世界各国を撮影で飛び回る動物写真家の井村淳が、今月から3回にわたっておおくりするのは、極寒の地に生きる「タテゴトアザラシ」である。カナダ東部のセントローレンス湾に位置するマドレーヌ諸島近辺の氷上で撮影した、愛くるしいアザラシの赤ちゃんの写真とともに、厳しい環境下での撮影秘話を教えてくれた。

第1回 井村流「氷の上の歩き方」

生後2〜3日のタテゴトアザラシの赤ちゃん。頭と胴体の間にくびれがある。

ケニアのサバンナから一転、今月から白くてモフモフのかわいい生き物、タテゴトアザラシの赤ちゃんのお話をします。
カナダ東部には、セントローレンス湾というとても大きな湾があります。セントローレンス湾では、毎年2月になると北極海とセントローレンス川から流氷が流れ込んできます。氷はだんだん大きく成長し、まるで陸地のように見えるほどになります。
タテゴトアザラシは、その流氷原の上で出産をします。夏の間は北極海で過ごしますが、セントローレンス湾は天敵であるホッキョクグマがいないので、出産の場所に選ばれたのだと思います。

じっと動かずに見ていたら、カメラの目の前で眠ってしまった。

大人のタテゴトアザラシは、毛の色が全体的にグレーで、背中に竪琴のような黒い模様があります。白い流氷の上では、黒っぽい生き物は目立ちますが、赤ちゃんの白い毛は保護色になります。そのため、人間が歩いて近づくと親は赤ちゃんを置いて離れてしまいます。親がいると余計に目立ってしまうからでしょう。
氷には直径1メートルほどの丸い穴がよく開いています。それは大人のタテゴトアザラシが、海中から出入りするために自分で開けたものです。
赤ちゃんと一緒にいる大人のアザラシはお母さんです。お母さんアザラシは赤ちゃんを置いて離れていったものの、心配なのか氷に開けた穴からたまに顔を出してこちらを観察しています。

氷の穴からこちらを見つめていたお母さんアザラシ。

赤ちゃんの1日の行動は、ミルクを飲んでいる以外はほとんど寝ています。赤ちゃんにとって、ミルクを飲んで大きくなることが最大の仕事です。赤ちゃんは1日に2キログラムずつ体重が増えていき、その間にお母さんは絶食をして子育てをするので、1日に4キログラムずつ体重が減っていきます。
タテゴトアザラシの子育て期間は2週間です。2週間経つと、お母さんは赤ちゃんを置いて離れていきます。残された赤ちゃんは体に蓄えた脂肪をエネルギーにして、しばらく氷の上で過ごします。そのあと、誰に教えられたわけでもなく自分で海の中にもぐり、魚を補食して生きていくことになります
生まれたての赤ちゃんは、お母さんのお腹の中で毛が羊水の色に染まり黄色くなるため、イエローコートと呼ばれます。それから紫外線を浴びるなどして脱色し、4日ほどで真っ白い毛になります。それはホワイトコートと呼ばれる、モフモフした毛になります。
ちなみに、この白いモフモフは生後2週間ぐらいまでで、その後はまた色が変わり、グレーコートと呼ばれるようになります。

生後2日目ぐらいの赤ちゃんアザラシ。
毛は羊水の色に染まって黄色く、へその緒も残っている。

僕がタテゴトアザラシの赤ちゃんを撮りにいくのは、カナダのセントローレンス湾の中にあるマドレーヌ諸島(英:マグダレン諸島)という小さな島々です。日本から行く場合、トロントなどで乗り換えモントリオールやケベックを経由してマドレーヌ諸島に着きます。途中で1泊するので2日がかりです。アザラシウォッチングを主催している「シャトー・マデリノ」というホテルを予約していれば、空港まで迎えに来てくれます。
ケベック在住の田中まゆみさんという方が、アザラシウォッチングの期間だけスタッフとしてホテルにいるので、日本語も通じます。フランス語はもちろん、英語もしゃべることができない僕はとても助かります。

(左)ホテルの敷地から流氷に向かって飛び立つヘリコプター。
(右)流氷の上に降りたところ。

アザラシを見にいくには、普通は宿泊と空港送迎、島内観光、防寒着レンタルなどにアザラシウォッチング1回が含まれるパッケージツアーに申し込みます。せっかく行ったのに1回だけでは物足りないという方は、追加のアザラシウォッチングをオプショナルで頼むことができます。

アザラシウォッチングの料金は、ヘリコプターがホテルを飛び立ってから戻ってくるまで、3時間で1人6万円ぐらいです。僕が20年ほど前に初めて行ったときは4時間で3.5万円ぐらいだったので、やや高くなりました。
アザラシがいるところまで、ヘリコプターで片道1時間もかかることがあります。すると、アザラシを見られるのは1時間だけとなります。逆にアザラシが片道15分のところにいれば、2時間半ほど氷上にいられることになります。

陸地に近いときは背景に島影が見える。

アザラシウォッチングを主催しているホテルは海に面していて、その庭からヘリコプターで流氷に向かいます。ヘリコプターは2〜3機をチャーターしており、朝、昼、午後の3便が設定されていますが、一度に5人しか運べません。

観光客が氷上にいる間、緊急時に備えヘリコプターも氷上で待機しているためにピストン輸送はできず、1日に行くことができる人数も限られてしまいます。

また、天候が崩れてアザラシウォッチングが数日中止になることもあり、その間にアザラシウォッチングを待っている人たちがどんどん増えていきます。その場合、まだアザラシを見たことがない人には、優先的にヘリコプターのシートが与えられます。したがって、追加のウォッチングは、なかなか行けないこともあります。

だから僕は、少し長めに1週間程度滞在するようにしています。天気が安定していると毎日、または1日に2回参加することもできますが、全て参加すると今度は破産してしまいます。

(左)どこまでも続く大陸のような流氷原。
(右)上空からでも大人のアザラシは目立つ。

氷上に対して、極寒地のイメージをもつ方もいらっしゃると思いますが、2月末から3月の前半ということもあり、いくらか寒さが緩みます。とはいうものの、気温は氷点下5〜10度ぐらいですし、風が吹くと氷上は吹きさらしで体感温度は極寒になります。

そこではどんな装備が必要かというと、僕はユニクロの「極暖ヒートテック」などを上下に着て、その上にジャージかスウェットを着ます。さらに、そのまた上にホテルで貸してくれるムスタングスーツを着ます。ムスタングスーツは、万一海に落ちても浮くようにウレタンのような防寒素材が使われています。それでも寒い人は、フリースなどを重ね着して温度調節をします。使い捨てカイロを体中に貼りまくっている人もいます。

防寒と水に浮く機能があるムスタングスーツ。

毛糸の帽子に顔を覆うマフラー、手はカメラの操作がしやすい薄手の手袋とオーバー手袋。足はスーツと一緒にスノーブーツを借りることもできますが、自分にあったものが良いので僕はソレルのスノーブーツを持参します。短い時間なので、バッテリーチャージが十分であればカメラの防寒はそれほど気にすることはありません。これは一般向けのカメラでも同じです。強風で地吹雪が起こると海の塩分が混ざった雪が付着することもありますので、カメラ用のカッパやカメラを覆うことができるバンダナかタオルなどが役立ちます。

撮影後の結露対策ですが、ヘリコプター内やホテルの部屋などの暖かい場所では、カメラが暖まるまでしばらく操作はしないというのが一番です。冷えたカメラをビニール袋に入れて放置しておくと、カメラの温度が常温に戻りやすく結露も防ぐことができます。

天気が良く昼寝日和。気温は0度ぐらいまで上がる。

氷上を歩くときは、ガイドの指示に従います。ストックを1本渡され、足下の氷を突きながら安全を確認して進みます。アザラシの出入りする穴が雪で隠れていて、気がつかずにスポンと落ちる人がいます。特に写真を撮る人は、カメラバッグを担ぎながらカメラを手にして、ストックを邪魔に思いつつ、かわいいアザラシを見つけると急ぎ足になるので落ちやすいそうです。著名な写真家は、みな落ちていると聞き、「僕もがんばって早く落ちなければ」と、わけのわからない理想を描きながら挑んでいました。ちなみに、落ちると冷たいし、カメラがお釈迦になります。

まるで笑っているような表情。アザラシの赤ちゃんの表情は豊かだ。

次回はアザラシの赤ちゃんの撮影談や失敗談などをお話しします。

動物写真家 井村 淳のカナダ紀行【2】へ続く。

著書紹介

『流氷の天使』春陽堂書店
タテゴトアザラシの赤ちゃんが母親と一緒に過ごすのはたったの二週間。その短い間にぐんぐん大きくなり、大福のように愛らしく成長していく過程を追った写真集。


『あざらしたまご』春陽堂書店
生まれてから、母親がそっといなくなる2週間後までのあざらしの姿をおさめた写真集。あざらしの愛くるしい寝顔や行動、見守る母親の姿が満載。様々なあざらしの仲間を表現した卵絵や、あざらしの4コマ漫画も掲載。

この記事を書いた人
井村 淳(いむら・じゅん)
1971年、神奈川県生まれ。日本写真芸術専門学校卒業。風景写真家、竹内敏信氏の助手を経てフリーになる。公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員。チーター保護基金ジャパン(CCFJ)名誉会員。主な著書に『流氷の天使』(春陽堂書店)、『大地の鼓動 HEARTBEAT OF SVANNA——井村淳動物写真集』(出版芸術社)など。
井村 淳HP『J’s WORD』http://www.jun-imura.com/