小川未明童話紀行「ふるさとの風光、ことばのふるさと」【6】 宮川健郎

もう一度読み返したい! 名作童話の世界。
小社刊、宮川健郎編・名作童話シリーズ『小川未明30選』に収録した、
<小川未明童話紀行>を6回に分けて転載いたします。
編者自ら作者ゆかりの地に赴き、生誕地や作品の舞台を訪ねる旅もいよいよ終盤。
最終回は、現代児童文学の歴史における未明について解説します。

「童話伝統批判」
 日本の現代児童文学は、「童話伝統批判」と呼ばれる1950年代の議論をへて、1959年に成立したと考えられる。敗戦後の新しい現実のなかで、小川未明や浜田広介など、「童話」の時代の作家たちの仕事を批判的に検討しながら、子どもの文学の新しいあり方を模索するというのが「童話伝統批判」だが、それは、評論のかたちで行われた。その模索をうけて、それまでとはまったくちがうタイプの作品があらわれたのが1959年だった。この年には、佐藤さとる『だれも知らない小さな国』や、いぬいとみこ『木かげの家の小人たち』が出版されている。新しいタイプの作品は、60年以降も続々と刊行されることになる。詩的、象徴的なことばで心象風景を描く「近代童話」は、散文的、説明的なことばで、子どもをめぐる状況(社会といってもよい)を描く「現代児童文学」へと大きく転回していく。
 60年代に入ると創作児童文学を発表しはじめる古田足日(ふるた・たるひ)は、50年代には、「童話伝統批判」の中心にいる評論家だった。50年代の仕事をまとめた、古田の第一評論集『現代児童文学論』(1959年)の巻頭には、書き下ろしの評論「さよなら未明──日本近代童話の本質」がおさめられた。
「近代のことばは対象を指示し限定し、あらゆる存在のなかからそれを区別し、取り出そうとする。同時に抽象化され記号化されている。これにくらべて原始的なことばは具体的であり、ものそのものに近く、生命力さえも持っている。未明は分化したことばを使って、その指示・限定とは逆に、ことばの意味をふくらませ、指示物に感情を吹きこんだ。」
「未明童話のことばは、ぼくたちがふつう使う日常のことばとは異質のことばである。
  人魚は、南の方の海にばかりすんでいるのではありません。北の海にもすんでいたのであります。/北方の海の色は、青うございました。あるとき、岩の上に、女の人魚があがって、 あたりの景色をながめながら休んでいました。/雲間からもれた月の光がさびしく、波の上を 照らしていました。どちらを見てもかぎりない、ものすごい波が、うねうねと動いているので あります。
 『赤いろうそくと人魚』の書き出しだが、この文章のなかのもっとも重要な語句は『北方の海』である。この北方の海はぼくたちの日常のことばのなかで使われる『北方の海』ではない。ぼくたちは地理的な意味で『北方』ということばを使うが、この文章のなかの『北方』はその一般的な用法のなかの一属性──暗くさびしく孤独であるという属性を強調し、それを強調することによって、暗くさびしく孤独な環境一般を象徴しているのである。ここでは『北方』は『海』を限定することばではない。逆に、その日常的な意味を離れて、無限定な広がりを見せている。」
 古田足日は、未明童話では、「北方」ということばの「明示性」ではなく、「暗くさびしく孤独」という「含意性」が強調されていることを批判している。文学は、本来、何らかのかたちで、ことばの「含意性」に依拠して成り立つものだから、古田のこの主張は、ずいぶんへんなものだともいえる。しかし、戦争と敗戦とを経験したのちの日本の児童文学は、子どもにむかって、戦争も、戦争を引きおこす社会のことも書かなければならなかった。それらを書こうとしたとき、未明のような詩的、象徴的なことばではなく、ことばの「明示性」にアクセントをおいた、もっと散文的なことばと、小説的な結構がもとめられた。そして、1959年以降の新しい児童文学作品は、そういうものとして書かれていく。

人魚伝説公園(新潟県上越市)。土地の人魚伝説は、「赤い蝋燭と人魚」のモチーフの一つだっただろう。

 50年代、60年代には、小川未明は、ずいぶん否定的に語られた。もう一つ紹介してみる。59年に、『新選日本児童文学I 大正編』という選集の解説として書かれた、鳥越信の文章だ。これは、過去の児童文学作品のなかから現代にのこす作品をえらぶという仕事だったが、選集には、小川未明の作品は「牛女」一つしか入らなかった。鳥越は、その理由を述べている。
「なぜ未明が残らなかったか、答は至極簡単である。一口でいえば、そのテーマがすべてネガティヴなもの──人が死ぬ、草木が枯れる、町がほろびる等々──であり、その内包するエネルギーがアクティヴな方向へ転化していない点で児童文学として失格であること、従って読物としての面白さも全然なく、加えて誨渋(かいじゅう)な文章に大きな抵抗を感じたことである。むしろ私たちには、なぜこのような作品が、日本児童文学の主流として今日まで生命を保ちえたのか、どうしても理解できなかった。」
 古田足日の「さよなら未明」が未明童話の方法への批判なら、鳥越のこの文章は、未明の書いたテーマそのものへの批判ということになる。
未明の消息
 この「童話伝統批判」をへて、1959年に成立した現代児童文学も、80年代になると、かなり、かわってくる。私が、そのかわりめの「しるし」として意識しているのは、80年に刊行された、那須正幹(なす・まさもと)の長編『ぼくらは海へ』だ。那須は、困難な現実をのがれて、死へと船出する少年たちを描いた。85年に刊行された短編集『少年時代の画集』などで注目された森忠明は、死の問題など、子ども時代にもある「影」の部分を書こうとしている。80年代以降の児童文学は、59年の鳥越信が否定し、長くタブーとされてきた死の問題など、ネガティヴなテーマをむしろ積極的に描こうとしているのだ。いわば、「未明的なもの」が復権してきたといえる。
 1990年代になると、児童文学/文学のボーダレスということがいわれた。本来は子どもが読者のはずの児童文学の読者層の上限が上がっていき、児童文学は大人の読み物でもあるようになった(江國香織『つめたいよるに』1989年など)。これは、「未分化の児童文学」の再来ともいえる。かつて、古田足日が、未明童話を「未分化の児童文学」としたのだ。「おとなの文学から完全に分化していない児童文学という意味」だという(古田「内にある伝統とのたたかいを」1961年)。
 現代児童文学の歴史のなかで「伏流」としてあった「未明的なもの」が、顔を出して来た。「未明的なもの」というのは、現代児童文学が抑圧してきたものをあらわすことばと考えてほしい。今日の児童文学は、あいかわらず、未明をかかえこんでいると思えてならない。
※この記事は、宮川健郎 編『名作童話小川未明30選』(春陽堂書店、2009年)に掲載した「ふるさとの風光、ことばのふるさと」を、ウェブ版として筆者である宮川健郎および編集部が加筆修正いたしました。
著書紹介
『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』春陽堂書店
名作童話をより深く理解するための一書。児童文学作家、未明・賢治・南吉文学の研究者による鼎談。童話のふるさと写真紀行、作家・作品をさらによく知るためのブックガイドを収録しています。
『名作童話小川未明30選』春陽堂書店
一冊で一人の作家の全体像が把握できるシリーズ。「赤いろうそくと人魚」で知られる、哀感溢れる未明の世界。年譜・解説・ゆかりの地への紀行文を掲載、未明の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話宮沢賢治20選』春陽堂書店
初期作品から後期作品まで、名作20選と年譜、ゆかりの地を訪ねた紀行などの資料を収録、賢治の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話新美南吉30選』春陽堂書店
初期作品から晩年の作品まで、名作30作を収録、南吉の身辺と社会の動向を対照した年譜8頁、ゆかりの地を辿る童話紀行を収録しています。南吉の業績を辿ることができる一冊です。
この記事を書いた人
宮川 健郎(みやかわ・たけお)
1955年、東京都生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。同大学院修了。現在武蔵野大学文学部教授。一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団 理事長。『宮沢賢治、めまいの練習帳』(久山社)、『現代児童文学の語るもの』(NHKブックス)、『本をとおして子どもとつきあう』(日本標準)、『子どもの本のはるなつあきふゆ』(岩崎書店)ほか著者編著多数。『名作童話 小川未明30選』『名作童話 宮沢賢治20選』『名作童話 新美南吉30選』『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』(春陽堂書店)編者。