もう一度読み返したい! 名作童話の世界。
小社刊、宮川健郎編・名作童話シリーズ『新美南吉30選』に収録した、
<新美南吉童話紀行>を5回に分けて転載いたします。
編者は愛知県半田市に赴き、新美南吉の生誕地や作品の舞台を訪ねました。
作家ゆかりの地を知ることで、より深く作品を味わうことができるでしょう。

原稿のゆくえ
 亡くなる前の月、2月12日付で、南吉は、巽聖歌に手紙を書き、未発表の原稿を託す。
「書留で、新しいのも古いのも、童話でないのも、ともかくいま手許にある未発表のものを全部送りました。いいのだけ拾って一冊できそうでしたら作って下さい。草稿のままで失礼とは思いますが、もう浄書をする体力がありません。
 こんどの病気は喉頭結核という面白くないやつで、しかも、もう相当進行しています。朝晩二度の粥をすするのが、すでに苦痛なのです。
 生前(というのは、まだちょっと早すぎますが)には実にいろいろ御恩を受けました。何らお報いすることのなかったのが残念です。
 いや、まだ事務的な話が少し残っていました。──もし、大和書店から出して下さることになったなら、さし絵画家の選択、校正など、いっさい大兄にお願いします。文章のいけないところも沢山あると思います。できるだけなおして下さい。もし他とのつりあいから、序あるいは跋が必要なら、それも最後のわがままとして、大兄の筆を煩わしとう存じます。
 検印は弟にさせますから、こちらへ用紙を送ってください。印税は小生の死後は実父半田市東山八十六番地渡辺多蔵に渡して下さい。(しかし小生の死後でも当分の間は小生の名あてでもいいわけです。)
 出るやら出ないやら、まだわからぬ本の印税の受取人について云々するのは笑止なことですが、小生、いつ瞑目するかわからないので、万一のことを予想して、お願いしておくのです。」(カッコ内原文)
 南吉は、「御文運の長久を祈ります。」とも「奥様にどうぞよろしく。」ともあいさつして、手紙をしめくくっている。このときの原稿には、「狐」「かぶと虫」「疣」など病をおして書いた最近作もふくまれていた。聖歌は、その原稿を出版社にわたし、2月末ごろ、泊まりがけで見舞いにおとずれる。原稿をもとに、第二童話集『牛をつないだ椿の木』が刊行されたのは、1943年9月、南吉の死後、半年あとだった。
 巽聖歌は、そののちも、南吉の作品をさまざまなかたちで紹介し、刊行していく。今日のように、南吉をよく知られた作家にした功績は、聖歌にある。だが、聖歌は、戦後、GHQが出版物を検閲するような状況のなかで、南吉の作品を改竄(かいざん)して発表することもしたのだった。たとえば、1951年に筑摩書房から刊行された作品集『ごんぎつね』に「ごんごろ鐘」をおさめたとき、聖歌は、作品に加筆や修正をしている。そのことについて、後年、聖歌はこう述べている。
 「『おじいさんのランプ』初版を持っている方や(「ごんごろ鐘」は、南吉の第一童話集『おじいさんのランプ』所収──宮川注)、研究家には断っておきたい。この文の最初の一行『これは、太平洋戦争のときのお話である。』は、戦後になって私がつけ加えた。それから、最後の四百字ばかりをけずって、『今はもうない、鐘のひびきがした。』も私が加えた。戦後はもう禁句的な文字になっていたし、『古いものは、むくりむくりと新しいものに生まれかわって』も『おじいさんのランプ』と同じプロットだ。お寺の鐘が、新しい弾丸になられてはたまらない。私の好きな作品の一つだが、この方が鐘の余韻も出るように思う。」『新美南吉童話全集』第二巻「作品解説」1960年
 同じように、聖歌は、作品「噓」についても、「愛国号」という飛行機をクジラに置き換える加筆をしている。聖歌の心には、南吉最晩年の手紙にあった「文章のいけないところも沢山あると思います。できるだけなおして下さい。」ということばがのこっていたのかもしれない。こうした聖歌の作品改竄は、聖歌が亡くなるころには、かなり問題視されるようになり、聖歌没後には、彼のもとにあった南吉の原稿を再調査して、『校定 新美南吉全集』(大日本図書)が編まれることになったのである。

南吉の墓(愛知県半田市)。

大野へ
 旅の3日め。朝、最初に、タクシーで北谷墓地へ行き、南吉のお墓参りをする。墓は、1960年に、父渡辺多蔵によって建立された。墓前で手を合わせる。
 つぎには、継母が家に入ったのち、南吉が小学校2年生のころに養子に出された新美家へ。南吉は、数カ月で父のもとへ帰るが、戸籍上は新美であり、新美を名のりつづけた。たとえば、「ごん狐」の気持ちがうまく伝わらないもどかしさ、さびしさなど、南吉童話のモチーフを、この生いたちとかかわらせて述べる意見は多い。
 さらに、半田池を見に行く。先にも述べたが、「おじいさんのランプ」の半田池とはちがって、大きな用水池だ。半田池は、大野の町へとむかう峠にある。「おじいさんのランプ」の巳之助は、ここをとおって大野へと行き、「噓」の子どもたちは、大野の北の新舞子へ行こうとした。私たちのタクシーは、峠を越え、巳之助がランプを仕入れ、はじめて電気も見ることになる大野へ入った。知多半島の東側から西側へ抜けたのである。旅は、おわりに近づいていた。大野の古い町並みをしばらく散策して、名鉄常滑(とこなめ)線の大野町駅から電車で名古屋へともどる。
 旅を終えて、2週間ばかりのち、テレビで矢勝川の堤の彼岸花が満開のようすを見た。

著書紹介
『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』春陽堂書店
名作童話をより深く理解するための一書。児童文学作家、未明・賢治・南吉文学の研究者による鼎談。童話のふるさと写真紀行、作家・作品をさらによく知るためのブックガイドを収録しています。
『名作童話小川未明30選』春陽堂書店
一冊で一人の作家の全体像が把握できるシリーズ。「赤いろうそくと人魚」で知られる、哀感溢れる未明の世界。年譜・解説・ゆかりの地への紀行文を掲載、未明の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話宮沢賢治20選』春陽堂書店
初期作品から後期作品まで、名作20選と年譜、ゆかりの地を訪ねた紀行などの資料を収録、賢治の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話新美南吉30選』春陽堂書店
初期作品から晩年の作品まで、名作30作を収録、南吉の身辺と社会の動向を対照した年譜8頁、ゆかりの地を辿る童話紀行を収録しています。南吉の業績を辿ることができる一冊です。
宮沢賢治童話紀行「二重の風景」への旅 【2】に続く
この記事を書いた人
宮川 健郎(みやかわ・たけお)
1955年、東京都生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。同大学院修了。現在武蔵野大学文学部教授。一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団 理事長。『宮沢賢治、めまいの練習帳』(久山社)、『現代児童文学の語るもの』(NHKブックス)、『本をとおして子どもとつきあう』(日本標準)、『子どもの本のはるなつあきふゆ』(岩崎書店)ほか著者編著多数。『名作童話 小川未明30選』『名作童話 宮沢賢治20選』『名作童話 新美南吉30選』『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』(春陽堂書店)編者。