本が持つ役割や要素をアート作品として昇華させる太田泰友。本の新しい可能性を見せてくれるブックアートを、さらに深く追究するべく、ドイツを中心に欧米で活躍してきた新進気鋭のブックアーティストが、本に関わる素晴らしい技術や材料を求めて日本国内を温ねる旅をします。

第二十三回 「ブックアートを温ねて(1)〜前編〜」

大学4年生の冬に訪れたある展覧会が、僕にとって今でも特別な存在になっています。これからの本づくりを考えながら進めていた卒業制作の真っ只中で、うらわ美術館の「これは本ではない―ブック・アートの広がり」展(2010年11月〜2011年1月)のチラシを見つけました。「ブックアート」という言葉をちょうど意識し始めていた僕は、これを見逃すわけにはいかないと強く意気込んで、当時住んでいた東京の西の方から、片道2時間弱の時間をかけて初めてさいたま市浦和区にあるうらわ美術館に向かったのを覚えています。電車の中では、ウィリアム・モリス『理想の書物』を読んで、本の可能性への思いを膨らませていました。

初めて訪れたうらわ美術館には、期待していた、まだ実際に見たことがなかったいろいろな本の可能性が満ちていて、そこからなるべく多くのものを持ち帰ろうと必死に見入ったときの気持ちは今でも鮮明です。これがブックアートなんだ。本にはこんな可能性があるのか。僕が追究している本の〈理想〉はこういうことなのではないか。

「これは本ではない―ブック・アートの広がり」展展示風景(2010年、画像提供:うらわ美術館)
※画像中央:「コンテナー―焼かれた言葉―」(遠藤利克、1993-2010年)

このとき、僕はまだよくわかっていなかったのですが、うらわ美術館は「本をめぐるアート」をコレクションの柱の一つとして収集する日本でも珍しい施設です。「これは本ではない」展のちょうど1年前に、うらわ美術館開館10周年を記念して開催された「オブジェの方へ―変貌する『本』の世界」展を、存在を知りながらも見逃していた僕は、1年後に「これは本ではない」展を見ることができて、この規模のブックアートの展覧会は頻繁に見られるものなのだと勘違いをしていました。しかしそれは全くの見当違いで、あの当時、あのタイミングでうらわ美術館でブックアートに出会えたことは、僕にとって非常に幸運な出来事で、その後10年間、今日に至るまで、ブックアートの作家として活動することになった僕の大切な原点の一つになっています。

そして、それから数年経って、僕の原点であるうらわ美術館のコレクションとして、僕の作品が収集されたことは、「これは本ではない」展の頃には想像もしなかった不思議な縁を感じるとともに、これからの活動により一層気合の入る出来事です。

この連載『本を温ねて、ブックアートを知る』において、最後に温ねるのはブックアート。僕のブックアート人生から切り離すことのできない重要な存在であるうらわ美術館で、初めて訪れてから10年経った今、本を温ねます。
10年前の、あの「これは本ではない」展で副担当をされていたうらわ美術館の学芸員、滝口明子さんにお話を伺いました。

2017年にリニューアルオープンされた、うらわ美術館の情報コーナー。

うらわ美術館が収集・研究する「本をめぐるアート」

太田
僕は、自分が制作する作品に対して、「ブックアート」という呼び方をしています。「これは本ではない」展にも「ブック・アートの広がり」という副題がついていますよね。ただ、「ブックアート」という言葉の定義は、日本においても世界においても明確になっていないのが現状で、似た、あるいは近いものを指す言葉にも「アートブック」や「アーティスツブック」を始め、いろいろな呼び方が存在していて、その使い分けは曖昧になっています。
うらわ美術館では、収集・研究の対象として「本をめぐるアート」という呼び方をしています。僕は、「ブックアート」という言葉は本の表現のいろいろなものを含むイメージを持っていて、「本をめぐるアート」というのは、僕が思う「ブックアート」とかなり近い意味を持つのではないかと感じているのですが、「ブックアート」と「本をめぐるアート」をどのように捉えていますか?

滝口
私にとって「ブックアート」は、その作品を通して、芸術の歴史を考察できるもの。この考え方は、作品を収集する際に私の作品選びの指針にもなっています。現代美術について言えば、作品の様式、技法そして素材の広がりによって、その流れは複雑化しました。特に戦後、世界は情報革命を迎え、我々を取り巻く社会はより流動的になり、そこで起こる事象はますます見えにくくなっています。そのような状況のなかで芸術表現も媒体、在り方すら変化していて、従来通りの方法論ではとらえきれなくなっています。そこで私は一つの方法論として「ブックアート」を取り上げていると言えます。
例えば、戦後のニューヨーク・アートシーンの隆盛を検証するうえでは、アメリカにおける「ブックアート」の受容をたどることが有効な方法の一つとして考えられると思います。
 
「本をめぐるアート」は、「ブックアート」と比べると、より広義で、曖昧で、これから現れる我々が見たことのない領域も含むと考えています。とはいえ、「この考えでいいんだよね?」という感覚であって、まだはっきりと「良いのだ」とは思えていません。「これが一番しっくりくる」と思えたのも、実は結構最近で、ここ4〜5年ぐらい前からのことです。

森田さん(元・うらわ美術館学芸員 森田一氏)の企画された「これは本ではない」展に副担当として関わったのですが、カン・アイランさんの作品を見たときに、ブックアートは今後どうなっていくのだろうと思いました。本という形がなくなったときに、「ブックアート」「アートブック」「アーティスツブック」と言えるのか。「これは本のアートなんです」と今後、アーティストから差し出された作品に、我々が想像だにしない姿や考え方の作品が提示されていたときに、私はそれをブックアートと呼べるのか? と考えてしまうんです。「本をめぐるアート」だったら言えるかなと、そういう余白を感じています。「ブックアート」や「アートブック」は、今想像できるものしか当てはまらないのかなと私は思っていて。

他方で、例えば日本の明治期の縮緬ちりめん本(木版多色刷りした和紙を縮緬布のように加工して、和綴じされた本)のようなものを見たときに、「ブックアート」と言えるかというと、私はすごく考えてしまいます。外国の方に説明するときに、「ブックアート」……いや、言えない。「本をめぐるアート(Art associated with the book)」と言ってしまいますね。

うらわ美術館で収集する作品を検討するときには、みんなで何ヶ月も話し合います。「作品ってなんだろう」「美術ってなんだろう」ということを毎年長い時間話すんですよ。表象なのか、それとも概念なのかというところまで、とことん話をします。長く続けてきて、学芸員の間で、まだしっかり言語化するところまではできていないけど、コンセンサスはある。言語化できればよいのだけれど、その余白というのが「本をめぐるアート」ということになっています。時間的な、未来的な余白もそうだし、「美術とはなんぞや」という概念余白もそうなんですよね。

太田
「美術とは何か」というのを考えられるのがすごく印象的です。というのも、僕がブックアートに関わる中でたびたび発生する議論は、「本とはなんなのか」ということです。それが「本をめぐるアート」では「アートとはなんなのか」。この違いが、「ブックアート」と「本をめぐるアート」の違いなのかなと、まだ消化しきれていないのですが、そこにヒントがあるような、包含関係が見えてくるような気がします。

情報コーナーのリニューアルにも携わった、うらわ美術館の学芸員、滝口明子氏。


今回の温ね先

うらわ美術館
うらわ美術館は2000年春、浦和駅に程近い交通至便の市街地に誕生しました。埼玉県の県庁所在地として発展した浦和は、文教のまちとしても長くその文化をはぐくんできました。
うらわ美術館は地域に根ざした身近なコレクションと積極的な活動により、さいたま市の文化創造の拠点になりたいと考えています。
未来へ広がる特色ある美術館として、人々に親しまれる魅力的な美術館でありたいと願っています。


第二十四回「ブックアートを温ねて(2)〜後編〜」に続く
この記事を書いた人

太田 泰友(おおた・やすとも)
1988年生まれ、山梨県育ち。ブック・アーティスト。OTAブックアート代表。
2017年、ブルグ・ギービヒェンシュタイン芸術大学(ドイツ、ハレ)ザビーネ・ゴルデ教授のもと、日本人初のブックアートにおけるドイツの最高学位マイスターシューラー号を取得。
これまでに、ドイツをはじめとしたヨーロッパで作品の制作・発表を行い、ドイツ国立図書館などヨーロッパやアメリカを中心に多くの作品をパブリック・コレクションとして収蔵している。
2016年度、ポーラ美術振興財団在外研修員(ドイツ)。
Photo: Fumiaki Omori (f-me)