竹久夢二美術館 学芸員 石川桂子

 筆者が所属する竹久夢二美術館は、平成2(1990)年に開館し、夢二の肉筆画をはじめ、版画、著書、雑誌、デザイン作品、書簡、遺品等3300点を所蔵しています。
 今回は当館コレクションより、春陽堂ゆかりの原画と原稿を紹介させていただきます。
挿絵原画「カリガリ博士」
 当館では、映画「カリガリ博士」*1の印象を『中央文学』大正10(1921)年7月号に竹久夢二が寄稿した際、絵筆をとった挿絵の原画【図①】を所蔵しています。

①挿絵原画「カリガリ博士」

 映画は第一次大戦後のドイツに流行した表現派美術を応用した心理劇です。監督はロベルト=ヴィーネ(1873-1938)で、日本では大正10(1921)年5月に公開されました。
 大正時代に、映画は活動写真と呼ばれていましたが、活動写真は「そう好きではない」という夢二が、「カリガリ博士」については「実に素晴らしい物だった」と絶賛しました。
 特に夢二は背景画を褒めたたえ、建築物の傾きや、空が三角形の破片で光る様相が描き表された「人工的なこの背景」に注目し、それは「自然そのもの」で、「写真より」も「ずっと本物らしく、感じが深い」と述べています。
 さらに登場する狂人の幻想が、見る側の「ある感覚にどこかしらぴったりと入って」きて、自分もまた画中の人物と「おなじ幻想を感じるようになって来る」ことに、夢二は感動しました。
 そして印象的なシーンが挿絵に描かれましたが、それは博士がサーカスの馬車から逃げ出して、病院へ帰る道中の風景でした。博士の「歩くというより立ったままで坂をずっと上ってゆく」歩き方に不思議な感覚を覚え、夢二は心を奪われました。
 ところで春陽堂から『中央文学』と同時期に刊行されていた雑誌『新小説』にも、夢二が寄稿した『表現派映画「カリガリ」博士の印象』が掲載されました(大正10(1921)年7月号)。『中央文学』に比べ3倍の文章量ということもあり、扮装や小道具についても言及し、映画のスケッチも7点【図②】掲載されました。

②「カリガリ博士」スケッチ

 画家であり、自身も舞台美術に関わった経験を持つ夢二が、文章のみならず作画も交えて批評を展開した「カリガリ博士」。ドイツ表現主義映画の代表作が、夢二ならではの鋭い視点で、春陽堂の雑誌上で独占的に発表されたことは、注目に値するでしょう。
自筆原稿「夜の露台」
 原稿用紙2枚に自作の短歌13首が綴られた「夜の露台」は、『中央文学』に寄稿した自筆原稿です【図③】。ペンでさらっと書かれた文字は、少し丸みを帯び、親しみやすい筆跡です。少々癖があって読みづらい部分もありますが、繊細な夢二の人柄が表れているような印象を受けます。

③自筆原稿「夜の露台」

 1枚目の原稿の右側余白、及びタイトルと夢二の名前の部分からは、編集の際に赤字で記入された様々な指示を読みとることが出来ます。本文用文字は5号活字、タイトル「夜の露台」は4号、名前「竹久夢二」は3号で、ページの中央に「長サ三寸、幅五分のカット」を入れるように示されています。出来上がった誌面は、大正6(1917)年9月号【図④】の21ページに掲載されました【図⑤】。

④『中央文学』大正6(1917)年9月号 ⑤「夜の露台」掲載ページ   

 夢二は短歌も多く詠み、その歌を日本画の賛としてしたため、時には雑誌や著書にも発表しました。
 ところで「夜の露台」は文末に「一九一七、八、五」と日付があり、これらの歌が、大正6(1917)年8月5日にまとめられたことがわかります。この時期、夢二は京都に移り住み、「山」という愛称で呼び表した恋人・笠井彦乃と同棲していましたので、その時期の心境を中心に歌を詠みました。夢二は大正9(1920)年に『山へよする』と題した、彦乃との日々を綴った短歌集を編みますが、この「夜の露台」からも数編を改作して掲載しました【図⑥】。

⑥『山へよする』表紙(右)と本文ページ(左)*2

 最後の一首に「山国ははやも秋風たちそめぬ……」の歌が記されていますが、夢二は『中央文学』編集長・細田源吉に同封する手紙の書き出しにも「秋風がたちそめました。」としたためています。8月といえども京都で迎える季節の移り変わりを敏感に感じながら、続けて「この二三日は急にすずしくなって、なんだか胸がしまって、祈りたいような、そして、好いものをかきたい気がしきりにします。」と自身の心持ちを記し、さらに手紙に図を添えて、「夜の露台」の掲載イメージを表しました【図⑦】。

⑦細田源吉宛手紙

 歌をしたためた原稿用紙に注目すると、東京・神楽坂にあった山田紙店のもので、多くの文豪に愛された一品でした(原稿用紙左下の余白に「神楽坂、山田版」と印刷されています)。細田に送った手紙は、この原稿を半分に切り、裏の白い面を使用しました。紙片には、折って手で切り裂いたような跡が残り、近くにあった原稿用紙を、とり急ぎ使用した感じが伝わってきます。
連載の最後に
 一年の連載を通じて、夢二と春陽堂の関わりや仕事をまとめる機会を頂き、またウェブサイトから多くの方に閲覧してもらうことが出来まして、深く感謝申し上げます。
 これからも美術館の展示では、春陽堂から出版された『中央文学』の表紙絵や、著書、装幀本を飾る機会もございますので、夢二が残した美の奥深い世界に、引き続き関心を寄せて頂けましたら嬉しく思います。
【註】
*1 ドイツ映画。監督ロベルト・ヴィーネ。1919年作品。20世紀初頭ドイツでおこった表現主義を積極的に摂取した表現主義映画の代表作。曲線や斜線が異様に支配する構図、ゆがめられた遠近法、幻想的な照明効果、誇張された演技などの反リアリズム的要素から成り立ち、不安と混沌の内的イメージを強烈に主観描写した映画史上画期的な作品である。原作者カール・マイヤーとハンス・ヤノウィッツは、眠り男ツェザーレを操って殺人事件を引き起こしていく主人公カリガリ博士の狂暴性を描き、戦争遂行者である国家を告発しようとした。しかし、映画化の段階で、すべては精神科病院患者の妄想であったというように改められた。ヴェルナー・クラウスがカリガリ博士、コンラート・ファイトが眠り男を演じている。1921年(大正10)日本公開。当時の徳川夢声の名解説が語りぐさになっている。(『日本大百科全書』より)
*2 『山へよする』では“かたはらにしづかにあるもものいふもいはぬもよけれわが妻なれば”と掲載されているが、「夜の露台」では“かたはらにしづかにあるもものいふも言わぬもよけれ旅の少女は”になっている。

(写真と図は、すべて竹久夢二美術館所蔵の作品です)

『竹久夢二という生き方 人生と恋愛100の言葉』(春陽堂書店)竹久夢二・著 石川桂子・編
画家、デザイナー、詩人として活躍し、多種多様な作品を遺した竹久夢二。彼の日記・手紙・エッセイ・詩の中から<人生>と<恋愛>についての言葉を選出。挿絵は大正3年刊行の『草画』から使用。時代を超えて愛される、ロマンチストの格言集。
この記事を書いた人
石川 桂子(いしかわ・けいこ)
1967年、東京都生まれ。竹久夢二美術館学芸員。編書に『大正ロマン手帖──ノスタルジック&モダンの世界』『竹久夢二♡かわいい手帖──大正ロマンの乙女ワールド』(共に河出書房新社)、『竹久夢二《デザイン》──モダンガールの宝箱』(講談社)、岩波文庫『竹久夢二詩画集』(岩波書店)、『竹久夢二という生き方 人生と恋愛100の言葉』(春陽堂書店)など。