本が持つ役割や要素をアート作品として昇華させる太田泰友。本の新しい可能性を見せてくれるブックアートを、さらに深く追究するべく、ドイツを中心に欧米で活躍してきた新進気鋭のブックアーティストが、本に関わる素晴らしい技術や材料を求めて日本国内を温ねる旅をします。

第二十四回 「ブックアートを温ねて(2)〜後編〜」

約2年間にわたって続いてきたこの連載も、今回が最後です。前回に引き続き、うらわ美術館を訪れた、ブックアートを温ねる旅で締めくくりたいと思います。うらわ美術館学芸員の滝口明子さんにお話を伺いました。

本にまつわるアートの今日

太田
うらわ美術館は、2000年に開館。電子書籍元年と呼ばれた2010年には、「これは本ではない」展を開催し、それから10年経った現在が2020年です。10年間隔でわかりやすい区切りが見えるように感じますが、こういう時間の経過の中で変化を感じられることはありますか?

滝口
ここ10年を見てみても、「本にまつわるアート」は、まだあまり認識されていないように思います(笑)。日本では1960年代から1970年代に、ブックオブジェをはじめとする様々なブックアートの作品がアーティストたちによって作られ、それが一度落ち着き、最近になって新しい世代がブックアートの作品に取り組み始めているという印象です。そういう周期が今、来ているのかなと、ブックフェアや書店ギャラリーの様子から感じました。

さらに、その新しい世代の人たちは、2010年の「これは本ではない」展のときに、ブックアートの作家たちを調査して見えてきたものとは、全く違う感覚をもって本に接しているように思えます。「これは本ではない」展で論じられた〈本の概念〉のようなものに、縛られていない感じというか。私は、本を跨いだら怒られた世代なのですが、そういう〈本の貴重さ〉のようなものから解放された世代の、本との接し方の軽やかさに驚いています。

若林奮「LIVRE OBJET II」(1971年、うらわ美術館蔵)

太田
いわゆる電子化の中をリアルタイムに生きて、紙の本が当たり前ではないという感覚を自然に身につけているのでしょうか。

滝口
そうなんです。だから、紙の本に対する違和感を表出するアーティストが出てくるんじゃないかと思います。「これは本ではない」展の頃、私は本の業界をペシミスティック(悲観的)に見ていたのですが、こういう流れを感じて、最近は少しオプティミスティック(楽観的)に見られるようになっています。電子化、いいじゃない! と。面白くなってきていると思いますね。紙の本に加えて、媒体の種類が増えることで、文章を書く人も、ブックアートを作る人にとっても、表現方法はもちろん、何を表現するのかという選択肢の広がりが出てくるのではないでしょうか。

太田
2010年以降、活版印刷が再び注目されるようになったりと、この10年の中で電子化と逆の方向もよく見えるようになってきて、それぞれの方向が極まっていっているような感じがありますよね。

滝口
当時から、出版不況が続いてはいますが、今は規模の小さな出版社がすごく面白いことをやっていたりして、そういう面でも希望が持てます。

「これは本ではない―ブック・アートの広がり」展展示風景(2010年、画像提供:うらわ美術館)
※画像中央左:「THE LIBRARY OF BABEL」(福本浩子、2010年)

本と、本にまつわるアートのこれから

太田
技術革新などの背景があって、これまでいろいろな進化を遂げてきた本ですが、これからどうなっていくと見られていますか?

滝口
社会における紙の本の立ち位置は、絶対的に変わってきています。最初は、記録することを目的に成り立った本ですが、産業革命時に製本技術などが進歩し、コストダウンすることで、記録だけでなく流布の機能がぐんと向上しました。20世紀までは流布と記録という2つの主目的があったのですが、デジタル化の波がきて、また紙の本の役割は変わりました。流布はデジタルがやってくれる。そうなると、記録はどうなるのだろう。今のところ、デジタルは消えるものとされているけれど、本当に消えるのかわからない。そもそも2010年以降、紙媒体への記録や保管がどれ程厳密に行われているのか、私は疑問を感じています。すると、記録という紙の本の役割は、あまり見えてこなくなります。

私は、本は大衆に向けるものから、非常に個人的なものに戻っていくのではないかと思います。例えば、ある人が詩を書いて、出版したとします。今までは100万人が読まないと価値がないとされていたことが、デジタルによって、この人が書いたということは誰かに伝わり、100万人にその存在が伝わります。でも、紙の本はすごく限られた人々の間でしか行き来しない、非常に個人的で、濃厚な存在になるようなイメージです。

太田
そのように本が個人的なものになっていったとき、ブックアートはどのようにそこに関わっていくと思われますか?

滝口
「これは本ではない」展に出展していた「THE LIBRARY OF BABEL」(福本浩子、2010年)「コンテナー—焼かれた言葉—」(遠藤利克、1993–2010年、うらわ美術館蔵)のように、万人に共通する問題を扱っていた作品が、今までの本のアートには多かったんですよね。それが、もっと個人的な問題を表現するものが多くなってくるのかもしれません。

個人個人の小さな視点の作品が多くなると、美術館としては、これまでは一つの作品で社会的な問題提起をできたものが、これからは作品を100個集めないと問題提起できなくなるようになるかもしれません。そういう意味で、本のアートに関わる学芸員として、より多くの作品を見なければ社会や美術史が見えなくなってくるのではないか、と不安になる部分もありますが、同時に、自分で世界を見ていかなければならないんだと、ワクワク感も強くあります。

うらわ美術館、情報コーナーにて、滝口明子氏(左)と筆者。

「本を温ねて、ブックアートを知る」の最後に

2018年4月に、この連載の最初の取材の旅に出かけて、今、この記事を執筆しているのは2020年4月。偶然にも、日まで一致しています。

2年間の連載の間に、本に関わる様々な人や技術、考え方を温ねてきましたが、どこで伺うお話にも、それらを取り巻く環境が特にここ数年から10年ぐらいの間に大きく変化して、これまでのようにはいかなかったり、改めてその価値を考えさせられるような状況がありました。同時に、これからどうしていくべきなのか、社会の状況や技術革新を背景に、道を切り拓いていこうとする決意がいつもありました。

2020年4月末現在、日本、そして世界中で新型コロナウイルスの感染拡大が多大な影響を与えています。僕も変わっていくと思っていた世界ですが、こんなに急に、こんなに強制的に変わらざるを得ない日が来るとは、2年前は考えもしませんでした。

本の世界に限らず、あらゆる分野の人々が、この先どうなっていくのかわからない今日ですが、この旅を通して知り得た、たくさんの素晴らしい人や優れた技術と共に、きっと新たな価値を創造していけるものだと信じて止みません。

最後になりましたが、本を温ねるために快く取材を受け入れてくださった皆さま、記事を読んで一緒に本のことを考えてくださった読者の皆さま、僕の拙い執筆作業にいつも最後までお付き合いくださった春陽堂書店の皆さま、2年間、本当にありがとうございました。皆さまのおかげで、僕には本の希望あふれる未来が見えます。

この場所での連載はこれでおしまいとなりますが、僕の旅はまだまだ続きます。いつの日か、また皆さまと本を通して出会える日を楽しみに、「本を温ねて、ブックアートを知る」、これにて閉幕です。ありがとうございました。


今回の温ね先

うらわ美術館
うらわ美術館は2000年春、浦和駅に程近い交通至便の市街地に誕生しました。埼玉県の県庁所在地として発展した浦和は、文教のまちとしても長くその文化をはぐくんできました。
うらわ美術館は地域に根ざした身近なコレクションと積極的な活動により、さいたま市の文化創造の拠点になりたいと考えています。
未来へ広がる特色ある美術館として、人々に親しまれる魅力的な美術館でありたいと願っています。


「本を温ねて、ブックアートを知る」完
この記事を書いた人

太田 泰友(おおた・やすとも)
1988年生まれ、山梨県育ち。ブック・アーティスト。OTAブックアート代表。
2017年、ブルグ・ギービヒェンシュタイン芸術大学(ドイツ、ハレ)ザビーネ・ゴルデ教授のもと、日本人初のブックアートにおけるドイツの最高学位マイスターシューラー号を取得。
これまでに、ドイツをはじめとしたヨーロッパで作品の制作・発表を行い、ドイツ国立図書館などヨーロッパやアメリカを中心に多くの作品をパブリック・コレクションとして収蔵している。
2016年度、ポーラ美術振興財団在外研修員(ドイツ)。
Photo: Fumiaki Omori (f-me)