本が持つ役割や要素をアート作品として昇華させる太田泰友。本の新しい可能性を見せてくれるブックアートを、さらに深く追究するべく、ドイツを中心に欧米で活躍してきた新進気鋭のブックアーティストが、本に関わる素晴らしい技術や材料を求めて日本国内を温ねる旅をします。

第二十二回 「綴じを温ねて(2)〜本の過去・現在・未来編〜」

「有能な製本家かならずしも有能な修復家にあらず」

2004年に「NPO法人 書物の歴史と保存修復に関する研究会」を立ち上げるなど、常に新しい世界の情報を取り入れながら、日本で本の修復を普及してこられた板倉正子さん。僕が板倉さんの活動を調べていたときに、研究会のウェブサイトにある、NPO法人の設立趣旨の中で特に印象に残ったフレーズがあります。「有能な製本家かならずしも有能な修復家にあらず」イギリスの著名な製本修復家バ-ナ-ド・ミドルトンの言葉として紹介されています。

太田
板倉さんが紹介されていたミドルトンの言葉が非常に印象的でした。修復の大切な特徴を表しているように感じるとともに、ブックアートにも共通する〈製本との関係性〉のようなものを感じました。「有能な製本家かならずしも有能なブックアーティストにあらず」ということを実感させられることがよくあります。

共通するのは、製本は技術として絶対に必要ではあるけれども、技術を用いるための思想のようなものがあって初めて生きるということなのかなと考えています。

板倉
本の修復において製本は基本技術です。製本技術がなかったら修復はできません。製本の基本は「どんな風に綴じるか」。いろいろな綴じ方があって、それが本の構造を形作るわけです。それがわからないと薄っぺらなものになってしまいます。

そういう基本技術があった上で、できるだけ元の素材を活かしたり、「こうしてはいけない」といった制約が修復にはあります。修復は我を出せないのが特徴ですが、製本は我を出した表現としても存在するところが決定的に違いますね。だから、修復をしながらときどき製本をしている人がいるんだと思います。バランスが良いのでしょう。

最近はなかなか時間が取れないという板倉氏が、かつて〈製本〉した本。

板倉
スペインで製本を学んだ人と出会ったときに、その人の技術が18世紀の製本のような感じで、とても稚拙だったことがあって。それと比較するとフランスは洗練されていてすごいと感じるのですが、洗練されていることが果たして必ず良いのかということがあります。

高野紙こうやがみという和紙のことを、ある人は「こうぞの砕き方が甘くて良くない」と言いますが、またある人は「形を変えず古来の姿で残っているから意味があることなんだ」と言います。技術は時間とともにどんどん進化していきますが、それが本当に良いのかというのを最近考えています。

太田
スペインの人が作る本を見て、技術的には稚拙だけど強く伝わってくるものがあったという感じですか?

板倉
そうなんです。修復にはそういう技術も必要なんだと感じました。それしか知らないで用いているのは望ましくないですが、いろいろなことがわかった上で、まだ発展していない技術を用いるのは良い。時代ごとの様式があって、時代ごとの上手い下手があります。そういうのをしっかりと理解できるようになりたいと思うんです。

研究会の新館 Book Lab にはたくさんの製本のサンプルが並ぶ。

本の過去と現在と未来

太田
本の修復をするということは、本の過去と向き合うことになると思います。数多くの〈過去〉と向き合ってこられた板倉さんは、本の〈未来〉をどう感じておられますか?

板倉
マスメディアとしての時代は終わるのかなという気はするのですが、存在はし続けると思います。それがどんな形でかというと、予測がつかないです。みんながこうなるんじゃないかと考えるものを超えていくのが世の常だと思うので、計り知れない展開になるのではないかと思いますね。

研究会本部に並ぶ、プレスに使う道具。

太田
過去と向き合うのは、やはり膨大な知識が礎になりますか?

板倉
映画の時代考証と一緒ですね。そこに物理的な整合性が重要になってきます。もちろん、もともと物理的な整合性が守られていなくて、バランスが取れていないものもありますし、過去にその本を作った技術者の技量の優劣もあります。さらに金銭的な制約もあります。より良い方法はわかっているけれども、現実的なコストで選ばざるを得ない選択肢もあります。そういうのが全て合わさって本ができています。

昔の本は、昔に作られているほど、なるべくして形になっています。一方で、今はそういうことを超えて、デザインが優先されることもあります。昔の本の方が、必要性があって、物理的な制約があって、そういう中で作られているという意味で扱いやすいです。それに対して、今の本は全然直せない本もあります。紙も様々、時代も様々、製本形態も様々で、そこに金銭的制約が多くあるので、今の本の方がむしろ難しいですね。[対談:了]

新館 Book Lab。

技術の洗練に関するお話と、昔と今の比較のお話を板倉さんからお聞きして、僕がどうして本に魅了されて、ブックアートを通して本を追究したくなるのか、より明確にわかったような気がしました。新しいから良い、古いから良いというわけではなく、本の必然性にグッとくる。

技術的にはいろいろなことができるようになった今日。これからもどんどん進化する技術によって、できることは増えていくでしょう。そういう中で、今の必然性がある、今ならではのアプローチをした本に挑戦することが、ブックアートにできることであり、未来の本につながっていく大切な積み重ねなのではないかと感じます。

新館 Book Lab にて、板倉正子氏(左)と筆者。


今回の温ね先

板倉 正子(いたくら・まさこ)
1977年、大阪編集教室にて石井力太郎氏より製本装幀の技術、片山哲夫氏より装幀デザインの手ほどきを受ける。1986年、製本修復に興味を持ち、アメリカ東部図書館などを視察。スイス製本修復学校(セントロ・デ・ベル・リブロ)留学以後、1988年より特にヨーロッパの中世期の書物を中心とした書物修復を本業とする。1990年、スイス製本修復学校短期課程修了。ドイツ・デュッセルドルフの製本所で和本の製本を教えながら研修。1991年、製本修復の国際会議に参加し、ヨーデボリ大学(スウェーデン)にて、「日本の紙と書物の構造について」というテーマで講義。同年、「書物の歴史と保存修復に関する研究会」設立。1994年より、「アトリエ・Book・クンスト」主宰。2004年にNPO法人を設立。The Center for Book Arts(アメリカ・ニューヨーク)アーティストメンバー。特定非営利活動法人書物の歴史と保存修復に関する研究会代表理事。監修書籍に『図書の修理とらの巻』『続図書の修理とらの巻』(澪標)など。


第二十三回 「ブックアートを温ねて(1)〜前編〜」に続く
この記事を書いた人

太田 泰友(おおた・やすとも)
1988年生まれ、山梨県育ち。ブック・アーティスト。OTAブックアート代表。
2017年、ブルグ・ギービヒェンシュタイン芸術大学(ドイツ、ハレ)ザビーネ・ゴルデ教授のもと、日本人初のブックアートにおけるドイツの最高学位マイスターシューラー号を取得。
これまでに、ドイツをはじめとしたヨーロッパで作品の制作・発表を行い、ドイツ国立図書館などヨーロッパやアメリカを中心に多くの作品をパブリック・コレクションとして収蔵している。
2016年度、ポーラ美術振興財団在外研修員(ドイツ)。
Photo: Fumiaki Omori (f-me)