第10回 夢二の著書② 『歌時計』と『あやとりかけとり』~童謡を愛した夢二~

span style=”font-size: 14pt;”>竹久夢二美術館 学芸員 石川桂子

夢二と童謡
 詩歌を数多く残した竹久夢二は、若い頃から童謡を愛好し、春陽堂から童謡をテーマにした著書『歌時計』(うたいどけい)と『あやとりかけとり』を出版しました。
 今回は、童謡を扱いながらも性質が異なるこの2冊について、それぞれの特徴と、そこで夢二が伝えたかったメッセージに迫ります。
『歌時計』 大正8(1919)年7月13日 発行
 ところで辞書で童謡の意味を調べると「Ⅰ子供のために作られた歌謡・詩。近代童謡は大正中期から「赤い鳥」を中心として発展した。 Ⅱ民間に伝承されてきたわらべ唄。子守唄や遊びの時に唄う唄など。」(『大辞林 第三版』より)とありますが、『歌時計』【図①】はⅠの趣旨で編まれました。

① 『歌時計』(表紙・裏表紙)

 本書は夢二の次男・不二彦(ふじひこ)のために「夜の食事がすんでおねむになった時、小さい寝床のわきで謡(うた)っ」た歌を中心に104編を集めた童謡集で、夢二による木版色刷り口絵1点と、モノクロ挿絵も15点掲載されました。
 次にタイトルになった童謡「歌時計」と、挿絵がつけられた「雪だるま」【図②】を紹介します。

② 「雪だるま」本文・挿絵

 歌時計
   ちんからこん ちんからこん
   ちさい枕のかたわらで
   歌時計のなりいづる。
   ちんからこん ちんからこん
   きのうのようになりいづる。
   きのうのようになったとて
   そなたのママはいったもの
   しんであの世にいったもの。
   ちんからこん ちんからこん。
 雪だるま
   なんぼ呼んでも
   返事がない。
   耳がないか 口ないか
   昨夜(ゆうべ)も
   こんこん雪が降り
   耳も口もなくなった。
 夢二は子供たちが興味を持ちそうな自然現象や動植物、母子の交流などを題材にして、心温まる優しい童謡を書き表しました。子供の心に響くような平易な言葉を選びつつ、オノマトペも効果的に用いて、さらに韻を踏み、とてもリズミカルな詩歌を創作しました。
 また『歌時計』では、英語圏で伝承された古いわらべ唄の「マザーグース」も紹介しています。その中のひとつ「猫のクロさん」と挿絵【図③】、あわせて原詩「Pussycat, pussycat ?」を紹介します。

③ 「猫のクロさん」挿絵

 猫のクロさん
   猫のクロさん。こんにちは!
   お前はどこへいってきた?
   花の都のロンドンへ
   女王に会いにいってきた。
   お前はそこでなにをした?
   女王に椅子の下にいる
   鼠(ねずみ)を捕りにいってきた。
 Pussycat, pussycat ?
   Pussycat, pussycat, where have you been?
   I’ve been to London to visit the Queen.
   Pussycat, pussycat, what did you there?
   I frightened a little mouse under her chair.
 掲載に当たり、夢二は独自の解釈を加えながら、意訳してユーモアに満ちた「マザーグース」の世界を繰り広げました。その際夢二はあえて「マザーグース」から取り上げた旨を明記することはありませんでした。
 さらなる本書の特徴は、夢二の愛息・不二彦に寄せる思いが強く表れていることです。扉には小野隆太郎(写真家:1885-1965)が撮影した不二彦の肖像写真【図④】と、序文「ちこへ(*1)。」に加えて、不二彦が描いた愛らしい象のスケッチ【図⑤】も掲載され、父親として息子に愛情を注ぐ、夢二の素顔が垣間見られます。

④ 不二彦肖像写真          ⑤ 不二彦が描いた象のスケッチ   

『あやとりかけとり』 大正 11 (1922) 年 12月30日 発行
 『あやとりかけとり』【図⑥】は、『歌時計』から3年を経て刊行、先に記した童謡の意味Ⅱに相応する、わらべ唄を集めた一冊です。本書の扉に明示されたとおり「日本童謡集」【図⑦】として編集されました。序文に「もはや二十年来、童謡風な絵も唄もかいている。世間はどうあろうと、英雄崇拝時代が過ぎて、所謂児童の世紀が来たろうとも、私は私のちょっとした仕事をしたまでだ」とあるように、日本で古くから伝わる童謡の“わらべ唄”を集め、それにちなんだ絵を描くことは、夢二にとってライフワークでした。

⑥ 『あやとりかけとり』(表紙・背表紙)

⑦ 扉に記された「日本童謡集」

 本書にはわらべ唄が197編、挿絵が12点掲載されていますが、その中から「天満の市」と「十三夜」を紹介します。
 天満の市
   ねんねころいち天満(てんま)の市は
   大根(だいこ)そろえて船に積む。
   船に積んだら何処(どこ)往(い)きゃる。
   木津(きづ)は難波(なんば)の橋の下。
   橋の下には鷗(かもめ)がいるよ。
   鷗とりたや、網ほしや。
   網はゆらゆら由良の助。
 幼少時に夢二は、子守娘の背に負われながら「天満の市」を耳にして、「幸福とか不幸とかいう心持を超えた幼年時代の、夜でも昼でもない白夜のような雰囲気の中に、夢見心地な自分をおくことが出来るのである。それは或はロマンチストの感傷癖かも知れないが、それが労(つか)れて還(かえ)るべき霊のふるさとのように思える。」(竹久夢二「なつかしい昔の童謡と唄」より 『週刊朝日』1923年3月11日号)という、エピソードが残されています。
 十三夜
  影や、どうろく神(じん)
  十三夜の牡丹餅(ぼたもち)。
 これは月が美しいとされる陰暦9月13日の夜の晩に、影踏み遊びをする際の遊戯唄で、「影やとうろくじん」【図⑧】として挿絵も掲載されました。夢二はこのわらべ唄を好み、過去には水彩画【図⑨】も制作し、大正元(1912)年に開催した「第一回夢二作品展覧会」に出品しました。

⑧「影やとうろくじん」挿絵

⑨水彩画で制作された「かげやとうろくじん」

 子守唄や遊戯唄を含む、わらべ唄に関心を寄せた夢二が、自身の体験に加えて、その魅力に気づいたきっかけは、『英訳詩歌集』(河上清・編 1906年)に掲載された「童謡集」でした。「童謡集」にはラフカディオ・ハーン(*2)(小泉八雲/文学者・随筆家:1850-1904)が英訳した日本の童謡が19編収録、夢二は「外国人のコレクションから私共が浮世絵の面白味を教えられたように、ハーンの童謡を見て、日本にもこんな立派な唄のあったのか」(同上)と感動を覚えました。
 それから生涯にわたって童謡の奥深い世界に魅了され、夢二は世間の流行とは一線を画しながら、わらべ唄の採集と童謡の創作に心を傾けました。
【註】
*1 不二彦は、「ちこ」という愛称で呼ばれていた。
*2 ラフカディオ・ハーンは、帰化する前の名前。

(写真と図は、すべて竹久夢二美術館所蔵の作品です)
『竹久夢二という生き方 人生と恋愛100の言葉』(春陽堂書店)竹久夢二・著 石川桂子・編
画家、デザイナー、詩人として活躍し、多種多様な作品を遺した竹久夢二。彼の日記・手紙・エッセイ・詩の中から<人生>と<恋愛>についての言葉を選出。挿絵は大正3年刊行の『草画』から使用。時代を超えて愛される、ロマンチストの格言集。

この記事を書いた人
石川 桂子(いしかわ・けいこ)
1967年、東京都生まれ。竹久夢二美術館学芸員。編書に『大正ロマン手帖──ノスタルジック&モダンの世界』『竹久夢二♡かわいい手帖──大正ロマンの乙女ワールド』(共に河出書房新社)、『竹久夢二《デザイン》──モダンガールの宝箱』(講談社)、岩波文庫『竹久夢二詩画集』(岩波書店)など。