中東文学の誘い(後半)

ゲスト:柳谷あゆみさん
対話:倉本さおり、長瀬海
不慣れなシリアという国での不思議な日々から、翻訳を手掛けることになった経緯、そして世界文学の可能性まで、後半は柳谷さんの体験したエピソードを中心にお話いただきました。深夜3時に鳴り響くドリル音? 大統領通ると車が消える!?
シリア・イズ・ワンダーランド!
—— 柳谷さんがそもそもアラビア語に関わろうと思ったきっかけってなんだったのでしょうか?
柳谷 私は1991年に大学に入学したんですが、その前年にイラクのクウェート侵攻があったんです。当時、私は高校生でしたけれど、テレビを見ていて、その報道のあり方に違和感をおぼえました。NHKの柳澤秀夫さんが英語でレポートしているのも奇妙でしたし、アメリカ側の言論が強く、イラク側の発言がほぼ聞こえてこない印象がありました。これはすごく不思議なことが起きているなと思ったんです。それで、大学に入ったら聞こえてこなかった側のイスラーム史を勉強しようと決意したんですが、高校の世界史の先生に、アラビア語ができない人間なんか鼻も引っかけられないわよと言われまして。その情報を鵜呑みにしまして、中東系の研究に強い大学に進学してアラビア語の勉強を始めることになりました。
—— それでそのまま歴史研究の道を目指されたわけですね。
柳谷 はい。ただ、外国の歴史を専攻したのに、留学経験がほとんどないまま大学院に進んでしまいました。若い頃は外に出るのがすごく苦手で嫌いで、車酔いとかも酷くて、外食すると味が濃すぎてお腹を壊すような人間だったもので、大学院に入ってから、頑張って2ヶ月ほどシリアに短期滞在したんですが、いいところだったのに、まあ鼻血は出すわ、入院するわで大変でした。これじゃあ長期滞在は無理だと思っていました。
 でも、博士課程に進んで、博士論文が書けないまま大学院生活が終わってしまうことになって、奨学金も返していないし、ああもう詰んだなあと。留学した方がいいかもしれないけれど、長期だったらたぶん死ぬなー、でも日本で何もせず鬱々暮らしているなら、もう死んでいいから、シリアに行った方がいいんじゃないか、と考えるようになりました。それであちこち応募したら、外務省の専門調査員に受かって、シリアの日本大使館で2年間ほど働くことになったんです。
—— 思い切った決断……! これまで外食ができなかった人が、環境の全く違うところに飛び込むわけですから、なかなかの困難が待っていたんじゃないですか?
柳谷 はい、結論から言うと、体重が10キロ以上減りました(笑)。やっぱ甘くなかったと思いました。お金はある程度稼げたんですけど、過酷すぎる現実でした。
—— 治安が悪かったとかそういうことですか?
柳谷 いえ、シリアって2011年のシリア内戦より前は本当におすすめの国だったんです。治安も良いし、みんな親切で日本人も過ごしやすいところです。過酷というのはシリアではなく仕事のことです。私が大使館に着任したのは2003年3月19日なんですけど、なぜその日付を覚えているかというと、翌日からイラクで戦争が始まったからです。赴任した翌月、いきなり外相が来るからプレス担当お願いしますとなりまして。先月まで学生で、何の研修も受けていない新米がああいう体験は、二度としたくない。
 で、イラク戦争が始まってドタバタしてきたと思ったら、今度は日本・シリアが外交関係樹立50周年を迎え、周年行事が目白押しになりまして。イベントがとにかくたくさん予定されてたんですが、大使館はやっぱり政治と経済が中心なので、文化担当は基本的には私だけなんですよ。だから一人でチラシ作ったり、会場を探したりしなくちゃいけない。社会主義国なので省庁に話を通して会場を借りたり、バスの手配をしたりしてたんですけど、あるときイベント開催の2日前に内閣が総辞職してお願いしていた人がいなくなって、空港から全行程のバスがキャンセルになったんです。いやもう、これはない。ひどい。あと2日で日本から公演者がみんな来ちゃいますから、急いで文化省に走って頼み込むわけです。頼む、どうにかしてくれ!!! って号泣しながら懇願して。
—— もう激務とかそういうレベルの話じゃない……(笑)。
柳谷 こないだまで大学院で過ごしていた人間が、不慣れなアラビア語とか英語とかを話さなきゃいけない環境で、まあひどかったしきつかったです。

—— そんな激動の2年間を経たあと、大使館を辞め、フランス・アラブ研究所に留学されるわけですね。それからの生活は平穏でしたか?
柳谷 5000倍落ち着いていました。そこでやっと普通の生活ができるようになった。
いま思い返すと、現地の経験で翻訳の仕事に生きているものには、シリアの生活習慣というか、日常の生き方を見聞きできたことがあります。街の人の言葉の返しひとつとっても、やっぱり現地に行かないとわからないことばかりですし。すぐには役に立たない経験も多いですが、発想を広げるうえで参考にはなります。大抵親切でしたし、シリアは楽しいところでした。迷惑な思いをした記憶もありますけど、それだけでは終わらないというか、意外性や変なウィットみたいなものを感じて、その印象の方が強くなってしまうような。
 私は半地下の家に住んでいたんですが、深夜3時にものすごいドリルの音で目が覚めたことがあるんです。ガガガガガガガガ!!!!!! って鳴り響いてるからびっくりして外に出たら、そんな時間に隣の家で工事をしているんです。何やってんだよと思って、上着を羽織って歩いていくと、あっちも日本人が来たことに驚いていて、びっくりしたのはこっちだよと。この壁の向こうで私は寝ているんだ、お前は何をやってんだ! って怒鳴ったら、俺も頼まれてやってるだけだから……と言うんです(笑)。あまりに予想外が過ぎて、変に覚えています。

—— 日本でそんなことがあったら間違いなく警察が出動してますね。
柳谷 そういえば、警察でもちょっとありました。大使館で働いていた頃、車で通勤していたんですが、ある日、朝起きて、家を出たら私の車がなくなっていた。え!? っと思って探すんですが、どこにもない。というか、なんかおかしい。そこら一帯に停まっていた車が全部ないんです。嘘だろと思って、路肩でサボテンの実を売っていたおじさんに、ここにあった車どこ行ったか知らない?と聞いたら、おじさんが「昨日、大統領がここを通った」って……。
—— あははははは。大統領が通るのに邪魔だったっていう。
柳谷 なんでも、大統領が年に1回、その近くにあるモスクで礼拝するらしくて、そこにあった車は全部移動されたらしいんです。だいぶ戸惑ったんですが、まずは警察に行くことにしました。シリアの警察は、日本と違って、交通警察と地域警察に分かれているんです。最初、交通警察に行って事情を説明したら、いや、それは俺にはわからない、地域警察に行ってくれと。そこで地域警察で聞くと、それはわからないってやっぱり言うんですよ。どうしたらいいんだ、と途方に暮れますよね。すると、じゃあ刑事を2人貸してやるから、一緒に探そうと言われて、3人でタクシーに乗って車窓からじーっと探すわけです。赤いホンダの車を、目視で。そしたら、その近隣にそこの住民の車みたいに自然に放置されていました。
 よかったよかったと思って、とりあえず胸を撫で下ろしたら、2人の刑事がここまでのタクシー代はお前が払ってくれと言うんです。彼らの説によると、車を持って行ったのは交通警察。それを探すのは我々地域警察の仕事。そして、タクシー料金を払うのは、お前の仕事だと。……そうか、これが、縦割り行政というものか、と。まあ自分の車も見つかったことだし、わかった払います、どうもありがとうと言ったら、今度は彼らが帰る足がないからお前のホンダに乗っけていってくれと(笑)。
—— 聞けば聞くほどすごい経験ですね。柳谷さんが翻訳されてる小説は往々にして不条理が描かれていますけど、そのお話を聞くと、シリアという国自体で私たちの生活における「ことわり」が通じないっていうか。

柳谷 それがいまの翻訳の仕事にどれだけ生きているかというと、私にはわからない(笑)。何かの役に立つ経験だったのかも不明です。
—— でも、日本で鬱々としていたときと比べれば、たくましく生きる力を身につけて帰ってきたわけですから、大きな意味があったんじゃないでしょうか?
柳谷 そうですね。帰ってきて思いましたけど、少なくとも「私の場合は」全部、甘えだったんですよ。外食するとお腹壊すのも、車に乗ると酔うのも、みんな結局は甘えだったんだなと。シリアでの生活を経て、そう思うようになりました。
—— ワンダーな経験が人を強くする、というか。
柳谷 少なくとも多少は図太く生きられるようにはなりました(笑)。
—— シリアのワンダーな日常についてたくさん伺いましたけど、ザカリーヤー・ターミルはある日、子どもたちが自爆した男の肉片を蹴って遊んでいるのを目撃して、シリアを出国しようと決意した、と『酸っぱいブドウ』の解説で書かれていますね。こうしたエピソードは、同じアジアでも日本で暮らしていたらまず経験することはないので、あまりの衝撃に言葉が見つかりませんでした。
柳谷 私も内戦下のシリアにいたわけじゃないので、なんだかんだ言って、シリアの良いところしか見ていないのかもしれません。でも、ターミルは以前にそういう負の情景も目撃している。彼の物語は風変わりなものばかりですが、根っこにあるのはリアリズムなんです。むしろリアルを蔑ろにする小説をすごく嫌うところがあります。彼が見た子どもが肉片を蹴っていたという光景は、おそらく事件のほぼ直後か、とりこぼしがあった場合だと思います。自爆した人間がいてその肉片が散らばったときは、警察の検証の直後に清掃がやってくるんです。速やかに掃除が始まるわけで、ターミルはそういったディテールを見過ごす人ではない。彼はそういうところを想像できていない物語に厳しい。小説を書くときには、非日常であってもそうしたリアルをいかに大事にできるかが鍵になるんだと思います。
『バグダードのフランケンシュタイン』でも、古物商のハーディーは死体の肉片を集めるために、爆破テロが起きたらすぐ走り出して探し始めますね。掃除されてしまうから。思い通りの肉片を集めるというのは案外難しいことなんです。その難しさを軽んじてしまうと、リアリティが失われる。それでは現実をフィクションに押し込めることはできない。よくできた小説はそこに自覚的な作品なのだと思います。
—— 物語は奇想に満ちているけれど、本質的にはリアリズムで書かれている。
柳谷 そうですね。だからターミルさんもサアダーウィーさんも目がとてもいい。どこにリアルが宿っているのか、ポイントを押さえる力がある。
—— 一口に中東の小説と言っても、当然ながらシリアとイラクでは今の政治状況も辿ってきた道のりも違うため無理矢理まとめることは憚られますが、それでも現実に対する解像度が高いという意味では共通していると言えるかもしれませんね。
柳谷 リアルを描くなら、ここは外してはいけないというのがわかっていないとダメなんだと思います。文学か情報かって話をしましたけど、その二つの峻別を書き手ができていないと、読み手に嘘を見透かされる。文学としても情報としても中途半端なものになってしまう。
—— 中東の現代文学研究を牽引されてきた岡真理さんが『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房)のなかで次のように書いています。
「文学は、人間がこのような不条理な情況にあってなお、人間として正気を保つために、言い換えれば人間が人間としてあるために存在するということ。バルコニーを彩る花、客人をもてなすレモネードと同じように」
中東文学が書かれ、読まれることの意味はここにあると思うんです。
柳谷 さすが岡真理さんですね。本質を捉えた一文だと思います。いろんな社会事情があって、それをはっきりと言いづらい状況は、いまももちろんありますし、その難しさを軽く見てはいけない。でも、それをちゃんとスピークアウトして、形にするだけの力が中東、いや、世界の文学全般にあると、私は考えています。そこに息苦しさを感じることもたまにあるのですが、それでも私に翻訳できるものはこれからも翻訳していきたいと思います。

プロフィール
柳谷あゆみ(やなぎや・あゆみ)
1972年東京生まれ。(公財)東洋文庫研究員・上智大学アジア文化研究所共同研究員。中世イスラーム史研究者・アラブ文学翻訳者・歌人。慶應義塾大学などで非常勤講師。歌集『ダマスカスへ行く──前・後・途中』で第五回日本短歌協会賞。訳書にザカリーヤー・ターミル『酸っぱいブドウ/はりねずみ』、サマル・ヤズベク『無の国の門──引き裂かれた祖国シリアへの旅』(白水社)、アフマド・サアダーウィー『バグダードのフランケンシュタイン』(集英社)など。


倉本さおり(くらもと・さおり)
東京生まれ。書評家、法政大学兼任講師。共同通信文芸時評「デザインする文学」、週刊新潮「ベストセラー街道をゆく!」連載中のほか、文芸誌、週刊誌、新聞各紙で書評やコラムを中心に執筆。TBS「文化系トークラジオLife」サブパーソナリティ。共著に『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』(立東舎)、『韓国文学ガイドブック』(Pヴァイン)などがある。

長瀬海(ながせ・かい)
千葉県出身。インタビュアー、ライター、書評家、桜美林大学非常勤講師。文芸誌、カルチャー誌にて書評、インタビュー記事を執筆。「週刊読書人」文芸時評担当(2019年)。「週刊金曜日」書評委員。翻訳にマイケル・エメリック「日本文学の発見」(『日本文学の翻訳と流通』所収、勉誠社)共著に『世界の中のポスト3.11』(新曜社)がある。