小川未明童話紀行「ふるさとの風光、ことばのふるさと」【3】 宮川健郎

もう一度読み返したい! 名作童話の世界。
小社刊、宮川健郎編・名作童話シリーズ『小川未明30選』に収録した、
<小川未明童話紀行>を6回に分けて転載いたします。
編者自ら作者ゆかりの地に赴き、生誕地や作品の舞台を訪ねる旅もいよいよ終盤。
未明と未明童話のふるさとである高田(新潟県上越市)を訪ねました。

未明の母語
 この『名作童話 小川未明30選』には、未明童話の代表作30編をおさめた。今回は、それぞれの作品がはじめて単行本に収録された、その単行本を底本として(もとにして)本文をつくっている。30編のなかに「月と海豹(あざらし)」という童話があり、そのはじめのほうに、つぎのくだりがある。
「寒い風は、頻(しき)りなしに吹いていました。子供を失った、海豹は、何を見ても悲しくてなりませんでした。その時分は、青かった海の色が、いま銀色になっているのを見ても、また、体に降りかかる白雪を見ても、悲しみの心をそそったのであります。」
 段落をかえて、さらに、「風は、ヒュウ、ヒュウと音を立てて吹いていました。」とつづく。底本は、1926年4月にアテネ書院から刊行された『兄弟の山鳩』だが、引用したはじめの「寒い風は、頻りなしに吹いていました。」の意味がよくわからない。「頻りなしに」ということばが、なぞなのである。(そのあとにも、「後からも、後からも、頻りなしに、風は吹いていました」という文が出てくる)この本の編集実務を担当してくださったOさんとふたりで、わからない、わからないといいあった。「頻りに」か、「頻りなしに」という音から連想する「引っ切りなしに」なら、すぐわかるのだけれど、「頻りなしに」はわからない。「頻りなしに」は、ありえないことばのようにさえ思えてくる。

小川未明文学館(新潟県上越市)。

 研究者むけの児童文学全集である、ほるぷ版『日本児童文学大系』の小川未明の巻や、過去に刊行された、新潮社、潮出版社、旺文社、講談社、岩波書店各社の文庫の未明童話集を見たが、「月と海豹」が収録されている本で、このことばは、そのまま「頻りなしに」か、そうでなければ、ひらがなで「しきりなしに」となっている。ひらがなの「しきりなしに」からは、「仕切りなしに」という漢字を思いうかべ、仕切りなく、つまり、境目もなく寒い風が吹くということかと考えてみるが、これも、腑に落ちない。
 8月はじめに高田をおとずれたあとには、この「月と海_」の「頻りなしに」のことを、会う人、会う人に話すようになった。何人もの人に話して、意見を聞いたのだが、そのなかに、新潟市芸術文化振興財団の学芸員で、ウェブサイト「坂口安吾デジタルミュージアム」を管理する岩田多佳子さんがいた。坂口安吾も、小川未明と同じ新潟の生まれ育ちの作家である。安吾は、新潟市内の出身だが。岩田さんは、未明の「頻りなしに」から、やはり、坂口安吾を連想されて、こんな話をしてくださった。
 坂口安吾の作品のなかに、「異体の知れない」という表現があらわれることがある。「異体の知れない」というのも、わからないことばだ。「得体の知れない」なら、正体のわからないという意味だけれど。新潟方言では、エの音とイの音が交替する。安吾は、あたまのなかでは「得体の知れない」というふうに思っているのだけれども、実際に発音するときには、「いたいのしれない」といい、それを書くときには、「異体の知れない」と書いたのではないか……。岩田さんは、いくつかの安吾の作品から、例をあげてくださった。ここには、筑摩書房版『坂口安吾全集』から引く。
「着流しの医者は村の娘を嫁にしたが、異体(えたい)の知れないボヘミアンで、いつまで落付いてくれるものやらてんで見当がつかないのである。」(『吹雪物語』1938年)
「空一面の火の色で真の暗闇は有り得なかったが、再び生きて見ることを得た暗闇に、伊沢はむしろ異体の知れない大きな疲れと、涯(はて)知れぬ虚無とのためにたゞ放心がひろがる様を見るのみだった。」(「白痴」1947年)
 あとの「白痴」のほうは、「異体」に「えたい」とルビがふってある。全集巻末の解題によれば、これは、初出雑誌では、「得体」と表記されていたという。
 なるほど。岩田さんご自身も、新潟出身だそうだ。だから、坂口安吾のあたま(認識)と口(発音)と手(表記)について、ピンときたのだなと感心した。新潟方言で、もし、ヒとシも交替するならば、「頻りなしに」は、やはり、「引っ切りなしに」だということになりそうだけれど、どうなのだろう。それについて、岩田さんは、特に何もおっしゃらなかった。彼女は、私と同様、高度成長期に子ども時代をすごした世代で、未明のころとは、だいぶちがった新潟でそだったにちがいない
 少なくとも未明がことばを習得するころまでの新潟の方言で、もし、ヒとシも交替したなら……、そう思って、大学の図書館で本をさがした。書庫で、明治書院から刊行されている『日本のことばシリーズ』(平山輝男編)を見つけた。『新潟県のことば』(2005年)という巻もある。第一章の「総論」に、「方言の特色」という節があり、そのはじめに、母音の特色として、「老年層を主として、イとエは同音に発音される。」と書いてあるのだが、ヒとシのことは、子音に関するところを見てもよくわからない。そこで、専門家にたずねることにした。私の最初の勤め先である宮城教育大学で同僚だった、遠藤仁さんにeメールで連絡をした。遠藤さんは、日本語学、特に方言の専門家だ。「遠藤仁様 ごぶさたしております。その後、お元気ですか。」折り返し、返事がかえってきた。
……未明の件ですが、上越では『新潟県方言辞典 上越編』(渡辺富美雄編、野地出版、1973年)の見出し語からひろえば、「しげ(=髭)」「しっくりかえす(=ひっくりかえす)」「しっくりかえる(=ひっくり返る)」「しっこし=(引越し)」「しっつぶす(=ひっ潰す)」など「ヒ>シ」の音変化が盛んに行われていることがわかります。東京下町のような現象ですが、これは発音を滑らかにするためで、比較的どの地域でも起こりえます。……
 なるほど、なるほど。遠藤さん、ありがとう。メールの最後には、仙台に来たら、また飲みましょうというお誘いも書かれていたのだが、それはともかくとして、このメールを読んで、私は、未明の「頻りなしに」は、やはり、私にとっての「引っ切りなしに」と同じ意味なのだと確信した。ただ、それを「頻りなしに」と書くところに小川未明がいるのである。メールにあった『新潟県方言辞典 上越編』を私もさがして読んだ。35年ほど前に刊行された古い辞典だ。「し」の項を見ていくと、「しからびる(=干からびる)」「しとりでに(=ひとりでに)」「しばち(=火鉢)」なども、ひろうことができる。
 この「頻りなしに」から、私には、未明の身についたことば、母語とでもいうべきもののありようが見えはじめた気がする。そして、そこにこそ、未明の文学のオリジン(起源)があるのではないか。未明の身についたことばこそが、未明童話のふるさとなのではないか。
※この記事は、宮川健郎 編『名作童話小川未明30選』(春陽堂書店、2009年)に掲載した「ふるさとの風光、ことばのふるさと」を、ウェブ版として筆者である宮川健郎および編集部が加筆修正いたしました。
小川未明童話紀行「ふるさとの風光、ことばのふるさと」【4】へ続く
著書紹介
『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』春陽堂書店
名作童話をより深く理解するための一書。児童文学作家、未明・賢治・南吉文学の研究者による鼎談。童話のふるさと写真紀行、作家・作品をさらによく知るためのブックガイドを収録しています。
『名作童話小川未明30選』春陽堂書店
一冊で一人の作家の全体像が把握できるシリーズ。「赤いろうそくと人魚」で知られる、哀感溢れる未明の世界。年譜・解説・ゆかりの地への紀行文を掲載、未明の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話宮沢賢治20選』春陽堂書店
初期作品から後期作品まで、名作20選と年譜、ゆかりの地を訪ねた紀行などの資料を収録、賢治の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話新美南吉30選』春陽堂書店
初期作品から晩年の作品まで、名作30作を収録、南吉の身辺と社会の動向を対照した年譜8頁、ゆかりの地を辿る童話紀行を収録しています。南吉の業績を辿ることができる一冊です。
この記事を書いた人
宮川 健郎(みやかわ・たけお)
1955年、東京都生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。同大学院修了。現在武蔵野大学文学部教授。一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団 理事長。『宮沢賢治、めまいの練習帳』(久山社)、『現代児童文学の語るもの』(NHKブックス)、『本をとおして子どもとつきあう』(日本標準)、『子どもの本のはるなつあきふゆ』(岩崎書店)ほか著者編著多数。『名作童話 小川未明30選』『名作童話 宮沢賢治20選』『名作童話 新美南吉30選』『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』(春陽堂書店)編者。