#10「リモ婚」 木滝りま
 なりたい自分になれる、がキャッチコピーの顔加工アプリ『ビモリー』の存在をネットのニュースで知った時、伊藤雅代は確信した。
(とうとう、私の時代が来た!)
 雅代は、平凡な派遣社員。いまだに独身で彼氏も恋人もいない。そんな雅代の唯一の楽しみは、テレビの恋愛ドラマを観まくり、ネットの恋愛漫画を読みまくって、妄想に浸ることだった。
 恋をしたいという気持ちは人一倍あるが、自分の容姿に自信がなく、一歩踏み出せないまま、会社とひとり暮らしのマンションを往復する日々を過ごしてきた雅代だった。
 そんなある日、未知のウイルスが世界中に蔓延して、人々の生活は一変してしまった。
 人と人との接触を避けるため、学校や職場はもちろん、買い物や飲み会、男女の出会いから結婚に至るまで、すべてがリモートで行われるようになった。
 時代は、思いがけない順風を雅代にもたらす。
 SkypeやZoomで通信をする際、自分の顔や体形を別人のように美化できる画期的なアプリ『ビモリー』が開発され、人々は通常のビデオ画面でも、加工された「なりたい自分」の姿で他者と会話できるようになったのだ。
「なりたい自分になれるんだったら、リモートライフも悪くない」
「いや、むしろそっちの方がいいじゃん」
 アプリの存在は、長い自粛生活で疲弊した人々の心に希望の光をもたらした。アプリを使って「なりたい自分」になり、夢のリモートライフをエンジョイし始めたのである。
 むろん、雅代も例外ではなかった。
 このアプリとの出会いによって雅代は、長い暗黒の歴史に終止符を打つことができた。
 ゆるふわのロングヘアー、ぱっちり目の小顔、愛らしいアヒル口──アプリを使って実物とは別人の美女に変身した雅代は、その顔で『リモートお見合い』に積極的に参加し、そしてひとりの男性と出会った。
 その男性、田中友也と初めて話した時のことを、雅代は今でも鮮明に覚えている。
パソコンの画面の中、微笑みかけてきた友也の姿を一目見た瞬間、雅代は心の中でつぶやいた。
(王子様……)
 友也は、雅代が妄想に描いていた白馬の王子そのものだったのだ。少し垂れた優し気な目元もまさに理想通りで、雅代は、友也との出会いに運命を感じた。
「初めまして。田中と申します。伊藤さん、すごく可愛いですね。なんだかドギマギしちゃうなー。よかったら僕と、時々、リモートで会ってもらえませんか? お付き合いしたいです。どうかよろしくお願いします」
「は、はい。よろこんで……こちらこそ、よろしくお願いします」
 ふたりは、パソコンの画面に向かって右手を伸ばし合い、リモートで握手を交わし合った。
 友也と『リモート交際』を始めてからというもの、雅代の人生は一変した。パソコンの前に座っているだけの生活は、今までと何も変わらないが、精神的には大きく違ったのだ。
 会社のリモートワークが終わると、雅代はすぐに画面を切り替え、友也と通信を始める。
 そして友也と一緒に夕飯を食べ、一緒に晩酌をし、愛を語り合った。時には、一緒にゲームをしたり、互いのアバター同士でWEB上のピアノコンサートに出かけたりもした。
 ショパンの調べが、恋人たちを夢にいざない、ふたりは、空を飛ぶような浮遊感に浸る。
 そんな幸せの絶頂にあったある日、画面の向こうで友也は言った。
「今日は、雅代にとっておきのプレゼントがあるんだ」
「え?」
「そろそろ着く頃かな? 宅配ボックスを覗いてごらんよ」
 友也に言われて雅代がマンションの宅配ボックスを覗いてみると、そこには小さな箱が入っていた。
(……何かな?)
 部屋に戻って開けてみると、箱から出てきたのは、指輪のケースだった。ケースを開けると、プラチナのエンゲージリングが姿を現す。台座の中央には、星のような大粒のダイヤが輝き、両サイドには小粒のダイヤがキラキラと光っていた。
「これ、もしかして……?」
「うん、そうだよ」
 パソコン画面の友也は微笑む。そして少し間を置いてから言った。
「雅代、結婚しよう」
「……!」
 雅代は、感激で胸がいっぱいになった。とっさには何も答えられず、高鳴る心臓の鼓動を抑えながら、画面の友也を見返す。やがて雅代は、おずおずと尋ねた。
「でも……いいの?」
「いいって何が?」
「私たち、一度も会ったことないのに……」
「会ってるじゃないか、こうして毎晩……ソーシャルディスタンスを保ちながらだけど」
「そ…そうよね」
「もちろん、これからも僕たちの付き合い方は変わらない。結婚式は、オンラインのリモ婚にしよう。新婚旅行も、もちろんバーチャルだ。お互いに適切な距離を保ちながらの、リモート結婚ライフをエンジョイしよう」
 友也の言葉を聞いて雅代は、心の底からの安堵を覚えた。
 これからも「なりたい自分」のまま、友也との結婚生活を続けられるのだ。
「ありがとう……」
 ようやく微笑んだ雅代に、友也は、たたみかけるように言う。
「……それで? 答えはイエス? それともノー?」
「イエス……」
 声がかすれてしまったため、雅代はあわてて言い直す。
「答えはイエス……イエスです。私、友也さんのお嫁さんになりたい」
 その答えに、友也も満足したようだ。そして笑顔を浮かべながら、雅代を促す。
「じゃあ、指輪、嵌めてみて」
「……はい」
 雅代はうなずき、友也から贈られた指輪を左手薬指に嵌める。
 指輪は、まるで測ったように、雅代の指のサイズにぴったりだった。
(私……結婚するんだ)
 とうの昔に、あきらめていたことが、今、奇跡のように、雅代の人生に舞い降りた。
 雅代は、まるで自分が恋愛ドラマの主人公になったような気がした。
 リモート挙式には、数十人が参加した。
 ほとんどが新郎新婦の友人や仕事の関係者ばかりだった。
 パソコンの画面中央には、純白のウエディングドレス姿の雅代と、純白のタキシード姿の友也が、結婚式場のひな壇の壁紙を背景に映っている。
 まるで式場のパンフレットに出てくるモデルのようなふたりだ。
 分割画面に並んだ参加者たちも、皆、不自然なくらい若々しく、美形ぞろい。実は、列席者のほとんどが、顔加工アプリ『ビモリー』を使っていたのだ。壁紙も晴れの日にふさわしい、薔薇や外国のお城などで、皆、煌びやかな雰囲気を醸し出している。
「えー、それでは……挙式に続き、披露宴を始めたいと思います」
 司会者の声を皮切りに、リモートによる祝いの宴が始まった。
 主賓の挨拶、乾杯の音頭……と、ここまでの段取りは、リアルの披露宴と変わらない。
 会食は、あらかじめ新郎新婦から送られた仕出しのコース料理を、画面の向こう側の参加者たちがそれぞれに食べる。
「伊勢海老のポワレ、仕出しとは思えないくらい美味しいわねぇ」
「いい素材を使ってるのかしら?」
「新郎は投資家らしいけど、かなりのリッチマンなんじゃない? あ~あ、雅代が羨ましい」
 列席者たちは、そんなことを言い合いながら、料理に舌鼓を打つ。
 しばらくして、司会者が一同に告げた。
「ではここで、新郎新婦のご友人代表より、ご挨拶を頂戴いたします。まずは、新郎のご友人、荒川隆一様より、ご挨拶がございます。荒川様、どうぞよろしくお願い致します」
 紹介を受けた新郎の友人が、画面に大きく映し出される。
「え~、ご紹介に預かりました荒川です。新郎の田中友也さんとは、証券会社時代からの友人でして……」
 新郎側の代表は、ちょっとしたジョークなども交えつつ、滞りなくスピーチを終えた。
 続いて、新婦側の友人代表が挨拶をする番になった。
 新婦の友人、熊谷幸恵が画面に大写しになった時、列席者たちの顔には衝撃が走った。
 それは喩えて言うなら、テーマパークのキャラクターが、突然、着ぐるみを脱いで素顔をさらけ出した時のような衝撃だった。
 画面上の幸恵は、その顔をまったく加工していなかったのだ。素のままのオバサン顔は、美男美女ぞろいの列席者たちの中で完全に浮いてしまっている。一応、化粧をし、フォーマルな装いをしているものの、幸恵は時代遅れの黒いワンピース姿で、そのウエストはパンパンだった。
 幸恵は、壁紙も使っていないようだった。その背景には、幸恵の自宅と思しき、物がごちゃごちゃと置かれた、溢れんばかりの生活感が漂う台所が映っている。
「え? ここ押せばいいんですか? あ……はい。すいません、Zoomとかそういうの初めてで……え~、たった今、ご紹介に預かりました熊谷幸恵と申します。私の声、聞こえてるのかな? あー、あー……」
 幸恵は、雅代の中学時代からの友人。36年前に結婚し、5人の子供の母親として、ずっと専業主婦をしてきた。世間のことに疎い幸恵は、顔加工アプリの存在を知らなかったらしい。一番の親友ということで友人代表の挨拶を頼んだのだが、雅代は「しまった」と思った。人選を間違えた、と言わざるを得ない。引きつり笑顔を浮かべながら、雅代がどうにかやり過ごそうとしていると、幸恵はようやく挨拶を始めた。
「雅代ちゃん、友也さん、ご結婚おめでとうございます。お嫁さんになることは、雅代ちゃんの子供の頃からの夢だったよね? やっと夢が叶って、よかったね、雅代ちゃん」
 幸恵は、ここで言葉を区切った。そして少し間を置いてから、おずおずと切り出す。
「……あの、でも、正直、戸惑っています。雅代ちゃんの顔、私の娘より若々しくて、まるで別人みたいだから……本当に私の知ってる雅代ちゃんなのかなって……」
 列席者の間からは、ざわめきが起きた。雅代は、恥ずかしさに顔を赤くしながら俯く。
 幸恵も、さすがにまずいことを言ったと気づいたのか、あわてて言い直した。
「あっ、やだ! 別人って言ったのは、すごく綺麗っていう意味よ。うんうん。旦那様もめちゃくちゃハンサムだし、素敵な人に巡り会えてよかったね。本当におめでとう!」
 それから幸恵は、中学時代の思い出話をし、ひとり感極まって涙ぐんだ。
 場はシラけ切っていたが、幸恵は気づかず、話を続ける。
「ウイルス騒動の中、おふたりはリモートでデートを重ね、愛を育んだと言います。でも、やっぱりリアルに会えないのは、寂しいよね。顔を突き合わせて触れ合ってこその夫婦だから……。おふたりの熱い愛がウイルスを溶かして、一日も早く一緒に暮らせる日が来ることを祈ってます。雅代ちゃん、友也さん、どうかお幸せに!」
 笑顔で結びの言葉を述べる幸恵に、列席者たちは型通りの拍手を送る。
 しかしその中で誰ひとりとして、幸恵の話に共感した者はいなかった。
 人々は皆、リモート生活の快適さを知ってしまった。今さら、人と人との間に距離のない、もとの生活には戻れない……。それが、列席者たちの本音だったのだ。
 気まずい空気を残しつつ、一同は幸代の挨拶をなかったことのように聞き流し、そしていよいよ、宴もたけなわ、披露宴はクライマックスを迎えた。
 最後は、新郎新婦があらかじめ署名捺印した婚姻届を、その場で区役所の戸籍課に送信する、という儀式で締めくくられる。
「それでは、これよりご列席の皆さま全員の立会いのもと、新郎新婦が婚姻届を提出します。新郎新婦、準備はよろしいですか? 10秒前……5、4、3、2、1、はい!」
 司会者の音頭で送信ボタンが押され、婚姻届が提出された。
 田中友也、69歳。
 伊藤雅代、59歳。
 この瞬間、晴れて夫婦となったふたりに、列席者たちは盛大な拍手を送る。
 鳴り響く音楽が、幸恵という、唯一の不協和音を掻き消していく。
「ありがとうございます」
「幸せになります」
 そう言って微笑む新郎新婦は、見た目、二十歳そこそこの、お似合いの美男美女だ。
 最後は、列席者全員が指でハートマークを作って記念写真に納まり、リモート披露宴は、無事、終了した。

家族のかたち 丸山朱梨×木滝りま
ふたりのシングルマザーが、短歌→小説と連詩形式でつむぐ交感作品集。歌人の丸山朱梨と、脚本家の木滝りま。それぞれの作品から触発された家族の物語は、懐かしくも、どこか切ない。イラストは、コイヌマユキによる描き下ろし作品。
この記事を書いた人
小説/木滝りま(きたき・りま)
茨城県出身。脚本家。小説家。自称・冒険家。大学生の息子がいるシングルマザー。東宝テレビ部のプロットライターを経て、2003年アニメ『ファイアーストーム』にて脚本デビュー。脚本を担当したドラマ『運命から始まる恋』がFODにて配信中。https://www.and-ream.co.jp/kitaki-rima

短歌/丸山朱梨(まるやま・あかり)
1978年、東京都生まれ。歌人。「未来短歌会」会員。小学校5年生の息子がいるシングルマザー。https://twitter.com/vermilionpear

イラスト/コイヌマユキ(こいぬま・ゆき)
1980年、神奈川県生まれ。イラストレーター。多摩美術大学グラフィックデザイン学科非常勤講師。書籍の装幀やCDジャケットなど多方面で活躍。「Snih」(スニーフ/“雪”の意味)として雑貨の制作も行う。https://twitter.com/yukik_Snih