太台本屋tai-tai books:黄碧君(エリー)さん、三浦裕子さんインタビュー
台湾文学の誘い(前半)

対話:倉本さおり、長瀬海
昨年2021年は、台湾の作家・呉明益の翻訳書が3点刊行されました。同時に、2015年に刊行され多くの読者を得た『歩道橋の魔術師』、2018年に刊行された『自転車泥棒』も文庫化されるなど、改めて呉明益という作家が注目をされた年になりました。
今回は、呉明益の翻訳をはじめ、日本と台湾の出版をつなぐ太台本屋tai-tai booksのおふたりが、どのように台湾文学の翻訳出版に関わることになったのか、そして台湾文学がどのように日本で翻訳され、読まれるようになっていったのかをお聞きしました。

台湾文学が私たちの手元に届くまで
── 太台本屋(タイタイブックス)さんは日本における現在の台湾文学ブームを牽引している出版エージェントであり、台湾の本や作家、出版に関する情報を日本に発信しているユニットです。私たちが台湾の新しい小説を次から次に手に取ることができるのは、太台本屋さんが精力的に活動されているおかげもありますね。ガイブン読者としては、とてもじゃないけど、足を向けて寝られません……。太台本屋さんはどのようにして結成されたのでしょうか?
エリー 現在は、私のほかに日本人の3人がコアメンバーにいます。台湾作品の売り込みは主に私と三浦さんの2人でやっていて、読者向けのイベントをしたりブログを書いたりするのは、4人全員でやります。私から3人に声をかけて、台湾の本を日本に紹介したい、だから協力してください、とお願いをしました。それが2018年の年始だったのですが、私はそれ以前から、亡くなられた台湾文学の翻訳者、天野健太郎さんと2人でエージェントとしての活動をしていました。
 2012年に、天野さんと2人で聞文堂LLCという名前の会社を始めたのですが、その後わりとすぐに、私は家族の都合で台北に戻って生活することになりました。台北に戻って以降も、現地で日本にも受け入れられそうな作品を探したり、作家や出版社などとのコネクションを作ったり、日本で台湾の本を広めるためのさまざまな情報を集めていました。その間、日本には、トークイベントに出席する作家のアテンドなどで年3〜4回は来ていて、天野さんと一緒に台湾作品のイベントやプロモーション活動をしたり、次に紹介する作品についての打ち合わせなどをしたりしていました。

聞文堂LLCを運営していた頃の天野健太郎さんとエリーさん

── 最初は天野健太郎さんと組んでこうした活動をしていらっしゃったんですね。おふたりで版権の交渉から日本での出版に至る細かいことをすべてやられていた、というのは驚きです。
エリー 聞文堂の時代は6年くらい2人でやっていたんですが、天野さんも翻訳が忙しくて、プロモーション、イベント企画など、とてもじゃないけど2人じゃこなせないと感じていたんです。ただ、そこを怠ると、一般の読者に広く台湾の本を届けることができない。そう思っているときに、仕事やイベントなどを通じていまの3人と知り合って、力を借りるようになりました。
── 「一般の読者に広く届けたい」という想いが聞文堂や太台本屋さんの原点にあった、と。
三浦 天野さん以前にも、日本における台湾文学の紹介って、かなりあったんです。1999年から始まった国書刊行会の「新しい台湾の文学」シリーズとか、2002年からの草風館の「台湾原住民文学選」シリーズとか、あるいは、2008年前後の作品社の「台湾セクシュアル・マイノリティ文学」シリーズなどもあったりして、その時点までの台湾の主要な小説家の作品がけっこう翻訳されていました。ただそれを、台湾とかアジアにすごく興味がある人以外の、いわゆる「一般の読者」というか、欧米の外国文学をよく読んでいたりする読者が読んでいたか、というと、そうではなかったと思います。
 台湾ではこの10年くらいで次々と新しい作家、作品が出てきて、文学シーンも大きく変わってきました。私たちは、日本での台湾文学も、もっと広い読者を獲得できる時期に来ているのではないかと思って、太台本屋の活動をやっています。

「新しい台湾の文学」(国書刊行会)シリーズ
写真は白先勇の『孽子』(陳正醍訳、2006年)

── 台湾文学においては天野さんとエリーさんがまず、門戸をより大きく開いてくれたということですね。では、日本語に翻訳する本の選定って、どのようなかたちで行われるのでしょうか?
エリー 聞文堂の時は、基本的には、天野さんと2人で話し合いながら、これならいけるんじゃないかいうものをセレクトしていました。私は、台湾でずっと日本の文芸作品の翻訳をしてきたこともあって、「台湾読者にうける海外翻訳作品とは何か」を見てきたので、日本向けの台湾作品を選ぶときは、その逆の立場と気持ちになって考えてきました。天野さんは、自分が気に入っていて翻訳したい作品を中心に選んでいましたね。
 今もほぼ同じで、台湾のこの小説を紹介したら、日本の読者もきっと面白く読んでくれるんじゃないか、そう考えて選書をしています。台湾でベストセラーの作品だからといっても、必ずしも日本の読者が理解できる、日本でも人気が出るわけではありません。逆に、台湾では全くマイナーだけど日本で読まれるかもしれない作品だってあります。物語に描かれる社会や世界に、日本の読者が興味を持ってくれるか。三浦さんたちほかのメンバーも、台湾や香港の事情にとても詳しかったり、現役の編集者として日本の出版市場を見ている人だったりするので、いろいろ意見を参考にしながら作品を選んでいます。
三浦 私は、台湾の力のある作家・作品のなかから、「ふつうに面白い」ものを日本に紹介して、日本読者の台湾文学に対するハードルを下げたい、と思って選んでいるのが大きいです。最初に読んだ作品が面白ければ、「台湾の本も面白いんだ」と、次の作品も手に取ってくれるかもしれないからです。
── アジアの文学は歴史的な経緯や距離的な事情から、日本と関わりのある作品が多いですし、やはり読まれる作品も読者にシンパシーを抱かせるものが多いと感じます。そこで太台本屋さんの選球眼がきらりと輝いているんだろうなと。三浦さんはどういうきっかけで台湾文学に関わることになったんですか?
三浦 私はそもそも子どもの頃からアジアに興味があって、大学時代は中国語を第二外国語として勉強していました。大学卒業後、小学館に入って雑誌の編集をしていましたが、1998年から1年間会社を休職し、中国に留学しました。そこで中国語で書かれた小説が読めるようになったので、同時代の中国の小説を読んでみたんです。そうしたら、なにこれ、面白い! ってびっくりして。だから会社に戻ってから、こういう作品を日本に紹介できないかなと思って、中国や台湾、香港の作家の作品を読み始めました。
 2000年ごろに、同時代のアジアの若手作家の作品を集める「アジア同時代文庫」っていうシリーズを考えてしつこく企画を出したんですが、社内では一向に通らない。じゃあ、とりあえず版権契約の実務でも覚えるかと思って、希望を出して国際版権部門に異動しました。幸い、台湾・香港の担当になったので、現地の出版事情により詳しくなりました。出張に行くと、毎回、文芸系の出版社をあちこち訪問して向こうの編集者と会ったり、現地のブックフェアや書店に行って何が人気あるのか観察したり、自分と同年代の作家の小説をあれこれ買って読んだりしていました。
 そうこうしているうちに、天野健太郎さんが翻訳した『台湾海峡一九四九』という本が出ました。当時の私にとっては彼の登場はとても衝撃的でした。中国語の作品を翻訳している人の名前は一通り知っていたと思っていたのに、天野健太郎なんて名前は見かけたこともない。どうやらこの人はいわゆる学術界の人でもないし、訳書も今までなさそうなのに、翻訳のクオリティがむちゃくちゃ高い。じゃあ、いったいなんの人なんだろう……? ってすっごい不思議で。そのうちに天野さんの翻訳作品が次々と刊行されるので、気になって、天野さんのイベントに足を運ぶようになったんです。それが2015年くらい。
 私が出版社にいてやりたかったことを、外からポンっと飛び込んできた人がガンガンやっている。刺激以上のものを受けましたね。それから天野さんのイベントの内容を、頼まれてもないのにレポートとして書いてブログにアップしたりするようになって、天野さん本人にも「お友達になってください!」って声をかけて(笑)近づいたんです。エリーさんとはその後で知り合いました。
エリー 三浦さんのことはその前からよく名前を聞いていたんです。当時、私の周りの台湾の出版関係者で日本の本の翻訳出版に関わっている人は三浦さんのこと、みんな知っていました。それぐらい有名人(笑)。
 直接知り合ったのは、台湾で小学館の安倍夜郎さんの『深夜食堂』がブームになったことがきっかけかな。著者の安倍夜郎さんがサイン会で台湾を訪れることになって、そのときに私が通訳を担当したんです。それが三浦さんとの出会いでした。
── エリーさんと天野さんのもとに強力な味方が現れて、次々に仲間になる。なんだかロールプレイングゲームみたいです(笑)。この出会い自体がとても素晴らしい出来事だったんですね。おそらく今の日本における台湾文学の受容は、天野健太郎さんがいなければこのようなかたちで広がっていなかったんじゃないかなって思います。そもそも、エリーさんが天野さんと出会ったのはいつだったんですか?
エリー 2010年頃に、東京で知人を介して知り合ったんです。台湾の本を翻訳したいって言っている人がいる、どうすればいいかとアドバイスがほしいと言われて、そこで紹介されたのが、天野健太郎さんでした。当時、天野さんは出版業界の人じゃなかったので、ノウハウがない。私は日本の版権エージェント会社で版権業務を経験していたので、とりあえず作品の資料を作って、興味ありそうな出版社に送ってみるのがいいんじゃないかってアドバイスしたんです。それで最初に白水社が龍應台の『台湾海峡一九四九』に関心を示してくれた。

龍應台『台湾海峡一九四九』(天野健太郎訳、白水社、2012年)

── ほんとうに手探りのところから始まったんですね。
エリー ええ。企画書を受け取った編集者がすぐに彼に電話をくれて、話をしましょうって。もともと、天野さんは2000年に台湾に語学留学に行ったんですね。中国語がある程度できるようになった後、現地の大学で、台湾文学研究の第一人者のひとりでもある陳芳明という先生の台湾文学のクラスを聴講して、台湾文学に興味を持つようになった。原語で台湾の本を読み漁るうちに翻訳をしたくなって、日本の読者もきっと興味を持つだろうと思ったそうです。天野さんにそんな相談をされたこともあって、私も真剣に日本の書店を観察してみました。そうしたらその頃、一般的な日本の書店には、台湾の本はほとんど棚に並んでないことに気づいたんです。台湾人としてそれはとても残念だったし、もしかしたら、これはやってみる価値はあるんじゃないか、そう思いました。私が権利や契約関係のことはやるから、天野さんが翻訳をする。そういう役割分担で会社を作りましょう。そんな風に提案したんです。そこから活動が始まりました。
── 『台湾海峡一九四九』が刊行されたのが2012年で、天野さんの訳書はそのあと、2013年に張妙如・徐玫怡の『交換日記』(東洋出版)と猫夫人『猫楽園』(イースト・プレス)、2014年には陳柔縉の『日本統治時代の台湾写真とエピソードで綴る1895〜1945』(PHP研究所)と矢継ぎ早に刊行されています。

陳柔縉『日本統治時代の台湾 写真とエピソードで綴る1895~1945』(天野健太郎訳、PHP研究所、2014年)

エリー 『台湾海峡一九四九』が出たあと、反響が大きかったんですよ。私のところにも「すごく良い本です。訳文も読みやすい」って声がたくさん聞こえてきました。書評も結構出たし。やっぱり私の見る目は正しかったんだなって、ちょっと自信がつきました。
── そして、2015年に呉明益『歩道橋の魔術師』(白水社)が刊行され、大きな話題となるわけですね。『歩道橋の魔術師』は第二回日本翻訳大賞の最終候補にノミネートされ、のちにテレビやSNS等のメディアでもさかんに取り上げられました。おふたりは、どうして『歩道橋の魔術師』があれほど日本の読者に読まれたんだと思いますか?
エリー あの作品集の舞台となった中華商場がポイントだと思います。台北の駅近くの一番賑やかな場所にあった巨大な商業施設で、住宅にもなっているビルでした。台湾のある時代の象徴と言いますか、昔の村のような空間で。そこに漂うノスタルジーというのは、日本にも地方の至る所に残っているようなものだと思うんです。日本でも、開発によって次から次に壊されては、新しい建築物が建った。そうすると、そこにはかつてあった土地の記憶だけが残されます。その記憶のなかには、人間関係だったり、場所の雰囲気だったりが含まれているわけで、あの作品が描くそうしたものにみんな共感できたんだと思います。

『歩道橋の魔術師』刊行の際、聞文堂で制作したポストカード。かつての中華商場のイラストは、作者である呉明益本人が描いたもの。
下はポストカードの裏面。『歩道橋の魔術師』のほか、それまでに刊行されていた聞文堂が手掛けた本が紹介されている。

(後半につづく)
プロフィール
黄碧君(ふぁん・びじゅん、通称エリー)
文芸翻訳者。呉明益、紀蔚然、林育徳、リン・シャオペイなど台湾作家の日本におけるエージェントや、台湾の本まわりの情報発信などを行うユニット「太台本屋 tai-tai books」代表。台北出身、現在日本在住。中国語繁体字版訳書は、三浦しをん『舟を編む』、柴崎友香『春の庭』、乃南アサ『水曜日の凱歌』、川本三郎『いまむかし東京町歩き』、つげ義春『ねじ式』など70作品以上。

三浦裕子(みうら・ゆうこ)
仙台生まれ。版権コーディネーター、翻訳者、編集者、ライター。出版社で雑誌編集、国際版権業務に従事した後、太台本屋 tai-tai booksに参加。台湾や香港の「ふつうにおもしろい」作品を日本の出版社と読者に紹介する活動や、本まわり、映画まわりの翻訳や記事執筆などを行う。訳に林育徳『リングサイド』(小学館)、呉明益「沖積層になる」(短篇、河出書房新社『文芸』2022年春季号掲載)など。


倉本さおり(くらもと・さおり)
東京生まれ。書評家、法政大学兼任講師。共同通信文芸時評「デザインする文学」、週刊新潮「ベストセラー街道をゆく!」連載中のほか、文芸誌、週刊誌、新聞各紙で書評やコラムを中心に執筆。TBS「文化系トークラジオLife」サブパーソナリティ。共著に『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』(立東舎)、『韓国文学ガイドブック』(Pヴァイン)などがある。

長瀬海(ながせ・かい)
千葉県出身。インタビュアー、ライター、書評家、桜美林大学非常勤講師。文芸誌、カルチャー誌にて書評、インタビュー記事を執筆。「週刊読書人」文芸時評担当(2019年)。「週刊金曜日」書評委員。翻訳にマイケル・エメリック「日本文学の発見」(『日本文学の翻訳と流通』所収、勉誠社)共著に『世界の中のポスト3.11』(新曜社)がある。