本が持つ役割や要素をアート作品として昇華させる太田泰友。本の新しい可能性を見せてくれるブックアートを、さらに深く追究するべく、ドイツを中心に欧米で活躍してきた新進気鋭のブックアーティストが、本に関わる素晴らしい技術や材料を求めて日本国内を温ねる旅をします。

第二十一回 「綴じを温ねて(1)〜本の修復との出会い編〜」

いろいろな要素が集合してできている〈本〉。その中で最も〈本〉を〈本〉らしく見せている要素が〈製本〉かもしれません。

本にとって、紙はたいていの場合必要不可欠な存在ですが、紙のままでは本ではありません。印刷も、本を語る上では欠かすことができない技術ですが、印刷のままでは本ではありません。ところが、紙がどんな性質のものでも、もし印刷されていなかったとしても、製本してあれば、そこに本があるように見えます。そういう意味で、たくさんの要素がそれぞれ重要な役割を担う〈本〉というフィールドにおいて、製本は他の要素と少し違った性質を持っているように思えます。

僕にとっても、製本は特別な存在です。ブックデザインをきっかけに本を作ることに興味を持ち、編集を入り口に本作りの世界に飛び込み、それからもう一歩、本を深めようとした時に手がかりにしたのが製本でした。本からブックアートをはっきりと意識するようになったのも、製本の意識を持つようになってからだと思います。

それをある意味で表しているのが僕の名刺に入っている肩書きかもしれません。大学の学部生の頃に携わっていたプロジェクトで、初めて持たせてもらった名刺には「エディター」という肩書き。次に、製本を取り入れた作品を作り始めて僕の肩書きは「造本家」に変わりました。そしてドイツに渡って、ブックアートを明確に意識した制作活動を始めてから「ブックアーティスト」となりました。

太田泰友+加藤亮介「造本見本帳」2013、Photo: Riko Okaniwa

「造本」と「製本」という言葉の違いを知ることも、重要なテーマの一つです。本の世界の中で言葉を使う肌感覚として、「製本」は「造本」より具体的にイメージしやすい感じがあります。綴じるところですね。それに対して「造本」は、大きく的を外すことはないけれども、人によって微妙に指し示す範囲が違うように感じます。辞書的な意味では、印刷・製本・装丁などの設計や作業を意味するようで、この意味においては「造本」の中に「製本」を含むような関係になりますが、実際に「造本」という言葉が使われている今日の場面を思い浮かべると、印刷や装丁の意味は含んでおらず、ほとんど「製本」と同じ意味で「本の造り」ということを言っているように受け取れます。

僕が「造本家」を名乗っていたからというのが一番の理由だと思いますが、僕のブックアートの制作活動を造本家の活動として認識されることがあります。確かに本と呼ぶこともできるブックアートを造っているので間違ってはいません。しかし、造本=製本のイメージになった時に、ブックアート=製本(のちょっと変わったもの)となってしまうと、これは間違っていると言わざるを得ません。ブックアートを制作するために製本の技術は必要ですが、それは他にたくさんの要素が集合してできるうちの一つという位置付けです。

太田泰友「Die Forelle(鱒)」2014、Photo: Stefan Gunnesch

位置付けとしてはそういうことなのですが、一方で僕のブックアート作品が語られるときに必ず製本の面からも取り上げられることを僕は認識しています。実際に、僕がブックアートというキーワードをあげて意識し始めていた日本での大学院修士課程でも、製本が重要な役割を担うと僕は論じていました。僕がブックアートを考える上で、いろいろな要素がある中でも製本は特別な存在なのです。

NPO法人 書物の歴史と保存修復に関する研究会 代表 板倉正子

本を本たらしめる製本、そしてブックアートを考える上でも必要不可欠な製本を温ねることは、この旅においても欠かすことができません。今回取材をさせていただいたのは、NPO法人「書物の歴史と保存修復に関する研究会」の代表を務めていらっしゃる板倉正子さんです。

奈良県奈良市にある書物の歴史と保存修復に関する研究会を訪れました。

板倉さんが本と関わりを持ったのは、製本を習うことからでした。製本を習っていると、本の修理を依頼されるようになったそうです。製本技術があれば、本を修理することはなんとなくわかるものの、それが本当に適切な修理なのか知りたくなった板倉さんは、1986年に図書館の視察を主な目的とした、板倉さんにとっては初の海外旅行としてアメリカに向かいました。

アメリカの図書館には修復室があり、修復士という職業があることを知りました。そこで板倉さんは、本格的に修復を学ぶことを決意します。本の修復を学ぶことができる場所の情報を世界中から集め、スイス・アスコナにある製本学校で本の修復を学びました。

日本に帰国した板倉さんは、自身が学んできたことを教えることを始めました。

研究会の新館 Book Lab。

太田
アメリカで本の修復を目の当たりにしたとき、日本にないものだという意味で必要性を感じられた部分があっただけでなく、修復の思想というのか、本に対する敬意のようなものに共感されたりしたのでしょうか?

板倉
そうですね。日本は江戸時代にも識字率が高かったり、紙を作る技術が早くから伝わっていたり、昔から本が身近な存在であったために本に対する敬意が少ないのかもしれないです。欧米は、本=バイブルという感じで、日本とは全然位置付けが違うんだなと。
それから直す技術が根付いているのが驚きで、歴史の厚みが違うと感じました。図書館の中に修復室がほぼ必ずあるのが、日本と全然違ってすごくびっくりしました。

太田
和本の作りは直しやすいということがあって、それゆえに直すという技術が発達しなかったということもあるのでしょうか?

板倉
それもありますね。あとは、日本に洋本が入ってきたのは明治の頃で、歴史が浅いというのがあります。手製本の技術として入ってきたものが、すぐに産業化・機械化を迎えたんです。ヨーロッパでは、西暦400〜500年に本が生まれて、印刷が誕生する1400年〜1500年頃まで1000年ぐらいの時間があり、その間写本の時代がありました。そういう歴史の中で、バリエーションはありながらも本の形態がずっとあって、それから機械化を迎えましたが、日本では江戸時代までは和本で、そこにいきなり洋本が入ってきて、製本の技術がきっちり定着する前に量産の時代を迎えてしまった。そういうわけで日本人は洋本がどんなものか実はよく知らないんです。今日でも、作りがひどい本はたくさんあります。それは正しいことを知らないから。正しく作れば、耐久性があって長持ちするし、修復もしやすくなります。

研究会本部のアトリエの様子。修復の作業や、講座も開催されている。

僕は、ドイツでの経験があることから、日本での製本とドイツでの製本の違いについてよく聞かれることがありますが、今日ではどちらでも和本も洋本も勉強するし、そんなに大差ないと感じている部分がありました。一方で、本にしてもブックアートにしても、それを取り巻く環境は板倉さんの話の中に出てきた図書館の修復室のように、欧米には当たり前に存在しているものが日本にはないということがなぜなのか、あまり歴史の時間の長さで考えていませんでした。板倉さんのお話を伺い、それがしっくりくる感じがして、これからの日本での本とブックアートのヒントになるような感覚を持ったのでした。

新館に並ぶ製本のサンプル。


今回の温ね先

板倉 正子(いたくら・まさこ)
1977年、大阪編集教室にて石井力太郎氏より製本装幀の技術、片山哲夫氏より装幀デザインの手ほどきを受ける。1986年、製本修復に興味を持ち、アメリカ東部図書館などを視察。スイス製本修復学校(セントロ・デ・ベル・リブロ)留学以後、1988年より特にヨーロッパの中世期の書物を中心とした書物修復を本業とする。1990年、スイス製本修復学校短期課程修了。ドイツ・デュッセルドルフの製本所で和本の製本を教えながら研修。1991年、製本修復の国際会議に参加し、ヨーデボリ大学(スウェーデン)にて、「日本の紙と書物の構造について」というテーマで講義。同年、「書物の歴史と保存修復に関する研究会」設立。1994年より、「アトリエ・Book・クンスト」主宰。2004年にNPO法人を設立。The Center for Book Arts(アメリカ・ニューヨーク)アーティストメンバー。特定非営利活動法人書物の歴史と保存修復に関する研究会代表理事。監修書籍に『図書の修理とらの巻』『続図書の修理とらの巻』(澪標)など。


第二十二回 「綴じを温ねて(2)〜本の過去・現在・未来編〜」に続く
この記事を書いた人

太田 泰友(おおた・やすとも)
1988年生まれ、山梨県育ち。ブック・アーティスト。OTAブックアート代表。
2017年、ブルグ・ギービヒェンシュタイン芸術大学(ドイツ、ハレ)ザビーネ・ゴルデ教授のもと、日本人初のブックアートにおけるドイツの最高学位マイスターシューラー号を取得。
これまでに、ドイツをはじめとしたヨーロッパで作品の制作・発表を行い、ドイツ国立図書館などヨーロッパやアメリカを中心に多くの作品をパブリック・コレクションとして収蔵している。
2016年度、ポーラ美術振興財団在外研修員(ドイツ)。
Photo: Fumiaki Omori (f-me)