大蔵流〈茂山千五郎家〉に生を受け、
京都1000年の魑 魅ちみ 魍魎 もうりょうをわらいで調伏する男、ここにあり。
この物語は、ややこしい京都の町で、いけずな京都人を能舞台におびきよせ、
一発の屁で調伏してしまう、不可思議な魅力をもつ茂山家の狂言の話である。
道行案内は、ぺぺこと茂山逸平と、修行中の慶和よしかずにて候。


出演:茂山逸平


今回は太郎冠者=どこにでもいる男を手がかりに、狂言が描く世界観のお話です。

~太郎冠者って何者?~
狂言には、「太郎冠者」という人物がたびたび登場します。
たとえば、みなさんが小学校の国語教科書で知っている狂言「附子ぶす」。
主人が猛毒だと言い置いた壺の中の附子は、本当は砂糖だと気づいた家来の太郎冠者と次郎冠者。二人は壺の中身を食べつくしてしまう。さてどうしたものかと、二人は主人が大事にしている掛け軸を破り、茶碗をガチャーンとぶっ壊し泣き出す。
帰宅し驚いた主人が訊くと、「相撲をとっていたら、ご主人様の大事な掛け軸や茶碗を壊してしまったので、附子を食べて死のうと思ったのだ」と言い放ち、二人は逃げてしまう。
一番お客さんが、自分の立場を投影しやすく、共感しやすい立場として登場するのが、この「太郎冠者」です。
お酒で失敗したり、だめよと言われることをしてしまうとか、いつの時代も変わらない人間の弱いところを投影した人物です。
大変人間的で弱みを持っていて、「こういうやついるよな」「だめだなあ」と人にやさしくなれるような、どこにでもいるような身近な人物です。
狂言では、人物が「このあたりに住まいいたす者でござる」と登場します。
場所を限定しない、見ている人の身近な場所が舞台設定。
「太郎冠者」も同じように、固有名詞ではなく、成人した一番目の召し使いなんです。
~「末広すえひろかり」~
「末広かり」では、とんちんかんな使用人の太郎冠者が登場します。
「末広かり」とは扇の別名です。
その名称のごとく、おめでたい場所、結婚式などでも演じられる曲です。
大金持ちの果報者の主人は、ホームパーティを開くので、客人へのおみやげ用に都で「末広かり」を買ってくるよう、太郎冠者に命じます。
太郎冠者は末広かりが何のことかわからぬまま、主人の言葉を手がかりに都に出かけます。
そこに登場するのが「すっぱ」です。狂言によく登場します。
すっぱとは、「詐欺師」という言われ方もしますが、今でいう、どこで作ったかわからないようなものを売っている露天商のような人です。
キョロキョロしている太郎冠者を見つけたすっぱは、「これが末広かりだ」と、古い傘を売りつけます。傘はたしかに広げれば末広がりになります。
おまけにすっぱは、太郎冠者に、主人の機嫌を直すために傘回しの囃子物はやしものを教えてくれました。
古い傘を持って帰宅した太郎冠者。主人は怒りだしますが、太郎冠者はすっぱに教わったように「傘をさすなる春日山~」と傘回しの囃子物を披露して踊り出す。
主人もいっしょになって楽しく踊ってハッピーエンド。
別のものに勘違いしたことが笑いのもととなる「とりちがえもの」です。
太郎冠者は任務を遂行できなかったけれど、だれも傷つかないで曲は終わります。
都は古典では京都だと思われていますが、狂言では人がたくさん集まるちょっと都会ならいいわけです。
~「ぎゅう」~
「蝸牛」も、とりちがえものです。
主人は、祖父に長寿の薬として蝸牛=カタツムリを獲ってくるよう、太郎冠者に命じます。
やぶに住む 頭が黒い 腰に貝をつけている 角を出す 年老いていると人間くらいの大きさのものもいる」というのが、主人が伝えたカタツムリの様子です。
太郎冠者は今回もカタツムリを知りません。
藪に分け入った太郎冠者。そこで眠っている山伏やまぶし
腰にほら貝をつけた山伏に、「あなたはカタツムリですか?」とたずねると、山伏も「そうや!」ということになり……。
太郎冠者と山伏のところに主人がやって来ます。
「お前、山伏やろ!」と言う主人に対しても、山伏は「カタツムリや」と言い張る。
「雨も風も吹かぬに出なかま打ち割ろう」と、三人は謡い踊り阿呆なまま終わる、という作品です。
物語の主題が長寿のおまじまいの蝸牛なので、ご高齢の方のお祝いなどで演じます。
「お目でたい」人たちが出てくるバカばっかりの狂言です。
山伏を見てカタツムリだと思ってしまう太郎冠者もあれば、カタツムリになりきってしまう山伏もいる。一緒に踊っちゃう主人もいる。
こういう人たちは長生きするんだろうなあ。
見ている人もちょっと自信が持てる作品です。
山伏というのは加持祈祷かじきとうのプロフェッショナル。
加持祈祷が信じられている時代には、ありがたがられたり、おそれらたりしていたんです。
そのためにえらそうにする山伏もいて、山伏は特権階級でした。
余談ですが、義経がなぜ山伏になったかというと、関所もフリーパス、全国を移動できるからなんです。
~「萩大名はぎだいみょう」~
「萩大名」の太郎冠者は、地方から京都に来た大名のお世話をするために派遣された、期間限定契約社員。都の作法を知らない地方大名に、都用の専門秘書として仕える太郎冠者と考えてもいいのかもしれません。
ある日大名は、京都の下京に、宮城野の萩の咲く庭を見に行くことになりました。
ここの主人が歌好きのために、萩の庭を見たら歌を歌うことになりますよ、と太郎冠者は大名にアドバイスします。
萩の名所の宮城野も、歌も知らない──つまり風流には縁のない田舎の大名は、太郎冠者に歌を暗記していくように教えられます。
七重ななえ八重やえ九重ここのえとこそ思ひしに十重とえ咲き出る萩の花かな」
大名はこの歌を覚えられないのです。
仕方ないのでおつきの太郎冠者が、扇子の骨の数を示しながら「七重八重九重……」、ふくらはぎを示したら「萩」と、ヒントを出すと教えます。
庭の風流も大名にはわからず、おかしなコメントばかりします。
太郎冠者が歌詠みの合図をしても、合図の意味すら忘れてしまうのです。
愛想を尽かした太郎冠者は、大名をおいて先に退出してしまいます。
職場放棄ですね。庭の主人から下の句をきかれ、大名は「はぎ」ではなく、「太郎冠者のむこうずね」と答えてしまうありさま。
地方の大名が長々在京するというのは、たいがい裁判、領土争いです。
中央集権の時代がおわり、藤原氏の荘園制度、守護地頭制度が続き、土地の権利関係がぐちゃぐちゃになっていた時代です。
もともといたその土地のリーダーが力を持ち、「うちがこれだけ耕しました、うちは何代続いています」という主張をするようになったんですね。
それで公事所──今でいう裁判所に土地の権利を裁定してもらう。
それが京都への滞在の理由でした。
狂言には時代背景に選民思想が多く見られるので、地方を馬鹿にしたりします。
田舎モノの代表として大名が出てくるんです。
こういう「歴史」を隠さず、わかった上で狂言を演じます。
京都の中でも上京、下京と言う差別があり、上京は非生産地域として公家など「偉い人たち」が住み、下京の生産地域には商人や職人たちが住みました。
羅生門から南は「鬼」、ガゴゼと言われました。鬼というのは象徴です。
身分的にも京都に入れず恨みを持った人たち、抑圧された人たちのことでした。
豆まきにも鬼が出てきます。
当時、街中に住んでいない人、妖怪、悪党、強盗など、あやしい人たちをみな鬼と呼んだわけです。つまり、都との関係でものごとを考えていたのですね。
中世説話集には、この鬼系の作品が多くみられます。

©Halca Uesugi

~「もらいむこ」~
「貰聟」は、酔っぱらったDV夫に殴られて追い出されたDV夫依存の妻の話です。
妻は子どもを置いたまま実家に戻る。実家の父は「またか」と思うけれど、娘は今度ばかりは夫のもとには戻らないという。
翌朝酔いがさめた夫が迎えにきて、妻の父親に「酒をやめるので、妻に戻ってきてもらいたい」と懇願します。父親は、娘はここにいない、と娘をかばいます。
──今でもありそうな光景です。
この様子を隠れて聞いていた妻は、夫は自分がいないとだめだと思い、制する父親を倒して夫のところに戻ってしまいます。
夫と父親は、取っ組み合いの喧嘩になり、妻と夫は父親を投げ飛ばして仲睦まじく帰っていく、というお話です。
お父さんからしたら、迷惑な話です(笑)。
父親は「来年から祭りには呼ばぬぞよ」と、最後に絶縁のセリフを叫びます。
祭りは親族一同の集いなので、ここに呼ばないというのは、絶縁、村八分という意味なんです。
狂言なので、おもしろく見ることができますが、実はなかなかハードな内容でした。
時代が変わっても人間の本質は変わらない。
狂言がうつしだして描く人間も変わりません。

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~「素袍落すおうおとし」~
素袍落は、酔っぱらい讃歌です(笑)。
伊勢参りに行くことにした主人が、伯父にも声をかけようと、太郎冠者を遣わせます。
伯父から太郎冠者が餞別をもらってしまうと、伯父の家の家来たちに土産を買わないといけなくなるので、主人は太郎冠者に「自分がお供をすると、伯父さんには言うな」と伝えます。しかし、太郎冠者はうっかり「自分がお供する」と言ってしまうのです。
伯父さんは太郎冠者に酒を振るまい、餞別に素袍をくれます。
素袍というのは、今で言えば正装です。
ところが太郎冠者、酒に酔って帰り道でこの素袍を落としてしまいます。
その素袍を拾ったのは主人でした。
お酒を飲んでしまうとついつい色んなアラが出てしまう名曲。
人間描写が細かい狂言です。
こんなふうに太郎冠者と周囲の人間模様の世界に引き込まれながら、狂言的世界を楽しんでもらえたらとてもうれしく思います。

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●茂山 逸平(しげやま・いっぺい) 大蔵流狂言師(クラブsoja 狂言茂山千五郎家)。
1979年、京都府生まれ。曾祖父故三世茂山千作、祖父四世茂山千作、父二世茂山七五三に師事。甥と姪が生まれたときに、パパ、ママのほか、逸平さんをペペと呼ばせたので、茂山家では以降ぺぺと呼ばれるようになった。
●茂山 慶和(しげやま・よしかず) 逸平の息子。2009年生まれ。4歳のときに「以呂波」で初舞台。小学校1年生から謡曲を習い、義経の生まれ変わりだというほどに、義経好き。稽古のあとの楽しみは、大黒ラーメン。
狂言公演スケジュール
http://kyotokyogen.com/schedule/

聞き手構成/中村 純(なかむら・じゅん)
詩人、ライター、編集者。東京都生まれ。三省堂出版局を経て、京都転居にともない独立。著書に『女たちへ──Dear Women』(土曜美術社出版販売)、『いのちの源流──愛し続ける者たちへ』(コールサック社)など。

写真/上杉 遥(うえすぎ・はるか) 能楽写真家。白拍子研究所で幻の芸能白拍子の魅力を伝えるべく日々修行中。