかね。迷った道でウロウロするというのは、僕の踊りの基本ですから。「つかれた脚へとんぼとまつた」なんかは、身体感覚でのとんぼとの会話というイメージですね。

── インスピレーションがわいてくる句なのでしょうか。
 そうですね。とんぼも無防備な人には心を許すみたいな。そういう身体感覚というか、微妙な感覚がつながっていて、くったくがない。だから覚えやすいんです。「笠へぽつとり椿だった」とかね。いちいち「〜や」って言わないところがいい(笑)。

── 型から逸脱しているところが、舞踏と通じているところでしょうか。
 まあ、それはあるかもしれませんね。あまり教養がなくてもわかるでしょ。身体で。芭蕉さんの句は、わかる人にはわかるし、わからない人には上っ面しかわからないけど、山頭火に関しては「身の回り」のことを書いているように「一見」思えるからスコンと入ってくる。しかし、そうはいかないぞと、どっかでワナを仕掛けられているんだろうなということは、踊りの切り口としても考えてみたいと思います。

── 受賞をきっかけに、山頭火にまつわる振付も考えておられますか?
 ええ、そのつもりでいるんですけどね。これも十字架を背負わされた僕の宿題として(笑)。むずかしいですが、なんとかおもしろい切り口を見つけたいと。山頭火という人のいろいろな面を振り付けてみると、とんでもない化け物になるような気がします。まあ、来年の話ですが、ぽつぽつと。それこそ、山頭火が「今日も一句拾った」と日記に書いているように、僕もそんな感じで積み重ねていきたいと思います。

── 山頭火の人間性は、麿さんから見てどうですか。
 負けてますね。もっと堕ちないと。まだまだ中途半端だな。これ以上堕ちるには犯罪でもやるしかないかな(笑)。先ほど生き方に与えられた賞だという話が出ましたけど、客観的に見ると山頭火の生き方はひとつの境地ですからね。その境地に入っていけるかどうかというと、そう簡単なものではない。だから、先ほども言いましたけど、罰を与えられたな、と(笑)。ただね、山頭火を読むと、逆にこっちが自由になれるというところはありますよ。普通の賞と違って、自由さとプレッシャーが同時に存在している。

── 賞のことは、息子さんやご家族には伝えましたか?
 一応言ったんですけど、次男(俳優の大森南朋さん)は「忙しい」と。おやじみたいに暇じゃねぇって感じです。兄貴(映画監督の大森立嗣さん)のほうは来るはずだったんだけど、なんか仕事だって。おやじのことなんかどうでもいいんですよ(笑)。

“クマさん”のスピーチで盛り上がった懇親会

会場には編集者で作家の末井昭(右)さんも駆けつけた。

 授賞式終了後、一同は2階の「つばき」で開かれた懇親会の会場へ。“クマさん”こと、芸術家の篠原勝之さんの乾杯のスピーチは、会場を笑いの渦に巻き込みました。
「おれもじじいになってね、山に長いこと暮らしていると友達もだんだんいなくなっちゃう。だから大駱駝艦なんかに行くんだよ。それで夕方になると蕎麦屋で飲むんだけど、麿さんは昔からそうなんだけど、儲からない金儲けの話をするのが好きなの(笑)。シカゴで駱駝売ってビルを建てる、そんなような話だからとても儲かるとは思えねえんだよ。それを聞きながら、ああ、この人は山頭火みたいだなって思ってた。麿さんはこの賞をもらって初めて知ったみたいだけど、おれは山頭火、前から知ってたんだからね!(笑)それでは、“踊る山頭火”に乾杯!」

スピーチを終えた篠原勝之さんと抱き合う麿さん。

審査員の嵐山さんと談笑する篠原勝之さん。

一気に和んだ会場で、ワインやビール、ジュースのグラスを片手に、出席者はそれぞれの交流と会話を楽しみました。そして最後は再びクマさんが音頭をとって三本締め。第一回種田山頭火授賞式と懇親会は、こうして無事に終了しました。


構成・文/辻さゆり(つじ・さゆり)
山口県生まれ。フリーランス・ライター、編集者。『ミセス』(文化出版局)、『エクラ』(集英社)などの雑誌や、企業・団体の冊子、広報誌を中心に活躍中。やさしくわかりやすい筆致には定評がある。篤い信頼を寄せる作家も多い。

写真/大杉隼平(おおすぎ・しゅんぺい)
1982年、東京都生まれ。カメラマン。ロンドン芸術大学卒業。『ミセス』(文化出版局)でカメラマンとしてのスタートを切り、以後、一流の雑誌やイベントなどで撮影活動を続ける。完成度の高いアート性は、他のカメラマンの追随を許さない。惜しくも2018年2月に亡くなった俳優・大杉漣の長男。